1人の女性がエンジニアになるまで~ふてぐみんの場合~

1人の女性がエンジニアになるまで~ふてぐみんの場合~

ふてぐみん


wirohaさんのこちらの記事を読んで、いったん書いてみることにしました。幼少期・学童期・青年期・成人期に分けて書きますが、成人期が長めです。

職種的にはシステムエンジニアとして働いています、ふてぐみんです。フィールドエンジニアやインフラエンジニア寄りのこともよくしています。週の半分は出張か現場へ行っている人です。

幼少期

 1990年代のことです。父の仕事関係でMacとワープロが家にありました。おもむろに触り始める幼稚園児。最初はぷよぷよからはじまり、特打にはまり、英語のソフトまでやっていました。Wordのイルカさんとポストペットが可愛くて仕方なく。そのときにアルファベットとローマ字とひらがなとカタカナとローマ字を覚えた模様。駅名や道路の標識を突然音読しだす娘に父上は驚いていたそう。のちにローマ字を読んでいただけと気づいたようです。

 親からおこづかいをもらいながらPCでの仕事を手伝うことに。町内会の資料を作ったり、小テストの問題を作ったりしていた。(てか、今も続いているな)特技のタッチタイピングがいきて小学生ながらうれしかったようです。  

 英語のノートでアルファベットを正しく書けないものの、CBTのテストでは高得点をはじきだしていたので、中学での微妙な英語の成績が疑問に。アルファベットを正しく書けるようになったのが14歳のころ。なぜこんなにキーボードでは正しくつづりをできるのに、筆記でできないんだろうと悩んだ時期。

青年期

 情報の授業は日々の授業の息抜き状態。課題がおわったらぼーっとしておいてもよかったものの、ほかの人が課題をやっている間に教科書を読みつつあれこれ試していた。なぜか教師から怒られて立たされたけど、今なら全体に合わせることより課題を何段階か設定しておきましょうねとおもいます。

 あるとき親戚の人が、「男の子やったら大学進学したほうがええけど、女の子やったら専門学校や短期大学で資格を取って嫁ぐのが当たり前。賢くなりすぎたら結婚ができない」などとのたまい、腹が立ちました。祖母は戦中に女学校を卒業して教師になっていたというのに。

 大学受験でも女子への呪いは続く。まずは担任の先生。家政科系を受けろだの女子大を受けろだの、理系クラスで紅一点のわたしに言ってくる。次はお金を出すわけでもないのに口出してくる人たち。大学に関してコスパを持ち出す人たち。特に自分の実績のために生徒の進路指導をする教員には腹が立ちました。その担任の指導は全て無視。

 高校は高卒認定試験が取れた時点、2年生までで卒業単位がほぼ揃っていたので、行かなくてもよくなりました。高校とのつながりは週2回の体育と理系科目の授業だけでて(国語と英語は授業を受けなくても定期テストに問題がなかった)塾の自習室に行く日々。塾の授業は週1とっていただけだけど、チューターさんには男女様々な人がいて、進路について性別だから云々とは言われなくてとても居心地がよかったです。

  当時は医療に興味があったので、医療系を片っ端から受けました。学費のかからない防衛医科大学校や看護学院を受けるものの身体検査で脱落。国公立の第一志望の理学部は0.2点届かず。卒業後一定期間働けば返済免除になる、医療従事者養成課程がある学校の入学前の抗体検査で落ちる、そうして医療系は全滅になり人生の希望を失ったのであった。国家資格を取りたい、専門的な仕事をしたいという夢がなくなったのでした。

成人期~学生時代~

 大学受験は合格、入学後の身体検査の結果、希望の学部で実習ができないつまりは国家資格がとれないとのことで、進路転換を行いました。それからまっていたのは受験機会が次の冬になる、いわゆる浪人です。大手予備校に通った期間は毎日が楽しかったけれど、大学の学生証を一度手にしてからだったので、すごくつらかった。国公立の受験する前に合格した大学の入学金を支払ってもらえず、もしも落ちた場合を考え自力で行けるところを探しました。そこで目を付けたのが情報系です、パソコンへの苦手意識が全くなかったこと、情報の教科書が面白かったことが決め手。

