魔王の話 3
(どうにもクオン様に関係することだと頭に血が上りすぎる。いらない脅しまでしてしまった。あの少年に謝罪しなければならない。冷静に考えれば、今この城の内部に忍び込んだところで大した悪さはできないはずだ)
メイド姿の女性、この城のメイド長を務める女性――アメリア・アストレアはお盆に乗せた紅茶の入ったティーポットとティーカップ、それとお茶請けのクッキーを運びながら先ほどの怜音に対する自分の態度を反省していた。
(それにカールさんにもお礼をしなければ。おそらく、私の頭に血が上っていることを一目で見抜いたのだろう。あの人にはいつも頭が上がらない)
アメリアは考え事をしながらも、一切姿勢を崩さず凛とした佇まいのまま魔王城のだだっ広い廊下を歩く。
彼女が通り過ぎるたびにメイドたちはアメリアに丁寧にお辞儀をする。
それに対しアメリアも目線と頭を下げることで返した。
自分の周囲に対しメイド長として気を配りながら思考を続ける。
(あぁ、よく考えればあの少年の名前すら聴いていない……。尋問する側として最低ですね)
自嘲しながらも歩みは止まらず、カールと怜音のいる部屋の前まで到着する。
ふぅ、と一呼吸して今度は冷静に対応できるように準備し、お盆を片手に乗せ直し、空いたもう一方の手で扉をノックした。
怜音の目の前に紅茶が入ったティーカップが置かれた。
続いてカールの前に。
それからアメリアが怜音に砂糖を薦めた。
怜音はそれに従い紅茶に砂糖を入れる。
無性に甘いものが欲しい気分だった。
カールが紅茶に先に口をつけ、怜音を促した。
怜音もカールに倣い紅茶に口を付ける。
甘い液体が喉を通り、頭に広がっていくような感覚を覚えた。
二人が紅茶に口を付けている間にアメリアが自分の分の紅茶を注いだ。
注ぎ終わった辺りで、視線を泳がせていた怜音と目が合った。
怜音が気まずさから目線を逸らす前にアメリアが口を開いた。
「その、先ほどは申し訳ございませんでした」
怜音に対し、アメリアが頭を下げ謝罪した。
「あ、いえ、こちらこそ、その……」
怜音がしどろもどろアメリアに何か言葉を返そうとするが、何も出てこなかった。
「いえ、こちらの不手際で必要以上の脅しをしていました。申し訳ございません。私はアメリア・アストレアと申します。以後お見知りおき下さい」
アメリアは今度は先ほどよりもさらに丁寧に、深くお辞儀した。
「あ、どうも。茉莉木怜音です」
アメリアの丁寧な仕草に対して怜音は苦笑しながら頭を下げることが精一杯だった。
何処かぎこちない二人の様子をカールは相変わらず柔らかい笑みを浮かべながら眺めていた。
「さて、レオン君ここまでの話は分かったかい?」
会話を区切るようにカールが怜音に問いかけた。
「いやぁ……、呑み込めないですね」
アメリアが来るまでの間、カールは様々なことを怜音に説明した。
この世界が人間界と呼ばれる人間たちの多く住むエリア、魔界と呼ばれる魔族が多く住むエリア、未踏破エリアに分けられていること。
魔界エリアはさらに三つのエリア――魔人の魔界、龍族の魔界、悪魔の魔界に分けられていること。
それぞれのエリアに魔人の魔王、龍族の魔王、悪魔の魔王がいること。
この世界には人間以外に魔族と呼ばれる種族などが暮らしていること。
魔族にも様々な種族がいること。自分たちも人間ではないこと。
などである他にも細かい説明をされたが怜音が覚えていられたのはこのぐらいが限界であった。
説明のほぼ全てに突っ込みどころがあったし、正直すぐには受け入れられそうもなかった。
「まぁ、ゆっくり飲み込んだらいいよ」
カールは優しく微笑んだ。
「しかし、子供でも知っているような常識を伝えてるだけなんだけれど……。うーん、嘘はついていないようだし、そもそもこんな嘘を吐いても意味ないしなぁ……」
カールが唸りながら紅茶に口を付けた。
「それから君はいったいどうやってあのクオン様の部屋に来たんだろう」
「……」
「人間界の片田舎から魔法で飛ばされてきたとかなのかな?」
「それが一番信憑性がありますね」
カールの言葉にアメリアが同意した。
怜音の正体について相談する二人を尻目に怜音は目を見開いて思考が止まった。
耳馴染みはあるが、出てくるはずのない単語が会話に現れていたから。
「――まほう?」
「ん? ……もしかして魔法も分からないのかい」
今度はカールが目を剥いた。
隣にいたアメリアも目を剥いていた。
「え、あ、えっと、あの、魔法ですよね? あの魔法ですよね? あのー……」
二人の視線が怜音に集中する。
その視線が回答を催促しているようで余計怜音の焦りを加速させる。
頭が真っ白のまま、ほぼ独りでに怜音の口だけが動いていた。
「ゲームの中なら割と得意です」
怜音自身、訳が分からないことを口走っていた。
