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仕事における罪悪感はお荷物にしかならない

中国の思想家、孔子の『論語』に
「内に省みて疚(やま)しからざれば、それ何を憂え何を懼(おそ)れん」
という言葉があります。
(論語 顔淵第十二の四)

「別に心にやましいことが無いんだったら、心配したりビビったりする必要なくない?」
的な意味です。

やましいことが無くたって心配や恐れが自然発生することは普通にあるのでは…と思わなくもないですが、逆にやましいことが『ある』と、たちまちこの言葉通りになってしまうんですよ…。

それで私が失敗した話をひとつ聞いてください。


スケジュールが立て込んでいる時に頂いた案件に対して、「今すぐは難しいけど、○週間後くらいに始められます」とご説明し、お客さんにご了承頂きました。
しかし私の見積もりが甘く、結局着手できたのはお伝えした日付よりさらに2週間後。

お客さんからは急がないので大丈夫です、というお言葉を頂きましたが、やはりこちらとしては申し訳なさでいっぱいです。

そんな中、そのお客さんから作品に対しちょっとした追加要望が入ります。
それいらないんじゃない?と内心思ったのですが、まあ入れてもストーリーに支障はないし、入れてお客さんの満足度が上がるなら…と私はできるだけ違和感が無いようにその要望を漫画に入れ込みました。

でも仕上げに近づくにつれ、どうしてもそれが気になって。
そこで気づくわけです。
問題ないつもりで入れたけど、ウソだった。
よく考えたら、これ入れると広告漫画としてブレてしまう!!

そうです。
私は「スケジュールが遅れている」という罪悪感から、違和感を感じていたにも関わらずお客さんの要望に応えることでその気持ちを払拭しようとしていたのです。
この行為はお客さんの為のようで、結果的に「いい作品」から1歩遠ざかるのだから、完全に自分の保身の為。

私はすぐに「ここはあの指示を入れずにこうした方がいいと思います、何故なら…」と説明し、すでに描き終えたページでしたが修正をさせて頂きました。

(そしてお客さんは、「あ、そうなんですね。じゃそれでお願いします。」とあっさり承諾。
別にこだわりでもなんでもなかった箇所に、私は自分にウソまでついて応えようとしていたわけです…。)


広告漫画の話じゃなくたって、万事がそうですよね。

例えば会議に遅刻をしたからって、気まずさや申し訳なさから会議中黙って小さく縮こまっていてもいいことはひとつもないのです。
逆にどんどん発言して会議で挽回するのが、誠意というものでしょう。


孔子のような鋼のハートは持ち合わせておりませんが、心配や恐れを自ら量産するような非生産的な行為はせずに済むよう心がけたいものです。

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