「本当の自分」なんて存在しない?
今日は、子ども達を「自分らしさ」から解放しようという話です。
昔「知らぬ間に築いてた、自分らしさの檻の中でもがいてるなら、誰だってそうなんだ」という歌がありました。
まさに子ども達は「●●ちゃんらしいね」「○○君っぽく無いね」という謎の「らしさ評価」によって、どんどん檻をつくっていきます。
「1ヵ所で様々な分野を学ぶ」という教育スタイルで、色んなレッスンに参加する子ども達を見ていると、子ども達には「さまざまな側面」があることが分かります。
勉強系のレッスンの時と、アート系のレッスンの時はまったく別の顔をしたりしていますね。
同じ分野の授業をしていても、先生が違うだけで子どもの態度や表情が一変したり。
10年前くらいに、平野啓一郎さんという方が「分人」という概念を唱えました。
「個人」という単位ではなく、もう少し細かく分けた「分人」という単位です。
「個人とは、色んな分人の集合だ!」という考え方ですね。
僕ら大人も、会社の偉い人といる時と、幼馴染といる時とでは、決して同じ人間ではありません。
当たり前の話です。
でも、まわりの環境によって変化しちゃう自分が「主体的に生きたい」という願いと矛盾するためか、僕たちは、これを否定しようとします。
「もちろん、色んな顔はある。でもそれは表面的なことで『本当の自分らしさ』は、ちゃんとある。」
そして、その肝心の『本当の自分らしさ』がどこにあるのか分からないことに思い悩み、苦しんでいるんです。
僕自身も、ずっとそうでした。
でも、自分は一人じゃなくて「自分と誰か」の関係があって、はじめて「らしさ」が生まれる。
関わる人がたくさんいる事で、興味の対象がたくさんあって、自分らしさも沢山見つけられる。
「自分らしさなんて存在しない」という見方もできるけど「自分らしさは沢山あってよい」と捉えることもできます。
それも子ども達にとっては、将来の可能性を広げる意味でも素晴らしいことです。
パパやママも、是非「あなたらしくない!」という否定をするまえに、色んな子ども達の側面をゆるして、みとめて、広げてあげてください。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?