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心を動かされる珠玉のサントラ盤(10):「めまい」(バーナード・ハーマン)

「ドラマティック・アンダースコア」のサントラ盤を毎回紹介しています。

「ドラマティック・アンダースコア」とは、映画の中のアクションや、特定のシーンの情感・雰囲気、登場人物の感情の変化などを表現した音楽のことで、「劇伴(げきばん)音楽」と呼ばれたりします。

今回ご紹介するお薦めのサントラ盤は――


めまい VERTIGO
作曲:バーナード・ハーマン
Composed by BERNARD HERRMANN
指揮:ミュア・マシイスン
Conducted by MUIR MATHIESON
米Varese Sarabande / VSD-5759

“ヒッチコック・サスペンス”の名作

サスペンス映画の巨匠アルフレッド・ヒッチコック(1899~1980)が、1958年に製作・監督した、彼の代表作の1つ。出演はジェームズ・ステュワート、キム・ノヴァク、バーバラ・ベル・ゲデス、トム・ヘルモア、ヘンリー・ジョーンズ他。「悪魔のような女」(1955)等のピエール・ボワロートマ・ナルスジャックの原作『死者の中から(D'Entre Les Morts)』を基に、アレック・コッペルとサミュエル・テイラーが脚本を執筆。撮影はロバート・バークス。

屋上で犯人を追跡中、高所恐怖症のために同僚の警官を転落死させてしまい、刑事を辞めた“スコッティ”ことジョン・ファーガスン(ステュワート)。彼は、昔の学友ギャヴィン・エルスター(ヘルモア)から、夢遊病者のような奇異な行動をとる妻マデリン(ノヴァク)を尾行してほしいと依頼される。マデリンの行動をずっと観察していたスコッティは、突然サンフランシスコ湾に身を投げた彼女を救って自宅で介抱するが、その時に自分が彼女に惹かれはじめていることに気づく。よく夢に見るというサンフランシスコ南部の古い教会にマデリンを連れていくが、そこで彼女への愛を打ち明けたスコッティに、マデリンは「もう手遅れよ」と言って教会内の階段を駆け上がり、彼が眩暈を起して立ちすくむうちに、鐘楼から身を投げてしまう。しばらく後、ショックと自責の念からまだ立ち直れず、街をさまよっていたスコッティは、マデリンにそっくりなジュディという女性に出会う……。

理想的な監督+作曲家のコラボレーション

音楽を手がけたバーナード・ハーマン(1911~1975)は、アメリカの映画音楽史上で最も重要な作曲家の1人で、ヒッチコック監督とは、この「めまい」の他にも「ハリーの災難」(1955)「知りすぎていた男」(1956)「間違えられた男」(1956)「北北西に進路を取れ」(1959)「サイコ」(1960)「鳥」(1963)「マーニー」(1964)で組んでいるが、どのスコアもヒッチによる演出の重要な要素としてインテグレートされており、監督と作曲家の理想的なコンビと考えられていた(ハーマンはヒッチコックがホストを務めたテレビの「(TV)ヒッチコック劇場」(1963~1965)の一部エピソードも手がけている)。

「めまい」の冒頭、ソウル・バスのデザインによるカラフルで幻想的なメインタイトルに流れる前奏曲「Prelude」は、上下に繰り返すシンプルなフレーズに、高所恐怖症による眩暈の不安感を描写した主題が重なり、ドラマティックに展開していく。そのまま、屋上での追跡シーンのサスペンスフルな音楽「Rooftop」になだれ込む。

スコッティがサンフランシスコの街を徘徊するマデリンを延々と尾行するシーンの「Scotty Trails Madeleine」や、「"Farewell" and "The Tower"」「"The Nightmare" and "Dawn"」といった曲での、ドラマティックかつロマンティックな主題と重厚なサスペンス音楽を組み合わせたタッチが素晴らしく、美しさと不安定さが同居した極めてエモーショナルな音楽となっている。

特に、スコッティとジュディのラヴシーンを描写した「Scene d'Amour」は、繊細で美しい名曲で、抱擁しキスする2人の周りをゆっくりとカメラが移動して捉えるショットでドラマティックに盛り上がる。


劇伴音楽が映像にもたらす完璧な効果

ヒッチコック監督によるストレートにサスペンスフルな傑作「サイコ」の前半で、ジャネット・リー扮するマリオンが会社の金を横領して車で逃走する場面があるが、このシーンの組み立ては「車を運転するマリオンを正面から捉えたショット」と「彼女の視点から見た道路のショット」の積み重ねであり、これを試しに音楽なしで映像だけを見ると、さほど緊張感のない単調な印象を受けるが、ハーマンの音楽が付いたとたんに息苦しいほどの強烈なサスペンスに圧倒される。ドラマティック・アンダースコアが演出の重要な要素として組み込まれている、完璧な例だろう。

バーナード・ハーマンは、ヒッチコックが1966年に監督したスパイ・スリラー「引き裂かれたカーテン」にもスコアを作曲したが、激しい気性の持ち主であったハーマンは、ヒッチがこのスコアをリジェクトしたことで彼と衝突し、それ以来二度と一緒に仕事をすることはなかった。この作品では、製作会社のユニヴァーサルの音楽部門が、主題歌をヒットさせるために、ハーマンではなくヘンリー・マンシーニを作曲家として起用するよう、ヒッチに強いプレッシャーをかけていた。ヒッチはこれに反発し、敢えてハーマンを起用して、具体的にどういうスコアを作曲してほしいか細かく指示を出したが、ハーマンが作曲したスコアがこの指示を全く無視していたため、個人的に裏切られたと感じて激怒したという。

