『おつかい』3

4/
 ヴェルニア・セラリタ。
 キルとドレが現在の拠点にしている街の外れにある、お世辞にも大きくて綺麗とは言えない小さな診療所の主である。
 女性でありながら医師として自立している稀有な存在である彼女であるが、その経歴は華々しく、帝都の医術学院をトップレベルで卒業し、その後、世界でもトップクラスの医療技術を誇る帝都の国立医院に勤務していた、という経歴を持っている。
 容姿端麗にして博学多才、正しく才色兼備を地で行くような人物。
 そんな誰もがうらやむような華々しい経歴を持つ彼女が何故このような辺境の街の、それも街外れの小さな診療所を運営することになったのか。
 答えは単純で、どんな世界であっても『出る杭は打たれる』からだ。
 華々しい経歴とはつまり、それだけ多くの妬みや嫉みの対象になる。
 その上で彼女は女性であり、典型的な男社会の中ではどれだけ嫌な思いをさせられたか、という事は想像に難くない。
 最初は国立医院から追い出され、いくつかの街の主要な病院を転々とさせられ、やがてこの街に辿り着いたがこの街の病院の態勢とは折り合いが合わず、遂には病院すらも追い出された。
 尤も、彼女はそこで折れるような人間ではなかった。
 もしそこで容易く折れてしまうような人間であれば、彼女が国立医院から追い出されるようなこともなかっただろう。
 彼女はもとよりか弱い女性ではなく、苛烈な人間なのだ。
 だからこそ角が立ちもするが、だからこそ決して自分を曲げることもない。
 この街の病院から追い出された彼女は、ならばと街外れに自ら診療所を建てた。
 病院と対立した理由は、病院が貴族相手の『商売』を医者の本懐たる『治療』よりも優先させていたから。
 彼女がそれを無視して貴族も平民もスラムに住む人々も関係なく症状の度合いによってのみで治療を続けた結果、折り合いが合わなくなったという経緯があり、病院を追い出されはしたものの彼女を支持するもの達も多く、今以って彼女の建てた診療所が解体されるような事態にも合わなかった。
 
 キルとドレがヴェルニアと出会ったのは偶然だった。
 この街のギルドでは医局担当を半年程度の任期でローテーションさせているのだが、キルとドレがこの街に流れ着いた当初、彼女が丁度ギルドの医局担当を兼任していた。
 ドレとしては下手な医者にキルを見させるよう要求されて、アレコレと詮索されるのが厄介な問題としてあったのだが、ヴェルニアは驚くほどあっさりと簡単な問診だけで済ませてくれた。
 多くの人間を診てきたヴェルニアからすれば脛に瑕があることなど気にするほどの物でもなく、『冒険者』なんて職業になれば尚更だった。
 ドレの態度から、キルへの虐待も疑ったが問診で問題があるような回答もなく、結果それだけで済ませた。

 ドレとヴェルニアの年齢が近しい事もあって、そこから関係は続いている。


5/
 「さて……、それでわざわざウチまで何の御用かな?」
 世間話をしながらヴェルニアが煙草を一本吸い終えると診察室に案内された。
 ヴェルニアはキルの対面の立派そうな椅子にドカリ、と座りながらそう訊ねた。
 ヴェルニアが妙にのんびりとしているのにはいくつか理由があった。
 まず患者が他に居ない事。
 つまり、忙しくない。
 朝早くに起こされたこともあり、休憩しようかと思ったところで丁度キルが来た。
 次に相手がキルだったこと。
 キルについては、ドレからあまり診ないで欲しいとやんわりと断られているし、実際病気やケガなどでキルがヴェルニアの元に来たこともなかった。
 先程の世間話をしている時にキルの反応を見てみても、特に変わった様子もなかった。
 それに1人で来ていたこともあり、ヴェルニアとしては遊びに来たのだろうか?と考えている程度だった。
 
 診療所には現在ヴェルニアとキルの二人しかいない。
 他に二人ほどいる従業員は丁度外に使いに出しているところだった。
 小さな診療所の診察室は南向きの大きな窓があり、昼間の光をよく取り入れる。
 気持ちのいい晴天が見えた。
 今日は随分と天気がいい。

