『ノイズ』
丁度ソロ用の音色に変えようと、複数のエフェクターが接続された足元のスイッチャーを踏んだ瞬間だった。
ジジッ!!と激しいノイズが、決して広くはない練習スタジオの個室に鳴り響いた。
演奏が止まり、三人が俺の方を見た。
そんな三人に俺が出来たのは、耳を貫くようなノイズを垂れ流したままのギターから手を離して、困ったように笑う事だけだった。
1/
練習はいったん中断になり、メンバー四人でロビーに戻った。
既に3時間ほど経っていたので、休憩も兼ねることになったからだ。
先程、ノイズを放った愛用の黄色いエフェクターをジェームズ・ハウアーに預け、ソファー座る。
ジェームズはスタジオの店主に話し、工具を借りて、さっそくエフェクターを分解し内部の点検を始めた。
いつも使っていて顔見知りのスタジオなのでこの辺りの話は早い。
俺たち以外に客がいないらしくカウンターでジェームズと店主が顔を突き合わせて楽し気に喋りながら作業を進めている。
「災難だったな」
二人の様子を遠目に見ながらソファーにボーっと座っていると先輩――久我健太郎(くがけんたろう)がコーヒーを持ってきてくれた。
ありがとうございます、と述べて受け取り、一口飲む。
適度な苦みと酸味が喉を通り抜けていった。
「アレ、ビンテージだっけ?」
先輩がジェームズ達の方を指差した。
黄色のエフェクターの話だ。
「一応はそうですね。台数自体は少なくないので、値段の方はそれ程でもないっすけど」
「あー、まぁ、金色のやつとかよりは、そうだよな……」
「アレは高すぎですよね」
思い浮かべたのは黄色いエフェクターの2倍程度の大きさの金色のビンテージエフェクター。
値段を思い浮かべて、先輩と顔を突き合わせて苦笑いしてしまう。
「お、なんの話だ?」
そんなこんな話していると、1人練習を続けていた椎名秋平もロビーに戻ってきていた。
「ビンテージエフェクターの話」
「ああ、お前のエフェクターも一応ビンテージだもんな。で、直りそうなのか?」
ジェームズの方を見る。
相変わらず楽しげに作業している。
秋平の方に視線を戻して、肩を竦めた。
「さあ、まだわからん」
「なんだ」
秋平は残念そうに言いながら、ソファーに座った。
一応、詰めて間隔を開けてやると、ソファーに身体を預ける様に寛ぎ始めた。
「直んなかったら、大変だな」
先輩がコーヒーを口につけてから、話題を戻した。
俺も先輩に倣ってコーヒーに口を付ける。
「そうっすねー……。アレが好みの音で、メインの歪みにしてるんで代わりを探すのも結構大変そうなんですよね……」
「直るにしても音変わるだろうしな」
秋平に指摘される。
「あー……、それ考えると嫌だなぁ」
楽器の類は些細な違いで音が変わってしまう。
たとえ聴いている側は気づかないような些細な違いであっても、弾いてる側で感覚的に違いがあれば音に大きな変化が出てしまう場合もある。
画一的に製造される工業製品のようなエフェクターであっても、個体間の差はあり、代わりを探すのも骨が折れる。
どうしたものか。
「キヨ」
悩んでいるとジェームズに呼ばれた。
どうやらひとまず決着がついたようだ。
果たして直るのか。
ソファーから立ち上がる。
2/
結論を言えば、元の通りには直らないだろう、という事だった。
自分で楽器の修理やエフェクター作成を行えるジェームズとスタジオの店主に言われたのでまず間違いない事だろう。
その上でジェームズが出来る限り元通りになるよう頑張ってくれるらしいので、彼にそのまま黄色いエフェクターを預け、店主から別の同じタイプのエフェクターを借りて練習を再開した。
それが昨日の話。
バンド練習の帰り際、修理に一週間ほどは欲しいと言われた。
一週間で直るのなら構わないのだが、実はバンド以外に大学のサークルの方でのライブが今週末にある。
あのエフェクターがメインの歪みだったので、そのメインが無いとなれば代わりを見つける必要があるだろう。
そう考え、翌日の今日、新たな機材を求めて楽器屋を巡ることにした。
「あ、風島先輩」
一日の講義を終えて、さぁ行こうと正門を抜けようとしたところでサークルの後輩に声を掛けられた。
