弱者救済と時代の流れ

2010年に発売されたコードマスターズ社製のレーシングゲームである「ダート3」では遅い車でレースに勝つと遅かった分だけボーナスとして倍数が付与されていました。また、2007年から2008年の同社製の同じくレーシングゲームである「レースドライバーグリッド」も難しい設定でレースをクリアすると、難しかったからと同じく倍数が付与されていました。

弱者救済が認められなくなってきたのは、2012年から稼働を開始した格闘ゲームの「ペルソナ4 ザ・アルティメット」あたり、あるいは2012年の格闘ゲームの世界から他の世界に波及したのでしょうか。2015年発売のTPS(Third Person Shooting,3人称視点のシューティングゲーム)の「スプラトゥーン」あたりはそこまで強い武器が批判されておらず、むしろ強いならみんなで使おうという傾向があったと記憶はしています。恐らく、シューティングゲームなら2017年発売の「フォートナイト」の頃から、2017年あたりから強い武器が批判されるようになったのかもしれません。

レーシングゲームの場合は13歳から19歳のような限られた範囲のプレイヤーだけでなく、年少のプレイヤーや反対に年長のプレイヤーも遊びに来ることを考えて実力の差を少なく出来るようにコントロールが安定していて速いマシン(例.コーナリングの際の慣性が抑えられている、アクセルペダルが軽くて加速が抑えられていてホイールスピンが起きにくい、加速の量が大きい帯域が他の車より広い、ブレーキングからアクセルの際のサスペンションの縮み方が少なくすぐアクセルが反応してくれる・・・)を用意しています。

格闘ゲームでも同様なキャラクター(例.突き(パンチ)のリーチが長い、蹴り(キック)のモーション後の硬直が少なく引きが速いのですぐ次の技を出せる、掴みの技の種類が多く相手の動きを止めた攻撃が出来る・・・)が用意されています。レーシングゲームや格闘ゲームと比べてシューティングゲームの歴史は長くないので、そういった研究が進んでいる最中なのかもしれません。

シューティングゲームなら例として、

・リロードまでの装填する弾の数が多く、リロードする時の無防備な状態の時間が長くなくて、弾幕を張ることが容易である
・武器の長さが長くなくて、閉じた場所で動きをとることが容易
・単純に火力が高くて重量が重くなくて、初動速度が速くていわゆる「トリガーハッピー」で使うことができる

というところでしょうか。

リアルスポーツの世界でも水泳なら鮫の肌を模した水着が大流行したり、陸上競技やバスケットボールで靴底を工夫した靴が大流行したり(例.エアマックス)、モータースポーツで1966年にコスワースDFVが登場して1979年頃まで9割近くのチームがコスワースDFVを使用していたりしていました。公平性を欠くからと今はありませんが、ゴルフでは反発係数の高いクラブがあったり、野球ではボールを掴みやすくなるように指と指の間や手のひらを工夫したミットがありました。反対にF1でステアリングの中でシフト操作を行うパドルシフトという方式が主流化するということもありました。

恐らく、教育的な見地として「プレイヤー自身の個人の努力」が支配的な評価指標になって、「車に乗らないで」「自転車を漕いでいられるかどうか」というのがまた支配的な評価指標になっていったのだと思います。その方針を「社会主義的である」と批評する論客もいるとは思います。

個人の努力と言っても、個人が持つ手持ちの時間は一日24時間で、4月7日に入部して春の大会が5月7日にあるとしたらその一ヶ月、30日*24時間で仕上げていくという縛りがありますし、そこに学校なら学校の宿題とか大学なら大学の課題とか会社なら会社の仕事がありますし、朝5時に練習に入って朝の8時に練習を止めて、8時から16時まで勉強して、16時から18時までまた練習して、19時に帰ってきて宿題やったり風呂に入ったり自主練したり、としていったら眠れる時間は相当限られていくと思います。ボクシングの漫画ではありませんが、「毎日の積み重ねが貴様等を弱くする」「四六時中ボクサーであることを自覚しろ」という、いわゆる「ガチ勢」の先鋭化が今後の世界で課題になっていくと思います。「ブルーロック」というサッカーの漫画がありますが、あそこまで鍛え上げられた「戦闘機械」というのは、「あしたのジョー」の時代の感覚なら「最後の試合で勝つことが出来たが、燃え尽きてしまって廃人のようになってしまった」と締めくくられるような印象はあります。

学生の意見が優先的に採用されてきているのもあるでしょう。学生なら「天井が設定されてある階層」なので、その天井までの登り方で評価できますし、社会人だと税金の支払い、債務の返済、株式の配当などの支払いから天井を設定してその「天井に余裕を持ってたどり着けるかどうか」で評価されるから評価する側からは「他愛がない」ものになってしまい、「興が冷める」ことになってしまうのでしょう。

それらが決定的になったのは、ゲームの世界からは離れますが2019年12月から2023年5月の間で実施されたワクチン接種で基礎疾患のある人達が優先されたことに憤慨した人達からだと思います。同年代で外見は健常で剛毅で五体満足なのに内臓などの疾患で基礎疾患だと判定された人達がワクチンを優先的に接種されたことが引き金になったのかもしれません。

そうは言っても弱者救済だと憤慨する人達にワクチンを打つ順番を決めさせたら、彼らは自分のお友達にしか打たないようになるでしょう。というのも反弱者救済として「相対的な対向によって優越した順」に選抜や選別をしていったら、最後は一人しかいなくなるということになり、それは修羅の論理であるということです。

要約しますと、「ティーンエイジャーが視野狭窄になってしまって、自分達しかこのゲームをプレイしていないからと自分達が楽しめるように作り上げてきてタカをくくって、異分子が入ってきたことに憤慨した」ということです。

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