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学校の先生は、高級なファミレスの調理スタッフである。(随筆なやつ)

大衆向けの比較的高級なレストランがある。僕が住む町にはないが、きっと都会にはあるだろう。調理スタッフになるには2年以上その経験があるとか、調理師免許が必須とか、そういうところがね。イタリアンとかね。

大量のメニューをある程度のクオリティをもって提供することができるのが強みだが、迅速に提供する必要があるので調理済みのものが用意され、温めるだけのものがあったり、規格化されたパート、簡素化されているパートが調理プロセスの中にはあるはずである。

さて、あなたはそういうレストランで、あれこれと自分の好みに合わせた細かな注文を料理人たちに要求するだろうか。

おそらくはしないだろう。なぜなら、そこの料理人は、星付きのレストランのシェフでもなければ、あなた専属のコックでもないからだ。あくまでいくつかの選択肢の中から、「それなりにハイクオリティ」のものを、比較的短時間で食べられる場所である。(でしかない。)

何の話かと言えば、学校の先生の話である。

学校の先生は、クラスという30~40人の集団の中で過ごせるの子どもたち(ある意味で1/30や1/40として扱われても比較的元気に暮らせる子どもたち)の相手をするプロである。そういう子どもに向けて、授業をしたり、生活指導をしたり、社会道徳のお話をするのは得意なのだ。

それは言い換えれば、学校に来れない子どもに対応するプロではない、ということでもある。

学校に来れない子は(少なくともある期間は)1/1としてしっかりと対応してもらわなければ、再び1/30や1/40として扱われても平気な地点に戻れないところにいる。中には、ずっとそこには戻れない子もいる。

繰り返しになるが、学校の先生は、学校に来れない子どもに対応するプロではない。ある意味で、乱雑で十把一からげに、まとめて対応しても大丈夫で、かつ高めのテンションの中でも、それなりに生きていける子どもたちに対応するプロなのだ。

しかし、不登校の子どもたちは、ある意味でこれとは真逆の対応を必要としている子どもたちである。にも関わらず、保護者は過剰な期待をもって担任に不登校のわが子の対応をお願いしたりする。もちろん、学校も表面上は、そういう対応をするようなそぶりをみせるが、そもそも彼らは、そんな訓練を受けていない。僕は20年ほど前に教員免許をとったが、大学の講義でも、教育実習でも、不登校の子にどう対応するのか、などのトレーニングは1ミリも受けていない。(もちろん、講義をサボってたか、寝てた可能性は大いにあるさ!が、少なくとも実習ではそんなのやらなかったぞ!)

冒頭の話で言えば、担任に不登校の子にきめ細かく対応してくれるようお願いするのは、高級ファミレスの調理スタッフに、専属コック並みの要求をすることと同じなのだ。

だから、担任の先生に、不登校の子へのきめ細かな対応を期待するのはやめた方がいいという話である。良い悪いではなく、先生たちは、プロとしてやっていること・やってきたことの内容がまったく違うのだ。

それを踏まえたうえで担任にいったんは対応をお願いした方がいい。過剰な期待をもってお願いしてしまうと、「全然ちゃんとやってくれない!」と親子で不必要なマイナス感情をいだき、そのせいで担任との関係が悪くなったりしてしまう。そうすると、そもそも学校と関わること自体が大きなハードルとなり、養護教諭やスクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカー、適応指導教室など学校や教育委員会が保有している不登校対応資源そのものを利用しづらいという最悪の状況につながってしまう。

それで、学校や担任が子どもへの登校刺激のことなどをあれこれ言ってきても、適当に受け流しておくのがベストである。

この適当に受け流すことに関して、僕がいつも思い出すのが、漫画『ヤング 島耕作 主任編』に出てきた人間関係をスムーズにこなす言葉「逆らわず、いつもニコニコ、従わず」である。過剰に関係を悪化させる必要はない。言い返さない。いつもニコニコしておく。しかし、断固として従わない。

そんな人に私はなりたい。終わり。


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