見出し画像

【実話怪談】ヨネヤマサトシ

数年前の年末のお話です。
珍しく母と私たち兄弟全員が集まりました。
私たち家族は父が死んだ後、それぞれがそれぞれの道を歩み、各々が別々の場所に住み、集まることがありませんでした。
仲が悪いわけではなく、会えば昔のように笑い合えるような家族です。
精神の深いところで繋がっているような感覚があるからでしょうか。どこにいて何をしていようと私たちは家族で、だから会うことにこだわりはありませんでした。
母は父の死後もどういうわけかあちこちに引っ越しを重ねる人だったので、私たち兄弟には実家がありません。強いて言えば母がいるところが、実家なのかなぁと思います。

一度母に、何故そんなにあちこち移動するのか聞いたことがありました。
母は笑いながら、
「色んな所に行くのが、私の人生なの。」
そう、言いました。

あの年は、確か兄が「そういえば俺、結婚した。」と事後報告してきた年でした。
姉も弟も妹そうでしたが、結婚はそんなに大したことのない出来事なようです。私にとってもそうなので、そのあたりは兄弟だなぁと思います。

みんなそれぞれに家庭を持って、なんとなくようやく集まる運びになりました。
温泉宿に集った私たちは、賑やかに過ごします。お夕飯で一同に会し、宴会の後半は兄弟だけが残りました。
今思うと、滅多に集まらない私たち家族に、周りが気を遣ったのかもしれません。
母は温泉が好きで、宴会は早々に切り上げそそくさと入りに行ってしまいました。相変わらず、じっとしているのが苦手な人のようです。

兄がふいに話し始めました。
「小学生ぐらいのことって覚えてるか?俺は正直、あの頃を振り返ってあんなことあったよな、とは思うけど……。頭の中に出てくる思い出が、みんな上空から見下ろすようなアングルんだよなぁ。自分の姿もバッチリ入っててさ。偽物の記憶なのかな。」
それを聞いた姉が言います。
「それはさ、やっぱり引っ越し多かったし、人付き合いとか達観してたからじゃないの?」
私も言います。
「引っ越す度に人付き合いやり直しだからね……。」
言いながら、急に脳裏に小学生時代のことが浮かびました。
「あ!私覚えてるよ、兄ちゃんの友達のこと。長野にいた時の!」
今思うと、自分の友達もうろ覚えなのに、何故あの時鮮明に兄の友達が浮かんだのか、本当に不思議です。

兄の友達。
それは長野県にいたときの登校班の班長で、6年生でした。兄は所属するマーチングバンドの朝練で先に行くので、登校班には居ません。
集合場所に誰よりも早くいた兄の友達は、ユニークでいつもみんなを笑わせてくれます。当時流行っていたセーラームーンのモノマネをしては、下級生を喜ばせてくれました。名前は確か……。

「ほら、ヨネヤマサトシくん!」

そうだ、間違いない。ヨネヤマサトシ。
口に出した途端、なんだか変な空気になったのを感じました。

「ヨネヤマサトシって、俺の友達じゃないだろう。確か姉ちゃんの同級生だっただろう。」
「え?ヨネヤマサトシはあなたの担任の先生だったでしょう?」
「ヨネヤマサトシって……あの、近所に住んでた幼稚園の子だよね?」
「ちょっと待って。長野じゃなくて、富山の時にお世話になった俺の先輩でしょ?」
各々が口にします。

兄は、姉の同級生と主張して譲りません。
姉は、兄の担任の名前だと言います。
妹は、当時よく遊んだ近所の子どもだと言うし。弟は、中学時代お世話になった自分の先輩だったと言うのです。

私はというと、とてつもない違和感を感じていました。そもそも、私が人の名前をフルネームで覚えているなんて滅多にないことです。
「俺はお前の兄ちゃんの友達のヨネヤマサトシだよ。」なんて自己紹介を何度もされたなら話は別ですが、そんな記憶はありません。
必死に記憶を辿ります。
ヨネヤマサトシは……ある日急に、登校班のリーダーが持つ旗を振りながら、下級生を引き連れて、全く違う道を歩き出したことがある。私が「違うよ。」と止めても聞かず、いつものユニークさで下級生を笑わせながら。あの後どうなったっけ……。

「埒が明かないな、みんな同姓同名の別人だったんじゃないか?」兄が言いました。
「そんな偶然ある?」姉が突っ込んだところで、弟が口を開きました。

「ヨネヤマサトシ先輩は、この辺に大きな傷があったよ。火傷だって言ってた。」 

右の口の端を指差しながら……。
それを聞いた途端、鳥肌が立ちました。

いや、だって、それは。

「私の知ってるヨネヤマサトシも、同じところに傷があったよ。」
姉が言い、兄も妹も、もちろん私も。

記憶の中のヨネヤマサトシは、口元に傷があったのです。

「あら、ヨネヤマサトシさんって……お父さんの、数少ない友人でしょう?」

いつの間に温泉から帰ってきたのか。
現れた母の言葉に、一同が無言になりました。
「お父さんが死んだ時、連絡しようかと思ったんだけど、どこを見ても連絡先が見つからなくてね。『ヨネヤマサトシに会いに行ってくる。』って、昔、お父さんたまに出かけてたじゃない。ほら、北海道にいた時。懐かしいね。」
母は、のんびりとした口調で言います。
背筋がゾクリとしました。
私たち兄弟は、内心みんな同じことを考えていたと思います。
ただただ、気味が悪くて、父の名が出た瞬間に、この話はこれ以上深入りしないほうがいいような気がしてなりませんでした。

嫌な沈黙を打ち破ったのは、姉でした。
「ヨネヤマサトシ、さんは……どんな人だったの?」
母はキョトンとして言います。
「そういえば、見たことは無いねぇ。島の人(※当時北海道の島に住んでいた。)とはみんな顔見知りだったけど……。お父さんの、大学時代の友人かな。それがどうかした?」
明るく言う母の顔を見て、私はなんだかほっとして、「なんでもないよ。ほんとに懐かしいね、北海道にいた頃。」そう言って、話題を変えました。
それから、私たち家族がおそらく最も穏やかに過ごしたあの島での思い出を語り合います。
もう誰も、ヨネヤマサトシの名前は口に出しませんでした。

このお話はここでおしまい……と、言いたいところですが、後日談があります。

北海道にいる、父の姉にあたる叔母と電話をしていたときのことです。
私はふと思い出して、「そういえば、ヨネヤマサトシさんって人、叔母さん知ってる?」と何気なく聞きました。
叔母はしばらく沈黙し「ヨネヤマサトシに会ったの?」と言います。
なんとなく張り詰めた空気を感じて、やや緊張しながら「私たち兄弟は、みんな会ったことがある。」と言うと、「口元に傷がある子でしょう。」ため息交じりに叔母が言いました。
「1度会ったなら、もう出ないから忘れなさい。」事情を全てわかっているかのような叔母の言葉に、ゾッとしました。

『ヨネヤマサトシに会いに行ってくる。』

父は、ヨネヤマサトシと会って、何をしていたのでしょうか。

これは私の実話です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?