オスカーとの縁が薄かった巨匠

バーナード・ハーマンは、ヒッチコック監督作品以外にも、オーソン・ウェルズが監督した「市民ケーン」(1941)「偉大なるアンバーソン家の人々」(1942)や、レイ・ハリーハウゼンがストップモーション・アニメによる特撮を手がけた「シンバッド七回目の航海」(1958)「(未公開)ガリバーの大冒険」(1960)「(未公開)SF巨大生物の島」(1961)「アルゴ探検隊の大冒険」(1963)といったSFファンタジー映画に、独創的でダイナミックなスコアを提供している。

1941年に「市民ケーン」と「悪魔の金」でアカデミー賞の劇映画音楽賞にノミネートされ、後者で同賞を受賞しているが、その後1946年の「アンナとシャム王」でのノミネートから、1976年の「愛のメモリー」と「タクシー・ドライバー」でのノミネートまでの30年間は、アカデミー賞から無視され続けた。この間に彼が手がけた代表作が、同じくアカデミー賞とは無縁だったヒッチコック(監督賞に5回ノミネートされたが受賞はなし)とのコラボレーションや、そもそも作品賞の対象とはならないようなハリーハウゼン特撮によるSFファンタジー映画だったことを考えれば、無理もないだろう。

「愛のメモリー」

晩年のハーマンは、フランソワ・トリュフォー監督の「華氏451」(1966)「黒衣の花嫁」(1968)や、ブライアン・デ・パルマ監督の「悪魔のシスター」(1973)「愛のメモリー」(1976)、マーティン・スコセッシ監督の「タクシードライバー」(1976)等のスコアを手がけている。

「愛のメモリー」(原題名「Obsession」)は、当時ヒッチコックを意識したサスペンス映画を連作していたデ・パルマ監督が、「めまい」のプロットをベースにして製作した作品で、音楽にハーマンを起用したのも、明らかにヒッチの影響であろう(プロデューサーは“若手の”ジョン・ウィリアムスを使いたかったらしい)。ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団にコーラスを加えた、重厚で格調高いスコアは、ハーマンの晩年における傑作。彼は、ヒロインを演じたカナダ人女優のジュヌヴィエーヴ・ビュジョルドに惚れ込み、「めまい」のキム・ノヴァクよりも優れていると評価していたという。

この映画の編集を担当したポール・ハーシュが、インタビューで興味深いエピソードを語っている。ニューヨークでスコアのミキシングを終え、試写の後で灯がつくと、ハーマンは座ったまま5分ほど泣き続けていた。彼が重病であると知っていた皆は、その姿に心を打たれた(ハーマンは心臓病を患っていた)。外に出て、ハーシュがハーマンと一緒にタクシーに乗った後も、彼は泣いていた。ハーシュがハーマンの腕に手を置き、「とても美しいスコアでしたね」と声をかけると、ハーマンは彼の目をじっと見返し、こう言ったという。「あのスコアを作曲したことを、覚えていないんだ」

バーナード・ハーマンは、次作「タクシードライバー」のスコアのレコーディングを終えた数時間後、1975年のクリスマス・イヴに64歳で死去した。映画は彼に捧げられており、この音楽は彼のベスト・スコアの1つとなった。

==「めまい」についての追記==

※以下、「めまい」のネタバレになるので、未見の方はご注意ください

「めまい」の肝は、スコッティがジュディに初めて会って別れた直後に、ジュディの回想によってオチが全てばらされるところ。ヒッチは“謎解き”としてのミステリに興味がないことが、ここで明確になる(ミステリ映画として作るなら、最後までオチはばらさないはず)。ここでオチをばらすことで、ジュディはいつ真実をスコッティに打ち明けるつもりなのか、いつスコッティは真実に気づくのか、気づいた後にジュディをどうするのか、というサスペンスが生まれる(“サスペンス”こそがヒッチの本分である)。

スコッティが、ジュディのネックレスがマデリンのしていたものと同じだとわかって真実を突き止めた後は、「ジュディが自分を騙していたことにスコッティが気づいたことを、ジュディは知らないが、観客は知っている」という、別のサスペンスが生まれる(ラストで2人が車で教会に向かうシーン)。劇中の登場人物が知らないことを、観客は知っている、という状況からサスペンスは生まれるのである。

ヒッチが唯一ミステリのジャンルで撮った作品が、“倒叙もの”で最初から犯人も犯行の手口も明らかな「ダイヤルMを廻せ!」だったのと同様、この映画も後半は“倒叙もの”の形式になる。バーナード・ハーマンのエモーショナルなスコアのみならず、ロバート・バークスの幻想的な撮影、ソウル・バスのカラフルなタイトルデザインも第一級のアメリカン・クラシック。

映画音楽作曲家についてもっと知りたい方は、こちらのサイトをどうぞ:
素晴らしき映画音楽作曲家たち


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