 「……ドレが風邪引いちゃった」
 「……あぁ、それでキルがおつかいに来たのか」
 少し考えたあとヴェルニアがそう訊ねるとうん、とキルが自信満々に頷いた。
 キルの仕草に苦笑しながら頭を撫でてやる。
 「なるほどね。……アイツ、自分で来いよ」
 娘だか、妹だか、2人の関係について詳しく知らないが保護者なら子供一人でおつかいに来させるものではないだろうに。
 こういうところで、ドレとキルをどうにもよく理解できなかった。
 色々と言いたいことはあったが、ヴェルニアは机に挿してある真新しい診察表を1枚とって、机に向かう。
 胸ポケットに挿したペンを取り出して、インクを付けて、まずはドレの名前を書いた。
 「じゃあ、動けないくらいなのか?」
 訊ねるとキルは頭を捻ってから答えた。
 「……寝てた」
 キルの答えを聞いてヴェルニアが何やら書き込む。
 「熱はあったかわかる?」
 「…………」
 キルは考えた後に首を横に振った。
 わからない、という事だろう。
 ヴェルニアは額に手を当てた。
 ドレ本人がいないので、どうにも要領を得ない。
 どうしたものか。
 ほぼ白紙のままの診察表を前にペンを一回転させる。
 「……ドレの奴、なんて言ってた?」
 「薬貰って来てって……言ってた」
 「薬、ねぇ……」
 薬を欲しがったって症状がわからないまま適当に出すわけにもいかない。
 薬を貰わせに子供をよこす、というのはいかがなものだろうか、本人が来い。
 大人なのだからそのくらいわかるだろう。
 心の中で文句を言いってから、ヴェルニアは半ば書き殴るように診察表にペンを走らせた。
 『保留』
 書いてからヴェルニアは立ち上がって、座ったままのキルの頭をまた撫でてやる。
 キルがきょとんとした表情でヴェルニアを見上げた。
 「しゃあねぇから、あとで家まで診察しに行ってやる事にするよ」
 「……薬貰えない?」
 「まぁ……本人がいないとちょっとなぁ……。あ、でもキルが悪いわけじゃないからな」
 相変わらずキルの表情は読めないがフォローを入れておいて悪いことは無いだろう。
 元々は薬を貰いに来るおつかいだったので、それが達成できないとなれば多少なりとも不安にはなるだろう。
 「キルはおつかいでここに来て、医者を呼んできたんだから十分だよ」
 「……そう?」
 「ああ、もちろん。ドレもきっと喜んでくれるだろうよ」
 言って、また撫でてやるとキルの表情が心なしか明るくなった気がした。
 正直に言うと少しだけ嘘だった。
 多分、ドレにヴェルニアが来ることを告げると文句を言うだろう。
 基本的には人付き合いの苦手なドレは、当然他人と会う事も嫌いなわけで、それが突然の訪問となれば尚更の事だった。
 ヴェルニアもそれはわかっていたが、訪問することに決めたのは嫌がらせ半分というのがあったので、今更撤回するつもりもなかった。

 「さて、と」
 呟いてキルの頭から手を離してやるとキルも椅子から降りた。
 それを確認してから診察室を後にする。
 「すぐに行きたいところだけど、今は人が他に居ないし準備もあるから、少し時間が掛かるけどどうする」
 内ポケットから煙草を取り出しながら、後ろに付いてきているキルに訊ねた。
 「うーん……。……先にドレのとこに帰る。ドレ、心配」
 キルは少し考えてから先に1人で帰ることに決めた。
 ヴェルニアがまた待合室のベンチに座る。
 立っているキルと座っているヴェルニアで視線が合う。
 「大丈夫か?」
 「大丈夫……!!」
 キルはあっさりと答えた。
 実際、1人で来たのだから大丈夫だろう。
 「じゃあ、気を付けて帰るんだぞ」
 「うん」
 ヴェルニアは煙草に火を点けながらキルの背中を見送った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?