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もみじ饅頭のお酒を飲んだら不思議な力を手に入れた話

安芸の宮島には、銘菓として名高い「もみじ饅頭」という菓子がある。

そして、もみじ饅頭のあんこや皮の風味や香りまでも見事に再現し、大人たちを陶酔させる酒もあるという。

その酒の名を、「もみじ饅頭のお酒」という。

もみじ饅頭のお酒との出会い

あれは、大学のOBとして、部活の飲み会に参加した時のことだった。

大学の部活では、新歓や追いコンという名目でコテージを貸し切り、酒を飲むのが習わしになっていた。

OBの参加は任意だが、現役の部員と仲が良かったり、年が近かったりするOBの中には参加する人もいる。

社会人になっていた私は、忙しい仕事になんとか都合をつけて参加することができた。

コテージに設置してある冷蔵庫の前で、輪を作って座布団の上に座っている集団を発見したので、私も輪の中に入ることにした。

輪の中心には、おつまみの載った紙皿や、酒の入ったボトルが並べられていた。

私もおつまみを食べようと手を伸ばしかけたところ、見慣れない形をした瓶が目に入った。

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もみじ饅頭のお酒。

丸底フラスコのような形をしたその瓶には、そう書かれたラベルシールが貼られていた。

隣に置いてある「富士山麓」も、ウイスキー界では名の知れた存在だが、私はもみじ饅頭のお酒が気になって仕方がなかった。

私は、同じくOBとして飲み会に参加している、Nという先輩に声をかけた。

「もみじ饅頭って、お酒になるんですねぇ」

「ほんまやなぁ、なるんやなぁ」

N先輩は、私の声かけを全面的に受け止めてくれた。

輪の中にいたメンバーにとっても、もみじ饅頭のお酒は珍しい存在らしく、おつまみや他の酒は減っているが、もみじ饅頭のお酒はまだ開栓されていなかった。

珍しいお酒が目の前にあるなら、飲む以外に選択肢はない。

もみじ饅頭は飲み物

丸底フラスコのような瓶を開栓し、紙コップにもみじ饅頭のお酒を注ぐ。

一口飲んでみると、確かにあのもみじ饅頭の味がした。

なめらかなこしあんの味も、ふわふわしていて香ばしい皮の味も、そして香りも、紛うことなきもみじ饅頭そのものである。

私にとって、もみじ饅頭とは饅頭であり、食べるものであったが、もみじ饅頭は飲み物だったのだと認識を改めた。世界は広い。

ただ、もみじ饅頭のお酒は、酒の中ではカルーアミルクにも引けを取らないほど極端に甘いお酒であった。

私は割と甘いものはイケる方であったが、苦手なメンバーは苦労して飲んでいるように映った。

宮島ファンタジー

もみじ饅頭のお酒を飲みながら歓談していると、N先輩が突然奇妙なことを言い出した。

「もみじ饅頭のお酒は、宮島の鹿から作られとる」

私は思わず、「いや、そんなはずは」と言ってしまったが、N先輩は例の丸底フラスコのような瓶を指差して、

「この酒を見てみろ、鹿と同じ色やろ」

と言ってきた。

私は瓶の中に入っている液体の色を見て、そして確信した。

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「これは確かに、宮島の鹿の色ですね…」

「せやろ!? 鹿やでこれ」

瓶に入った液体は、どこからどう見ても宮島にいる鹿の色をしていた。

私は小学校の頃の修学旅行で宮島に行ったことがあるので、実物の鹿も見ている。

これは鹿の色で間違いない。

だがもみじ饅頭のお酒からは、鹿の味は一切しない。ただ、私は鹿を食べたことがないので鹿の味はわからないが。

私は鹿からもみじ饅頭のお酒ができることに驚きを隠せなかった。

