見出し画像

福島県で木工作家と教育委員会のお仕事をされている原田秀司さんへのインタビュー

今回は福島県只見町にて福島県で木工作家と教育委員会のお仕事をされている原田秀司さんに取材させていただきました。

原田さんとお話していて感じたのは、好きなことから偶然から生まれるキャリアがあることです。さらに、自分を伝えるために人とコミュニケーションを取る意識の大切さも感じました。

自分の好きなことや気になることをしていると、どこかのタイミングで偶然仕事につながる瞬間があります。一方で、それを人に伝えることには意識的な努力が必要です。意識せずやることと意識してやることの両方の大切にする姿勢があると仕事になり収入にもつながることを今回学ばせていただきました。

以下、インタビュー記事です。

佐藤:本日はお時間をいただきありがとうございます。まずは、今までどんなお仕事をされてきたのか伺ってもよろしいでしょうか?

原田:昔から今に至るまで自分の好きなことを中心に生きてきて、それがそのときどきの仕事になりました。高校生まで福島県の南相馬市に住んでいましたが、音楽に関心を持ったことがきっかけで、高校卒業後に上京しました。
都内では、音楽活動をすると同時にバイクにもはまりました。10年で購入したバイクは50台ほどで借りたバイクを合わせたら160台くらいになります。そういったことをしているうちに、バイク便やレース活動などバイク関連の仕事をするようになりました。当時はバブル経済の時代だったのですが、バイクのお仕事の実入りはよく、あまりキャリアについて考えることはありませんでした。

画像6

佐藤:元々は音楽がお好きで都内に上京されたのですね。以前にIT関係のお仕事を長くされていたとお話を伺ったことがあった記憶があるのですが、IT関係のお仕事に就かれたきっかけは何だったのですか?

原田:バイク便の仕事ではコンピューターの関連の機材を運搬することが多く、それがきっかけでコンピューターに関心を持ちました。パソコンのゲームに面白さを感じて自分でパソコンを使えるようになると同時に、デザインにも関心を持ったことがきっかけで、マックのフォトショップを知り、独学で学びました。
バイクでの仕事はその日暮らしで楽しかったのですが、結婚を機に他の仕事を探すようになりました。当時、PCとマックの両方が使える人が珍しく、IT関連のデザイン会社とご縁があり就職しました。これが、IT関係の仕事に就いたきっかけです。
その後、独立して福島に戻りフリーで仕事をしていましたが、前職の会社で東北地方にも拠点を整備する話が持ち上がり復職、東京と東北地方を行ったり来たりする、今でいう二拠点生活のような暮らしになりました。仕事は大変でしたが、土日は福島の実家でゆっくりできるので、リフレッシュしやすかったです。

画像3

佐藤:バイクのお仕事でコンピューターとの出会いがあったのですね。バブルの時代からずっと時代のトレンドに乗ったお仕事をされてきているのだなという印象を持ちました。そこから、今のお仕事に転職されたのはこちらも何かきっかけがあったのですか?

原田:ITの仕事をしている最中の2011年に東日本大震災で被災しました。原発事故の関係もあり、震災後は妻の実家のある只見町に住むことになりました。子どもは祖父母の家から学校に通うなど、1年くらいは家族がバラバラになる生活が続き大変でした。そういう生活をしていくうちに、仕事中心の生活に疑問を感じ、ITの会社を退職して今は只見町の教育委員会のお仕事と地元伝統産業である木工の仕事を始めました。

画像3

佐藤:そこで木工のお仕事も始められたのですね。地元のお仕事ということもあるかとは思いますが、あえて木工を始めようと思われたのはどうしてですか?

原田:都内で仕事をしていた時分から音楽活動をしていましたが、震災後に心のよりどころとしての音楽活動の割合が大きくなってきました。元来、モノづくりが好きな性格なのでギターを作りたいという衝動が常にありました。木工への憧れも音楽の延長からだと思います。

佐藤:原田さんはキャリアについてあまり考えたことはなかったというお話ですが、今までされてきたことが全て結果的にはつながっている気がしました。また、転機で出会われた方とのご縁も大きかったのではないかと思いました。原田さんにとってキャリアとは何ですか?

