魔王の話 7

 部屋にいてはどうしようもないので仕方なしに夜風にでもあたろうかと、何も考えずに部屋を出た。
 そこまではよかったが怜音はこの城について大した知識がないうえに夜間であるために暗く道が一切わからなかった。
 それに城から外へ出るわけにもいかない。
 結果その辺をうろうろしていたのだが、結果として迷ってしまったようで部屋に戻れなくなった。
 どうしようかと悩みながら歩いていると見覚えのある中庭にたどり着き、現在に至った。
 今朝は気付かなかったが中庭の端には木製のベンチが置いてあった。
 綺麗に清掃の行き届いているそのベンチに腰かけた。
 「……」
 思っていたよりも歩いたので疲れてしまった。
 手持ち無沙汰を紛らわせるように頭上で輝く月と星を眺めてみる。
 どうやらこっちの世界にも月と星はあるらしい。
 元の世界のように街灯が多数存在しているわけではないようなので元の世界以上にはっきりと月明かりと星明りが綺麗だった。
 無言のまま頭の中では今日の出来事を反芻していた。
 突然の出来事が続いた一日だった。
 今までの生活がすべて崩れるような一日だったのだ、正直整理できるような一日ではない。
 朝からの出来事を思い出して、やけに冷静に今の現状を受け入れている自分にも気づいた。
 喚いたところでどうしようもないからかもしれない。
 元の世界に未練がほとんどないからかもしれない。
 こういう世界での生活を妄想することがよくあったし、憧れていたからかもしれない。
 ――自分の中の血が本来あるべき場所に帰ってきたかもしれない。
 そこまで考えてから、怜音は自嘲気味に笑ってしまった。
 こんなこと言っていたらまた親友に呆れた目で見られてしまうな。
 それから怜音は親友の事を考えた。
 今頃どうしているだろうか。
 突然、俺が消えて焦っているだろうか。
 いや、アイツの事だ、それはないだろうな。
 そうだ、昨日の夜、遊ぶ約束をしてしまっていた。
 怜音からまた表情が消える。
 月と星を見上げたまま、動かない。
 数十秒そうしていた後、また怜音に表情が戻った。
 「……悩んでも分からないことが多すぎてどうしようもねぇな」
 怜音は言うと同時に立ち上がった。
 こんなところに居てもしょうがない、そろそろ帰ろうか。
 立ち上がって伸びをしていると背後に人の気配を感じ、振り返った。
 見知ったメイド服が目に入った。
 「……えっと、何か用でしょうか?」
 そこにいたのはアメリアだった。
 「クオン様の部屋に案内されたと聞いたのでそちらに行ったのですが、居なかったので探しました」
 アメリアはそう言うと、手に持っていた一冊の本を怜音に差し出した。
 怜音が戸惑いながら自分を指さすとアメリアが頷いた。
 大人しくその本を受け取る。
 ある程度ずっしりとした重さが怜音の腕に伝わる。
 本は黒い革の装丁がなされており、頑丈そうだった。
 表紙を開くと手書きの文字が見えた。
 文字自体は見覚えのないものであったが書体はどこか見覚えのある懐かしい文字だった。
 そのまま文字を注視しているとなんとなくその内容を知ることが出来た。
 それは日記のようだった。
 そして、その著者の名前を見て、もう一度文字を見返して怜音は確信を持った。
 「……あぁ……父さんの字だ」
 数少ない両親の残した形見の一つ、怜音が枕元にいつも置いていた両親と幼い自分の写った写真。
 その写真の裏に父によって書かれた父の名前と見知らぬ文字があったことを怜音は知っている。
 「クオン様の所持品でその日記があることを思い出したので、何かの参考になればと思ってきたのですが……。やはり、あなたがクオン様の――」
 アメリアはそういうと怜音の顔をじっと見つめた。
 それから、その表情が曇った。
 「……ということは……クオン様はもう――」
 「……」
 怜音は返す言葉が見つからず、黙った。
 父の死を怜音はほとんどあとからの情報でしか知らないのだ。
 「……すみません」
 表情の曇ったアメリアに対し、怜音は不安な表情をしていたのかアメリアが謝罪した。
 しかし、その表情は未だ晴れていない。
 「……」
 「……」
 「……あなたの話を聞きました」
 沈黙に耐えかねたのか、アメリアが口を開いた。
 「あなたも両親を幼い時分に無くされたそうですね」
 「も?」
 疑問を口にした怜音に、アメリアが答えた。
 「はい。私の両親も私が幼い頃に亡くなってしまいました。両親が居なくなって、ひとりぼっちになった私を育ててくれたのが父の親友だったクオン様でした。クオン様は大変優しい方で私にいろんなことを教えてくれました」
 自分は何も知らないが楽しそうに話すアメリアから父がどんな人物だったのかはうかがい知れた。
 それから、またアメリアの表情が曇る。
 「……クオン様はもういらっしゃらないんですね……」
 「……そういうことになります」
 自分が謝るべきなのか、何か声をかけるべきなのか、怜音はそれ以上の言葉を言えなかった。
 またしても沈黙が続いた。
 数十秒の沈黙のあと、アメリアがポツリと呟いた。
 「――あなたが何者なのか、知ることが出来てよかった」
 「え?」
 「失礼いたしました。夜分遅くにこんな空気にしてしまって」
 アメリアはそういうと腰を折り、頭を下げた。
 怜音はあわててそれを制止する。
 「い、いえ、こちらこそ、こんな資料を届けてもらってすいません」
 そういって怜音は貸して貰った日記をアメリアに差し出した。
 しかしアメリアは首を横に振った。
 「そちらの日記はあなたに預けます」
 「え? いいんですか?」
 「おそらく持つべきはあなたでしょう。ぜひこちらの世界にいた時のクオン様を知ってください。そしてあなたの成すべきこと、成したい事が見つかる役に立てば幸いです」
 そう言ってアメリアは一歩後退り、お辞儀をして、振り向き、城の方へ歩き始めた。
 「あ、あの!」
 歩き出したアメリアを怜音は呼び止めた。
 アメリアが振り向く。
 「あの、その……今度、アメリアさんの知ってる父さんの話、ぜひ聴かせてください」
 怜音の言葉にアメリアは一瞬驚いた後、花が咲くような微笑みを浮かべた。
 「はい。ぜひ聴きに来てください。いつでもお待ちしております、レオン様」
 アメリアは再び歩いて、城の中に消えていった。
 怜音はしばらくその場から動けないでいた。
 自分の素性がわかったから、ではない。
 星と月の明かりに照らさて微笑んだアメリアの顔があまりに美しく、見惚れていたから――。
 しばらくして動けるようになった怜音はその場に再び腰を下ろし、また夜空を見上げた。
 「自分が何者か、はわかったけど……成すべきこと、か」
 怜音はしばらくそのまま自問自答を繰り返した。

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