「秋平先輩に聴きましたけど、エフェクター壊れたってマジっすか?」
情報が早い。
確かこの後輩は秋平と同じ学部だったハズなので、大方講義が被ったときにでも聴いたのだろう。
「早いな……。あぁ、昨日俺のバンドの練習中に急にノイズ吐くようになってな」
「あー、大変っすね」
「今はウチのギターに修理頼んでるとこなんだけどな、週末までに直んないらしくて……」
「えぇ!? 風島先輩、今週ライブ出るんですよね?」
「あぁ、だからこれから楽器屋で良さそうな機材を探してこようかなと思ってたんだけど……」
正門に着いたところで妙な人だかりが見えた。
その妙に男子学生の多い人だかりを見つけた時点で、事情を察してしまった。
「あー、すまん。じゃあ、そういう事だから」
「あ、はい。わかりました。週末楽しみにしてますね」
後輩と別れ、人だかりを抜けていく。
「お、キヨ。やっと来たか」
かくして、その中心にいたのは予想通りの人物であった。
遠くに人だかりを作っている元凶である琴占言海は、こちらに気付くと呑気に手を振ってきた。
美人は何処に居ても目立つものだ。
それは彼女の性質で、決して贔屓目ではないのは昔からよく知っているのだが、時々起こるこういう状況を見てしまうと改めて実感させられる。
俺が言海と合流したせいか、集まっていた人だかりは段々と散っていく。
「講義じゃなかったのか?」
「そのはずだったんだが、たまたま休講になってな」
軽く会話を挟んで、肩を並べて駅に向かう。
言海が現れたのは偶然ではなく、約束をしていたからだ。
今朝、言海からデートの誘いが入った。
互いにスケジュールを(大まかに)共有しているので、今週は今日を逃すと逢える時間が大幅に少なくなってしまうことに気付いたのだろう。
最初は断った。
先述の通り、今週大きく時間を取れるのが今日ぐらいしかなく、楽器屋巡りをする必要があったからだ。
今週末にライブがある以上、楽器屋巡りをやめるわけにはいかないし、選ぶ以上は良いものが欲しい。
と、なれば真剣に選ぶ必要があり、別段楽器に興味の無い言海を連れまわしても面白くないだろうと思ったからだ。
言海も用事があるのに文句を言うタイプではないので、納得するだろうと思っていたのだが、言海からの回答は珍しいことに付いていきたい、というものだった。
驚きはしたが、本人が来たいといっているモノを断る理由もないので、了承し、楽器街近くの駅で待ち合わせにしたのだった。
のだが、暇になったのでわざわざ迎えに来たのだろう。
駅のホームに出たが、丁度前の電車が出発したあとのようだった。
今は人も疎らだが、少しづつ増えていく。
もしかすると寂しいのだろうか?
電車を待っていて、ふと思った。
言海が珍しく付いてきたからだ。
それとも仕事の方がうまくいっていないのだろうか?
なにかしら無理をしているシグナルが無いか、それとなく隣の彼女の顔色を窺ってみる。
長い付き合いだ、些細なモノであっても、そういうものを見逃すことは無い。
しかし、どうにもそういった様子は見られない。
楽しそうな表情の言海が見えるだけだった。
ふと、目があった。
その一瞬で、きっとこちらの心配も見抜かれただろう。
なんせ長い付き合いだ。
「なんで、珍しく付いてきたんだ?」
観念して、素直に本人に伺う。
いつの間にかホームは人で溢れていて、音楽が流れ、電車がやってきた。
電車がゆっくりと目の前で止まった。
「あぁ、来週から物書きの方で忙しいから今週中に逢いたかったんだ。それだけ」
言海は悪戯っぽく笑った。
どうも、彼女の手のひらの上で転がされたのかもしれない。
文句でも言おうか、と内容を考え始めたところで目の前の扉が開き、後ろから迫る人ごみによって思考と身体が押し込まれた。
これから真面目にエフェクターを吟味しなければならないのだが……。
未だに笑っている言海の表情や押し込まれた思考で、頭にもノイズが走ったような気分だった。
完
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