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『夜と霧』の中で大事にしたい、3つの言葉について。

『夜と霧』という本が好きで、以前読んでいたときにとっていたメモを見ていた。

その中でも、特に印象深かった3つの箇所がこちら。

つまり人間はひとりひとり、このような状況にあってもなお、収容所に入れられた自分がどのような精神的存在になるかについて、なんらかの決断が下せるのだ。
(p.111)

収容所に入れられていたのは、本の著者であるヴィクトール・フランクルさん。極限状態に放り込まれた、当の本人が心理学者だったため、その分析は実感と合わせて深く、興味深い考察に満ちている。追い詰められてもなお、自分の精神状態はコントロールできる、という分析は、ぼくらにとって希望でもあり、一歩間違えれば絶望でもある。

おおかたの被収容者の心を悩ませていたのは、収容所を生きしのぐことができるか、という問いだった。生きしのげられないのなら、この苦しみのすべてには意味がない、というわけだ。しかし、わたしの心をさいなんでいたのは、これとは逆の問いだった。すなわち、わたしたちを取り巻くこのすべての苦しみや死には意味があるのか、という問いだ。もしも無意味だとしたら、収容所を生きしのぐことに意味などない。抜け出せるかどうかに意味がある生など、その意味は偶然の僥倖に左右されるわけで、そんな生はもともと生きるに値しないのだから。
(p.113)

「わたしたちを取り巻くこのすべての苦しみや死には意味があるのか」──死と隣り合わせの状況で、そんな問いをもったフランクル氏。彼は別の箇所でこう述べる。

もういいかげん、生きることの意味を問うことをやめ、わたしたち自身が問いの前に立っていることを思い知るべきなのだ。
(p.130)

ぼくらが悩むべきものは何か。ぼくらがもつべき問いは何か。そのもちようでぼくらは動き、前に進むことができる。そんなことを『夜と霧』は教えてくれる。

生きる意味を問うのはやめよう。目の前の現実の意味が何かを自分に問いかけよう。ぼくらは常に問いの目の前に立っているからだ。フランクル氏の言葉の力強さには、折にふれて読むたびに、強く背中を押される。置かれている状況は違えど、彼のように目の前に現実に、向き合う姿勢をもちたい。

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