【実話怪談】山釣り
〈第十七話〉
私がまだ、北海道の小さな島に住んでいた時のお話です。
父は山が好きな人でした。休日になるとよく、私たち5人兄弟のうち上の3人を連れて山に行きました。
姉、兄、私の3人で、父に連れられ道なき道を進み、たけのこやボリボリ(一般的にはナラタケ)、タラの芽などの山菜を集めていたものです。
今思うと不思議なことに、父はどんな山でも登山道を歩かず、藪の中を進みました。当然進むのが困難なはずなのですが、歩きにくかった記憶が一切ありません。そして、迷うこともありませんでした。
あの日は秋口で、雪虫も飛び始めた時分でした。
父が「山へ釣りに行く。」と言い、いつものように上の子ども3人を連れ、山に入りました。
ある程度深くまで分け入った時、緩やかに流れる澄んだ川がありました。その川の付近で母の作ったおにぎりを食べ、さて、釣りをしようとなりました。
母が持たせてくれたアオイソメ(魚の餌)のタッパーを開けると、父は「それでは釣れない。」と言い、その辺の石をひっくり返して虫を捕まえました。
「山の魚は賢いから、山にいるものでしか釣れない。」
そう言いながら手早く釣り針に虫を刺して投げると、すぐに魚が食いつきます。
釣れる姿を目の当たりにしてテンションが上がった私たち兄弟は、それから競い合うように虫を集めて、沢山の魚を釣りました。
後にも先にも、あの時の釣り以上に釣れたことはありません。
充分な釣果を得ていざ帰る時になり、急に甲高い鳥の鳴き声が響きました。
ギャー!シャー!というような、耳障りな音です。
「うるさいな。」と兄が顔しかめ、姉も耳を塞いで不安そうな顔をしました。父は、眉根を寄せ「面倒なことになったな。」と呟きます。そして、来る時とは違う道をゆっくり歩き出しました。
「離れずについてきなさい。」そう言ってゆっくり、明らかに山を登る方に歩みを進めます。
「帰らないの?」と思わず聞くと、「今は無理だ。」と父は静かに言い放ちました。
こういう声色の時は、それ以上話をしてくれないとわかっていたので、兄弟みんな何も言わずに父について行きます。
ギャー!シャー!
けたたましい鳥の声が、森に木霊(こだま)しました。
どのくらい歩いたでしょうか。
「吊り橋……?」姉が、目を見開きます。
目の前には崖があり、向こう岸まで続く、今にも崩れ落ちそうな吊り橋がありました。
ロープは張られているものの、どう考えても渡るのは不可能なように思います。
父はそこで歩みを止め、私たちに向き直り、こう言いました。
「行ってくるから、待っていなさい。」
これにはさすがの私たちも全力で止めました。
こんなものは、乗ったらすぐに崩れ落ちてしまう。
しかし父は静かに言います。
「大丈夫だから、待っていなさい。もし、戻ってこなかったら……。」少し思案するような表情になり、言葉は止まりました。
そして、姉だけを呼び、なにやら耳打ちをします。
姉は「え?」と声を上げましたが、父はそれからすぐに吊り橋を渡り始め、見えなくなっていきました。
残された3人は、身を寄せ合い待つほかありません。
ギャー!シャー!
相変わらず、けたたましい鳥の鳴き声は聞こえています。
「さっき、父さんなんて……?」
兄が、姉に聞きますが、姉は青い顔で首を振り「わからない。」と呟くだけです。
「どうするの?これから。」頭の中は、これからどうなるのだろうという不安でいっぱいでした。
1時間ほど経過して、不安がピークに達した時。
ギャー!シャー!
と、あれだけうるさかった鳥の鳴き声が、急にピタリと止まりました。
唐突に静かになったので、思わず辺りを眺めます。
鳥……そういえば、鳥は、どこにいたのだろう。
そして。
「母、さん……?」
兄がそう言って凝視する視線の先に、いるはずのない、母がいました。
弟と、妹はいません。
まだ小さく、預ける先もないはずの、下の2人の顔が頭をよぎりました。
「駄目!行かないで。」姉が私と兄の手を掴みます。言われなくとも、恐怖で体がすくんでしまい、全く動けません。
目の前にいる母親は、何かを食い殺したように口の周りは血だらけでした。更には大きく、白い獣のような、血だらけの何かを両手に抱えているのです。
そのうちに、獣の首が千切れ落ちました。
「わああああああ!」あまりのことに兄がパニックになり、叫びます。
これは、私の夢かもしれないな、そんなことを考えた時。
パンッ
と軽く手を叩く音がして、そちらを見ると、いつの間に吊り橋を渡ってきていたのか父がいました。
「帰るぞ。」
何事もなかったかのように言い、父が歩き出します。
兄も姉も、一気に夢から覚めたようになり、慌ててついて行きます。チラッと母がいた方を見ると、誰もいません。ただ、獣の死骸は落ちていたと思います。白い、あれは、猿のような……。
父はそちらを一切見ることなく、軽快な足取りで歩きます。今度はきちんと、来た道を戻る方向でした。
先ほどの川に着くと「半分返す。」と言い、父は釣った魚の半分を川に流し、手を合わせてからまた歩き出します。
さっき起きたことがまるで何もなかったかのように、いつも通り。
私たちは父になにも聞けず、あれはきっと夢だったんだと帰ってからしばらく言い合いました。
その日釣った魚は塩焼きになり、とても美味しかったことをよく覚えています。
その10数年後、父は亡くなりました。
葬式で家族が集った時、私はあの日の山釣りについて姉に聞きました。
ずっと、気になっていたのです。
あの時父が、姉になんて言ったのか。
姉は困ったような顔をして「言えない。」と最初は拒んでいましたが、必死に食い下がると諦めたように「意味は、わからないよ?」と前置きをして、言葉を紡ぎました。
『もし、暗くなる前に帰ってこなかったら、妹だけを残して山を降りなさい。』
父は姉に、そう、言ったのだそうです。
それが何を意味したのかは、わかりません。
結果的に父は、あの時帰ってきたのです。もし帰らなかったとしても、心優しい姉は私を置いてはいけなかったはずです。
今もたまに、秋口には何かが恋しくなり、紅葉狩りも兼ねて山登りをします。もちろん藪の中ではなく、登山道を。
これは私の実話です。
北海道の山が出てくるお話は、以下のお話にもあります。
ぜひ、こちらもどうぞ。
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