第一話"結婚するなら「金か性格」"

つい、先日の話である。

私は友人9人と飲み会をしていた。まぁ地元にギャルが集まる居酒屋とやらだ。

そこで隣の席に4歳ほど年上の女性(27歳)がある話をしていた。

「ねーもし結婚するならどっちがいい?」

「手取り12万だけど、中身がいい男性」

「手取り60万だけど、性格が最悪な人間」

やるじゃんギャル。(これは決して偏見発言ではない。)

なかなかの哲学である。これは要するに、結婚に際して、性格を取るか、お金を取るかと言う哲学。

さて、哲学第一問。あなたはどっちを取りますか?


この哲学を考えるにあたって重要な事が三つほどある。そして大事な前提である。

前提として、

1.2023年の日本の経済情勢という事である。これがもし、時代が違えば、紙屑同然と言うこともある。

2.結婚した場合お金は家庭の物とする。尚且つ、性格と給与は変わる事がないとする。(実際問題、この点が一番難しい。性格も給与も変わるからだ。まぁ前提を合わす事が重要とした。)

3.性格が良い人、悪い人の定義

性格が良い=人のことを考えられる・優しい・誰にでもフラットに接する・人の話をよく聞いてくれる・穏やか・悪口や陰口を言わない・笑顔・おおらか

性格が悪い=自己中心的・弱い物いじめ・自分の責任を他人のせいにする・マウント取る・高圧的な態度・不幸を喜ぶ・機嫌によって礼節に欠ける・他人の悪口・攻撃的な態度で相手を傷つける

とする。これは、データを元に1〜10位ほどを羅列したものだ。

そして、三つの重要問題である。

・時代
・愛とお金の相違点
・自分が求める物

これを順に追って説明し、結論に辿り着こう。

まず時代である。現在、日本では資本主義社会であり、貨幣が何よりの権威を示している。例えば、車、家、食物などの憲法で補償すべき衣食住など実物をお金で整えることができる。はたまた、地域、名誉、権威まで見えない"力"をお金で手に入れる事ができる。

これは、憲法で定められる最低限の生活以上の生活を豊かにする事は間違いない事実である。

反対に、社会主義では、国がお金を分配する分、お金に対して少し違った見方に変わるかもしれない。ましてや、狩猟採集民族の場合、貨幣よりもその日の食事を追い求め、その日の生活を担保してくれる道具や力に重きを置くであろう。

このように、時代が違えば、お金の重要性は変わってくるであろう。

そして、資本主義により、資本が人間の欲求を満たす事ができると考える。

このように考えれば、手取り60万円の経済力はとても強い魅力に感じるのである。

さて、ここで問題が一つ。資本は本当に人間の欲求を満たし、幸せを導くのであろうか。

これは今も尚、根深い問題である。お金で全てが本当に買えるのかという第2の哲学である。そして、この問題の根源でもあると考える。

もし、お金で人間の欲求全て満たす事ができるならば、この議論に余地はなく、お金第一主義がほとんどであると考える。

しかし、実際は違う。なぜならば、お金では買えないものが存在しているからだ。

例えば、お金では買えない物=愛情だと言われている。

愛情も様々である。友情、家族、恋愛などに発生する。

よく逆説的に言われる事として、お金が有れば人が寄ってくるである。

デヴィスカルノ曰く
「お金が有れば、尊敬が生まれ、愛が生まれる。」

しかし、その愛はお金への愛であって、その人への愛ではない。

それは、固定観念でお金を第一優先に盲目的に考える一番愚かな人種である。(自分の中の議論を決着した人は除く。)

実際、お金が無くなれば愛が無くなるであろう。(前提とは外れた議論ではあるが。)

このように、フラットに客観的に見た場合、お金を保有しているからと言って愛情が生まれる訳ではない。

つまり、お金で愛情は買えないと言う事だ。
愛情は必要ないとの議論は受け付けない。(そのようなホモサピエンスを見た事がないので)

さて、長々と序論を話したがここで本題に戻そう。

「手取り12万だけど、中身がいい男性」

「手取り60万だけど、性格が最悪な人間」

この問題。お金と性格どちらを取るべきか。

いきなりだが、私の結論を話そう。

"その人の探究心による"

この一言に尽きる。まぁ簡単にいえば人によるってやつだww

僕自身も真剣に考えたが、流石に人によるしかない。いやマジこの結論しかないんじゃね(ギャル風)

どんなに前提を合わせても、生きている環境が違うもの。

だがしかし、この抽象度が高い結論を紐解いくことにする。

また疑問を投げかける。

皆は人生に何を求めていますか?

一般的な人間は"幸せ"と言う。しかし、その幸せとは何ですか?とも質問したい。

それは、友人と旅行・仕事・恋愛など全ての事に充足感を覚えている状態であろう。

しかし、この幸せにも前提が存在したいると考える。

それは、先述の通り、憲法の一文「健康で文化的な最低限度の生活」の上にこの幸せが成り立っているのだ。

ではでは、日本ではこの最低限が保障されているとして、この最低限度より少し上の生活している人にとってはお金という物は最大限の魅力に感じると思わないだろうか?

この水準の人にとって、お金は自分の欲求を満たす、一番重要な要素なのだ。

これは、資本主義が産んだ悪魔だ。これが、お金で愛が生まれる入り口となるのだ。(この場合愚かではない。なぜなら、この場合の愛は性格の不変を考えていないからである。)

そして、人によっては恋愛の入り口など様々なのである。その人にとっては、やはり性格よりも、お金を選んでしまう。これは悪でも善でもない。もし、これを恨むなら資本主義を恨むべきである。(決して資本主義アンチではない。ギャルピース)

日本の統計ではこのような世帯は18.5%と言われてる。約2000万人だ。この人数がこの議論のミソであり。綺麗事では無く、現実に目を向ける人達である。


一方で、最低限など超越した人間の多くは、性格の良い方を選ぶであろう。結婚して子供を授かったとしても、自分が最低限辺りに行かないと考えると性格の良い方に行くのは必然である。

そして、多分一番この議論に悩むのは中間層である。二人で結婚若しくは子供のことまで考えると最低限の水準に留まってしまう。そうすると、人はどうするか。この層は最終的に自分の最大限求める欲求に従うのだ。

その欲求はその人によって違う、なぜならば生まれた環境が違うからだ。

そして悩む。しかし、このマジョリティ層に一言哲学者として言うならば、あなたが一番に求める物は何ですか?=あなたに今足りていない物は何ですか?

それが、人間が求める幸せの答えかもしれない。

さて、これをギャルに説法したところで、釈迦よりもすぐ怒られると思うので辞めた。

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