原田:私にとって、キャリアとは「痛みの蓄積」です。バイク便の仕事ではバイクで骨を折る怪我をしてしまいましたし、ITのお仕事でも何かと痛みを感じることがありました。実際に体験し痛みを感じることが、次のキャリアに繋がってきたように思います。
痛みという点では、今の木工の仕事で機材を使う際に骨を折ったことがあります。木工の仕事では、子ども向けに木工細工づくりの体験ができるワークショップを開催することがあるのですが、その経験が生きています。木工細工では刃物の使い方など、実際にやってみないとわからないこと、危険なことがたくさんあり、「体験」することが大切です。小さい子どもさんは特にそうですね。

画像2

佐藤:キャリアを「痛み」という観点から考える発想は初めて聞きました。でも、確かに、原田さんのそれぞれのお仕事で「痛み」を感じる場面が出てきますね。体験といえば、上京した当時の都内での暮らしと今の福島県只見町での暮らしはとても対称的だなと感じたのですが、それぞれの生活にはどんな違いがありますか?

原田:都会生活と比べて今の生活はまるで外国での生活のようです。例えば、東京とニューヨークとでは、国の違いはあるものの両方とも都会的な暮らしをしている点は共通しており、違いは意外と少ないのではないでしょうか。
むしろ、国内の都会と地方の暮らしの方が相違点は多いです。地方に住んで生活をすると、自分1人でやらないといけないことがたくさんあります。都会に住んでいるとそれを想像するのが難しいですし、実際にやってみて初めてわかる苦労もあります。例えば、私が今住んでいる只見町では、登山道の草刈りを住民で行っています。

画像4

佐藤:登山道の草刈りまでされているというのは私も初耳でした。都会は便利過ぎて、身の回りで何かが起きているのか実感しにくいのかもしれませんね。都会と地方との違いから他に何か感じていることはありますか?

原田:都会の生活はよくも悪くも、お金で解決できることが多いですが、地方ではそうはいかないということを感じています。
今一部の方々の間でキャンプブームがあるようですが、「自然と触れて心が癒される」という側面に加え、自分で火を起こして食事を作るなどすることで「一人でも生きていける」という感覚を持つことができる点も大きいのではないでしょうか。
都会にいるとこういった体験がしにくいので、生活している実感が湧きにくいように思います。コロナウィルスが流行してトイレットペーパーの買い占めが発生することにも何か関係しているのかもしれません。

佐藤:お金の観点がお話に出てきましたが、原田さんのお金観など何かあれば聞かせていただいてもよろしいでしょうか?

原田:お金は若い時から無頓着で比較的自由に使ってきました。ただ、言えるのは、経済的な問題や将来のことで困ったら新しい人との出会いを求めることです。
例えば、私の場合だと、バイク便をしていたときは、フットワーク軽く動いて人に会いに行けるメリットを生かし、面白い社長さんとランチをする時間を意識的に取るようにしていました。一方で今では地方におり、なかなか対面で新しい出会いが作れないので、オンラインで人と話しやすい環境にも身を置くことを意識しています。
会うのは、特に目立つ人に会うのがいいですね。そういう人と会ったときは、いい質問をしようとするのではなく、好奇心から聞いてみたいこと、疑問に感じていることを素直に聞くようにしていました。後は、そういう人と会うときは、自分がどうしてその人に関心を持ったのか、聞かれたらすぐに話せるようにすることなども大事だと思います。

画像5

佐藤:貴重なお話をたくさん伺うことができました。本日はありがとうございました。

原田さんのHPおよびSNS



この記事が参加している募集

お金について考える

これからの時代に必要な職業観とお金観について考えるヒントになる方や本について紹介しています。いろんなタイプの方を取材しているので、よかったらフォローお願いします。