 実学を学びながらいったん就職したいとおもい短期大学への進学。短期大学への進学は四年制大学・六年制大学の試験に比べて容易だったため、学科試験の対策もなにもせず、就職して家を出たい、その気持ちで学科試験をあっさり通過、入学に至ります。

 高校の同級生と同じレベルくらいの同級生に囲まれ日々を過ごす中、全体からすると1割くらいの優秀なひとたちと仲良くなり、勉強を教えあったり議論したり、切磋琢磨できる環境に恵まれました。週12時間も簿記の勉強をしたり、週10時間もMicrosoft Officeについて勉強したのはこの1年目。

 ゼミは情報学のゼミナールに所属しました。経営や経済も興味はあったけれど、なにより情報処理概論が面白かったから。ゼミ長として中国人留学生と日本人学生をまとめていました。夏休みにはFlashの勉強会があって、それを使ってWebページをつくるためにHTMLとCSSを勉強して、動きを付けたくなりJavaScriptを使い始めました。同期が勉強は得意じゃないけどプログラミングができるタイプで、やりたいことと実装したけどここがうまくいかないというトラブルシューティングを一緒にやってくれました。その代わりにほかの授業の課題を教えるという関係になっていました。先生はその当時で1、2を争う厳しさだったけど、的確なアドバイスをくれたのでよかったです。

 1年冬の就職活動では4月1日付の内定をいただき、内定承諾書にサインしました。とはいえ、国公立大学なら編入学したい(親戚からお金が出る)ため、編入学のための専門科目と英語の勉強は継続。京都コンソーシアムの他大学の授業をうけつつ、その授業のメンバーにも刺激をうけていました。立命館大学と京都学園大学で情報系の実習授業をゆるっととってました。よその学生にフォローしつつ教えてくださって感謝しております。京都大学と同志社大学の授業も京都女子大の授業も面白かったです。立命館大学の図書館で情報系の本借りられたのマジでありがたかったのです。21時くらいまであいてましたし。

 某先生に「うちの大学に編入しなよ、ついていけるとおもう」といわれ、ますますその気に。でもそこは私立だし、大学受験で合格しても振り込まれなかったから選択肢からは外しました。2年生の冬に編入学試験に合格、ゼミナールの研究発表修了後、内定を辞退。辞退したものの「そこの大学に編入学するなら仕方がないですね、頑張ってください。編入後にも弊社に興味があったら是非受けてください」と応援されました。

 国公立ならお金が出るというだけで、月間140時間のアルバイトをこなして一時金を貯めました。受験料も3万円ですし、4校受けたので12万円。アルバイトと編入学試験の対策と単位の取得は若いからできたんだと思う。普通の人より20単位以上余分に取ってました。それなりに青春の延長もしてたのでどこに体力と気力があったんだろうか。

 4年制大学に3年次で編入学。22単位を認定されたものの、専門外の講義とラテン語・ギリシャ語・ドイツ語・フランス語・英語(イギリス)で精いっぱい。最初の1か月は使っている言葉のレベルが高くなりすぎて、カルチャーショックを起こしました。周囲のレベル、図書館の規模(西日本最大)、学内で使えるパソコンのスペックの違い、すべてが違いすぎた。

 文学部の哲学にはいったのに、意外とパソコンを使うのです。インターネットから海外大の資料をみたり、海外の哲学者に関するWikipediaの充実ぶりを言語ごとに比較したり。専攻に関わらず先生たちはサーバーを運用したり、データベースをつくっているではないですか!ほかのコースの授業をとっていると、統計手法をつかわないといけないし、言語のデータベースを使わないといけない。それまでの情報コースでのまなびが大学でのまなびにつながっていて、感動しました。iPad miniを授業中によくつかっていましたが、キーボードがついていないからこそ、ドイツ語・フランス語・ギリシャ語・ラテン語に対応してくれる柔軟さよ!

