20230701

雨の音で目が覚める。

一杯の水道水で喉を潤し、一杯の熱い珈琲で身体に刺激を入れてあげる。つい6時間ほど前に飲んだアルコールのせいか、気怠さが遠くの方で踊っている。とは言え、いつの間にかルーティン化した(してしまった)一連の動きは誰にも止められない。全自動運転システム作動。もはや自分の意思など介入する余地はない。次はトイレにいくぞ。ほら。次は歯を磨いて、テープを乳首に貼るぞ。ほうら、やっぱり。まるで誰かの生活を盗み見しているかのように傍観してしまっている。ほぼ毎日のように走っていても、「今日は走るのが少し面倒だな」と思うことだってもちろんある。そんな日はこの一連の行動を傍観しながら、ひとつひとつの行動を終えていくことにある種の恐ろしさを感じてしまうわけだ。例えば、珈琲を飲むというひとつの行動を終えるということは、玄関を開けて走り始めるという最終ゴール地点に一歩近づいたことになってしまう。もっと言うと、時間軸さえ取っ払ってしまえば、"一杯の熱い珈琲を飲む"ということと"走り始める"ということが同時に起こっているとも言い換えられる。そんなことを言ってしまえば、生まれるということは死んでいるという極論に至るわけだが。もちろん毎日そんな考えに支配されているわけではない。運良く、今日は特に何の感情も抱かず、いつものウエアに着替え、気づけば玄関でシューズの紐を結んでいた。少し異なることといえば、新しい靴下を卸したことぐらいだろうか。



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