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#10 怪しく湿った爺さまたちの巣窟

 子どものころは風呂が嫌いで、一人暮らしのときもシャワーが多かった。いつの間にやら風呂好きになり、おっさんになってすっかりハマっている。家風呂はそれほどでもないけれど。

 「#3 暗く湿ったおじさんの居場所」で、「年4~5回入りたくなる程度のサウナ好き」と書いたが、訂正しておわびしなくてはならない。2月に北陸サウナの聖地、富山のスパ・アルプスに行ってから、月に5~6回、いやもっと入っている。すっかりサウナ大好きのおっさんになった。

 おもに通う施設は2つ。ひとつは爆風オートロウリュと冷えたバイブラ水風呂が売りの、新しいサウナ施設。家から離れており、電車か車で行く。年寄りもそれなりにいるが若者が多く、比較的すいている平日の日中に行くことが多い。

 もうひとつは、小さなスチームサウナを備えた昭和風情バリバリの銭湯である。「神田川」の雰囲気ではなく、もはや「昭和枯れすゝき」の世界だ。渋い。家から歩いて行ける距離で、合気道の稽古を終えた週末の夕方に行くことが多い。

 今回触れるのは後者の激シブ銭湯である。こういうのは固有名詞や地名を出したほうが面白いのだが、やめておきます。仮に「激渋湯」とします。

 激渋湯の創業がいつなのか、Googleで調べたくらいではその歴史はわからない。一見古びたモルタルの木造住宅のような、銭湯とも思えない地味な建物は、よく見れば怪しげに老朽化している。現在も営業しているとは知らず、昔はこんなところに銭湯があったんだなあ、と最近まで思っていたほどだ。

 内装も凝ったしつらえなどもなく、昭和レトロ好きの女性が喜ぶような趣はさほどない。ケロリンの桶が脱色し白濁するような古さといえば、なんとなく感じ取ってもらえるだろうか。ケロリンの文字も読めないくらいである。

 激渋湯は建物も古いが、何といっても客層が古い。どう見ても80代がほとんどだ。年寄り以外は全身に入れ墨をした兄さんくらいしか見ない。一度だけ子どもを見たことはあるが、若者はもちろん、中年もほとんど見ない。

 ここの特徴は、風呂の熱さだろう。備え付けの壊れた温度計は25℃を指しているが、ネット情報では、おそらく温度は44℃かそれ以上。湯船に身を沈めたら思わずうめき声が出る。まさに骨身に染みるといった感があり、高温サウナで鍛えられていなければ、すぐに飛び出してしまうところだ。これが気持ちよく感じられるようになるのだから不思議なものだ。年寄り人気の秘密はこの湯の熱さだろう。ジジイになるということはこういうことか、と痛感する。

 ここのスチームサウナも、狭いがとても雰囲気がよい。ほんのりと木の香りがして、やわらかなミストが心地よく、激渋湯の中でここだけは趣がある。さすがに温度は低めで、おそらく湯船のほうが熱いのではないか。天井から水滴が背中に落ちてくるのが難点だが、まあ令和の時代にドリフの全盛期を思わせる施設もそうはないだろう。

 水風呂なんてものはなく、ととのい椅子ももちろんない。熱い湯船→冷水シャワー→カラン前の風呂イスで休憩→スチームサウナ→冷水シャワー→休憩、の流れを2周くらいする。あっという間に1時間近く経過する。爺さまたちは、あまり長居はしない。コーヒー牛乳も魅力的だけど、さあ帰ってビールだ。

 脱線するが、最近は立派な彫り物をした方によく会う。一部ではなく全身。トレンドにうといんですが、はやりなんですか?

 興味があるので、「立派な彫り物ですね。よく見せてください」と声をかけたいのだが、やはりはばかられる。断りもせずジロジロ見るのもよくない気がするし、どうしたものか。そんなに悪い人じゃない気がするが、せっかくまわりを威圧するような彫り物を入れているのに、気軽に声をかけられたらいろいろ台無しになってしまうかもしれない、とも思う。

 よく見かけるようになったのは、たまたまなのだろうか。せっかく彫ったので見てもらいたいけど、入れ墨OKのサウナや銭湯があまりない。そんな場所があればぜひお披露目をしたい、ということで出向いている、という面もあるのでしょうか。さすがに邪推ですかね。自己表現はいろいろあっていいと思います。

 「大正野郎」(山田芳裕、講談社)で、背中に立派な彫り物をした粋な若い衆が、熱い風呂に入って締めに水をぶっかけるのを見て主人公が痺れるというエピソードがあった気がする。また読みたいが、Kindleで買いなおしてまで読みたいわけでもない。また閑話になった。

 スーパーではない銭湯が似合うおじさんになって、それはそれで気持ちよくて楽しいな、という話でした。(写真は、スマホのデータの中から「風呂」で検索したら出てきたものです)

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