 3年生後半から就職活動と公務員試験を受験し、今までの苦労はなんだったのかとおもうくらいあっさり内定。4年制大学の新卒カードは最強と確信。IT企業や大企業のIT子会社やメーカー企業からも内定を頂いてました。当時は外資系を考えたことがありませんでした。この時の教員採用試験は落ちました。同期が博士課程に行くと言っていて実際進学したんですが、わたしだけ教職への道を考えて大学院進学にしました。ここでも就職せず。ただ、高校の免許状を取れたのはよかった。中学校は修士課程に持ち越し。

 教育学の修士課程の大学院に進学しまたもギャップについて行くのに精一杯になりました。周りが一部を除き優秀すぎる。充実した図書館、千葉が揺れるたびに恐怖に陥る修士棟、美味しい学食。周辺の中学校と高等学校の現場に入る日々。M1から就職活動の一環で東京のIT企業のイベントに参加、インターンシップは短期のものにいくことに。東京の隣の県に住む便利さと、東京と地方の機会格差を実感。東京勤務一択の会社からは内定を得たものの、大阪や名古屋の選択肢がほしい!M2の4月に就職活動するも5月の中学校の教育実習中になにもできず敗退。東京一択の企業で働けばよかったと今は後悔しています。6月の修士論文中間発表会1の終了後に再開、新卒で入社する会社の内定を1か月で得る。8月には教員採用試験を受け中学校は合格、高等学校はどの自治体も不合格になりました。

 9月、修士論文中間発表会2が訪れ終わった後、ふと考える。教員になるのはいいが、会社員は新卒カードをきらなければならないのではないかと。幸い新卒で入社した会社は新人研修制度が3か月ほどある。思い切って教員採用試験の合格を辞退、繰り上がる人に席を譲りました。

 修士論文発表会が終わった後はひたすら基本情報技術者試験の勉強をしていました。今思えば大学図書館で情報学の本を読み漁ればよかった。

成人期~社会人~

 独立系SIerに就職しました。男女比は6:4くらいだった気がします。情報系は2割程度?これもよく覚えていない。共同生活と合同研修の3か月。一斉講義が苦痛で仕方なかったです。それまで講読や研究会ばかりやっていたので、一斉講義で知識伝達型をうけて気が狂いそうでした。ペースをつかめるまで小テストで点数が伸びませんでした。

 研修中にLinuxとWindowsでの実務に向けた内容を学び、開発側のメンバーとスクラムを体験して開発側の会社に行けばよかったとひどく後悔した覚えがあります。Java研修を受けたかった。

 運用業務の分析と効率化を行い、自動化できるものに関してはRPAでロボットを作ることが主な仕事でした。RPAツールを比較検討したり、同一業務を異なるRPAツールでつくり見ていただくことがおおかったようにおもいます。プロジェクトの大きな失敗を1年目からみれたのは今思えばよかったのかもしれません。白紙になった。上司から土日も深夜も酷使されたので記憶がぶっ飛んでいる時期です。「女だからそのうちやめる、やすむから男の評価を上げる」と明言され、絶望的でした。こういうことするから離職率が高いんだろうな。あ、この時期生理止まるし不正出血だらけでマジで女として終わってました。「なんで仕事のことを女だから評価を下げられないといけないんだろう?」と疑問に思い社内で告発するもうやむやに揉み消されました。退職の旨を伝えたら、ひとまず異動してみましょうとのことになりました。1年目の冬の転職活動がうまく行ってなかったのもありそれをのむことに。

 データベースサーバーの構築・導入・運用でした。セキュリティ分野とインフラ分野のどちらも実務で学べて、本で読んだことが実際どのように行われているかわかり、業務が面白く感じていました。男性が多い職場だけども、自分のことを「おじさん」と自覚している方ばかりで、配慮がなされていた職場でした。また、同じ部屋に女性が4名いて可愛がられていました。