「鹿からもみじ饅頭の味がするってすごい技術ですね」

私がそう言うと、N先輩はこれを聞いたら驚くぞとでも言いたげな不敵な笑みを浮かべた。

「実は、もみじ饅頭と鹿は同じものなんや」

「えっ、マジですか!」

「せやで! だから鹿を混ぜるとコレになるんや」

N先輩はまた、例の丸底フラスコ瓶を指差した。

鹿ともみじ饅頭が同じ存在だという事実を、私は恥ずかしながら今初めて知った。

私はもう一つ気になったことをN先輩に尋ねていた。

「鹿からどうやってもみじ饅頭のお酒を作るんですか?」

「鹿を一週間混ぜたらできるんやで」

なんと、一週間もかけてもみじ饅頭のお酒は作られるという。

「こうやって混ぜるんですか?」

と私は両手を使って、魔女がデカい釜の中の液体をかき混ぜて魔法の薬を作る時のような仕草をしてみせた。

「そう、それを一週間やるんや」

「これを…一週間…やるんですか…」

私はかき混ぜる仕草をしながら、お酒を作る人の苦労を偲んだ。

「そう、一週間や!」

だがN先輩の声で私は我に返った。混ぜねば。

「…一週間! 一週間!」

私は声を出しながら、魔法の薬を作る魔女のような仕草で虚空をかき混ぜた。

「いっしゅうかん!いっしゅうかん!」

N先輩も声を出していた。

私も同じように声を出して虚空をかき混ぜる。

「いっしゅうかんいっしゅうかん!」

私はかき混ぜる仕草をしながら、またお酒を作る人の苦労を偲んだ。

お酒と鹿のファンタジー

そうやって虚空をかき混ぜ続けた私はもはや、大釜をかき混ぜて魔法の薬を作る魔女そのものだった。

ふと思い立って、それまでは時計回りに虚空をかき混ぜていたが、反時計回りに変えて混ぜてみた。

「いっしゅうかんいっしゅうかん!」

私が呪文を唱えると、丸底フラスコのような瓶に入っていた液体が飛び出してきて、宮島の鹿に変化してコテージの床に降り立った。

「あっ、鹿に戻った鹿に戻った!」

N先輩が笑いながら鹿を指差している。

今度は時計回りに虚空をかき混ぜてみた。

「いっしゅうかんいっしゅうかん!」

私が呪文を唱えると、宮島の鹿は液体に変化して丸底フラスコの中に入っていった。

「あっ、酒になった酒になった!」

N先輩が、今度は笑いながら丸底フラスコを指差している。

魔女になった私

私は力を得た。

反時計回りに虚空をかき混ぜて呪文を唱えれば、もみじ饅頭のお酒を、一瞬にして鹿のすがたに変えることができる。

時計回りに虚空をかき混ぜて呪文を唱えれば、鹿をもみじ饅頭のお酒に戻すことができる。

N先輩が言っていた、「もみじ饅頭と鹿は同じものなんや」という言葉を思い出す。

私は、もみじ饅頭と鹿を自由に変化させる力を手に入れたのだ。

「いっしゅうかんいっしゅうかん!」

「あっ、鹿に戻った!」

「いっしゅうかんいっしゅうかん!」

「あっ、酒になった!」

「いっしゅうかんいっしゅうかん!」

「鹿になった!」

「いっしゅうかんいっしゅうかん!」

「酒になった!」

私がそうやって、呪文を連発していると、N先輩が

「いや何やねんこれ!笑」

と叫んだ。

ただの人間に戻った私

先輩が叫んだその瞬間、私は力を失った。

もみじ饅頭のお酒は、もう鹿になることはなかった。

宮島の鹿はもみじ饅頭ではないから、もみじ饅頭のお酒が鹿になることはありえない。

もちろん、鹿がもみじ饅頭のお酒になることもありえない。

とてつもなく愉快で何が起こるかわからない世界から、物理法則が支配する秩序の世界に戻ってきたのだ。

秩序の世界に戻った後は、私は普通に先輩や後輩たちと歓談した。

歓談は楽しかったが、もみじ饅頭のお酒とN先輩が連れて行ってくれたあの楽しい世界に、もう一度行ってみたいという気持ちは今もずっと心の中にある。