自分にとっても相手にとっても訳の分からないことを言ってしまった気まずさからカールの方に目を向けた。
呆れられてしまっただろうか、と思ったがカールは真剣な顔をしていた。
「……もしかして君は『放浪者』なのかい?」
『放浪者』――異世界からこの世界に何らかの原因で移動してきたもの。
十年から数十年に数人程度の『放浪者』がこの世界に移動してきていると考えられている。
移動の原因については様々な推測がなされているがこれといった原因は確定されていない。
放浪者の中には特殊な魔力を抱えているものいるようであるが、その存在が周知されていることが少ないこともあり、確認できる例はほとんどない。
また、放浪者が元の世界に帰れたのかどうかも分からない。
「つまり、君はこことは違う世界から来たわけだね?」
「そー……いうことになるんですかね」
怜音の答えに、それならあの知識の無さにも納得だと、カールが一人で頷いた。
一方の怜音は苦い顔をしながら目の前の紅茶を飲み干した。
空になったティーカップを置くとすかさずアメリアが紅茶を注いでくれた。
「いやー、まさか本物の放浪者をこの目で見ることになるとはなぁ。なんだか感慨深いよ」
カールが笑いながら言うと、アメリアも「そうですね」と同意した。
「でも、そうなると、君がこの城に召喚されてよかったよ。なんせ外に召喚されていたら魔物や魔獣、盗賊なんかに問答無用で殺されているだろうしね」
笑いながら放たれたカールの言葉に、怜音の背中からどっと冷や汗が噴き出した。
本当によかった、今こうしてゆっくりとお茶ができる状況に感謝した。
自分の正体がわかったためか、部屋のピリピリとしていた空気がだいぶ柔らかくなった。
また、怜音自身も自分がどういう状況なのかわかったため、先ほどまでより心にゆとりが生まれていた。
怜音はゆっくりと、新しく淹れてもらった紅茶に口を付けた。
口を付けたところでアメリアがお茶請けのクッキーを薦めてくれたので、ありがたく頂戴し、一口齧る。
美味しいクッキーであった。
程よい硬さと甘さが怜音の口に広がり、それだけでなんとなく安心できる味だった。
クッキーが怜音はそこで自分が朝ごはんも何も口にしていなかったことに気付く。
気付いたら小さな部屋に鳴り響く程度にはお腹が鳴った。
「……」
「……」
「……その、パンでもお持ちしましょうか?」
顔を朱に染めた怜音に同情したのか、微妙な空気を打破したかったのかアメリアがそう提案してくれた。
「……はい、お願いします」
顔を赤く染めたまま怜音はアメリアの提案を受け入れた。
怜音の返事を聞くとアメリアは立ち上がり、深々と礼をし、部屋から出ていった。
「いやぁ、しかし君ずいぶんのんびりだね」
「何がですか?」
カールがテーブルに肘をついて怜音を見ながら問いかけてきた。
怜音は空腹を紛らわすため残っていた紅茶とクッキーを胃に詰める。
「状況はわかったかもしれないけど、元の世界に帰れないかもしれないんだよ?」
「あぁ、そういえばそうですね」
本当に、言われてから気付いたという様にあっさりとした怜音の答えにカールは面を食らった。
てっきりもっと焦るかと思っていたからだ。
「いやぁ、こういう場合焦ったところで帰れるわけではないですから。……それに元の世界に未練ってほとんどないんですよね」
怜音は窓に張られた鉄格子の隙間から見える青空に視線を移しながら答えた。
茉莉木怜音に家族はいない。
怜音が三才になるころに両親は殺された。
相手はわからないが殺されたらしい。
当たり前だがそのころの記憶が怜音にはほとんどないし、両親の顔も写真の中でしかほとんど覚えていない。
その後、二、三年ほど親戚なのか親戚じゃないのかもわからないぐらいの血縁の者たちの家を転々とさせられた。
そのころの記憶は覚えている。
最悪だった、大人同士が自分の押し付け合いをしていた光景は今でもたまに夢で見る。
その後、小学校に入学するころに怜音は施設に移された。
施設も最初の二年程は各地を転々とさせられたが、小学校二年冬頃に回された施設で親友と出会った。
それからは各地を転々とさせられることもなくなり、親友と共にそれなりにまともに成長した、と思う。
怜音は幼い頃に両親を亡くしたことと、その後大変だったこと、それと親友がいたことだけしか語らなかったが、カールはその時の怜音の表情から何かを読み取ったようだった。
怜音が視線をカールの方に戻した。
「ほら、それになんか物語の主人公みたいじゃないですか。いっそのことこの状況を楽しもうかなぁ、なんて」
怜音は苦笑しながらカールを見た。
それを見て、カールは柔らかい笑みを浮かべた。
「失礼します」
ちょうどそこでアメリアがパンの入った籠を持って部屋に帰ってきた。
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