 当時のOffice365の移行PJにはいりました。東京にいたのでMSのイベントに参加して本も2冊読み倒して公式ドキュメントも調べて、英語のほうも読んで挑みました。移行前の告知と移行日は三連休だったけども出勤してやって、移行後のフォローも行いました。一貫してやったのですごくたのしかったのです。あと任せてもらえるのはよい。

 表向きは(裏はしらん)性別で何かを言う人は社内にいる人にはいないし、中小企業だからいろんな仕事を任されるし、徐々に部署を超えた仕事をすることが増えてきました

 出張を男性と一緒にしても部屋は別だから特に問題なかったし、大浴場は誰とも会う心配がないし、のびのび。ご飯くらいは一緒に行くんですが、一緒に行くだけで周囲から絡まれなくて安心感ある。逆に1人出張はホテルで知らんおじさんに声かけやエレベーターで話しかけられる、お食事処で絡まれるので、避けるように行動してますが、気が抜けた時に遭遇してしまうこともしばしばあります。

 私が入ったことで男だらけの環境で雑だったことが、気を遣うひとがふえて全体としてはよくなったとのちのちいわれましたが、雰囲気良くなるのはいいですね。

 「女性であるから」というのは社内では感じなかったものの社外では感じることが多かったです。現場へ行ってもだれも気付いてくれない、「女性のSE」と覚えられて名前すら読んでもらえない、ほかの男性社員がいると名刺交換の対象にすらならないという、「洗礼」を受けました。勝手に仕事相手が女性というだけで存在を無にしてくる人たちどうにかならないのかなぁと思います。彼らにとって女性は「華」や顧客のご機嫌取りなんだろうなぁ。

技術職に就いて

 新卒でIT企業にはいって研修を経てITエンジニアになったストーリーでした。転職活動をしたときには、セキュリティエンジニアや深夜労働を伴う仕事には採用側の懸念で採用されなさそうだなとは感じました。

 それでも、ITが楽しいうちは続けていきたいなとおもいます。自分がいることで2人目、3人目が同じ職種で弊社に入社してくれるといいなと思います。少しでも女性が増えるといいな、せめて3割。

 システムエンジニアとして現在も働いていますが、男性がいたら男性に聞く人、見る人が大多数ですし、同業の女性に会うことが少なくてなかなか出会えないなとおもいます。「男の人はいないんですか!?」と言われたこともあります。そして地方だとそれが顕著に現れます。だから東京に出ていく女性が多いんじゃないんですか?地方ほど働く女性への見方が歪んでいます。東京ではあれだけいた女性のIT系のエンジニアに出会えていない。いてもWeb系でなかなか接点がなくて。

 東京にいたときとの大きな違いは、地方では女性が少ないがゆえの現場での特殊な扱われ方といえます。それはいい面でも悪い面でもあるし、女性が少ないとよくも悪くも目立ちます。そもそも地方だと枠がなさすぎる。

このnoteを書いてみて

 ITへの興味のきっかけは家にあるPCだったし、勉強してもいいなって思ったのはSNSでつながっていた友人や高等学校情報の教科書だし、就職してもいいなって思ったのは今の配偶者の一言でした「IT業界にせえへんの?」。

 2020年から放送大学の情報コースの授業を受けています。オンラインでオンライン授業や映像授業が見れます。キャリアアップに直接つながるわけではないけれども、実用的なところを学問的に見た場合どうなのか学ぶ意義はあると思います。自分が受けている講義以外の映像授業を視聴できるので、様々な分野の講義を受けられます。

 本人だけでなく、周りがいいんじゃない?っていうだけで違うんじゃないかなっておもいます。時代が進むにつれテクノロジーも発達し、状況は変わっているのだから。ながながと書きましたが、誰かの参考になれば。

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変わった人らしいです。どちらかというと声を上げる人なので生き方としては損しています。