「親の会」には経験知を共有知へと変換する役割もある

子どもが学校を休みがちになったとき、多くの保護者さんが苦痛に感じるものとして「毎朝の学校への欠席連絡」があります。

わが子が、行けるのか、行けないのか、朝になってみなくてはわからない、という見通しのなさ。やはりいけないか、という落胆。朝の忙しい時間帯という焦り。学校から自分が親としてどう思われているだろうか、という不安。子どもに何をしてあげればいいのかわからない、という無力感。つい子どもに不機嫌な感情を向けてしまった後悔・・・

そういう様々なネガティブな感情や考えがいっしょくたになった状態で親は学校への電話を掛けなくてはいけないんですね。

外からみれば、些細な行為にしか見えないでしょう。しかし、これが毎日重なると、そのたびにちょっとずつ重く、深く、保護者にダメージを与えるものとなってくるんです。

この事例に関して言えば「これからは登校するときだけ電話します」と言えば、それで多くの場合、対応してもらえます。そして、親としては、毎朝、様々な負の感情と向き合わなくてはいけないことからは解放されます。

さて、この知識(知恵かな)を僕はどうやって知ったのかというと、主催している「親の会」で、不登校の子どもさんをもつ保護者さんから教えてもらって、知りました。

NPOを立ち上げて不登校支援をすることになり、多くの不登校関連書籍を読みましたが、上の電話連絡の事例のように現場レベルでしかわからないことや、地域地域の学校慣行に合わせた対処法というのは、案外、本で学ぶのは難しいんですね。あまり載っていない。

では、その知識はどこにあるのかというと、わが子の不登校を経験した保護者の中にあるんです。保護者の方が心身を削りながら悪戦苦闘するなかで獲得した経験知。

実は「親の会」には、保護者がそれぞれの気持ちを吐露し、誰かの話を聞いて、相互に共感しあい精神的に楽になるだけではなく、各保護者が経験的に持っている知識を持ち寄り、集めて、別の保護者へと分けていく役割があります。そこに持ち寄られるものは、ある意味で「学校ハッキング集」とも言えそうなほど、非公式で、しかし実効力のある方法が多い。

同時に、普通、親の会は一般の参加者にはクローズドな会ですが、閉じられているからこそ各保護者は自身の経験を表に出すことができます。言い換えれば、親の会がなければ単にプライベートに内閉されるはずだった知識が、親の会を通して、固有性がはぎ取られ、それゆえ共有知へと変換されていくのです。

主催者として、多くの保護者の方の経験知を「共有知」へと変換し、社会へと流通させていかなくちゃいかんなと思いを新たにした11月です。

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