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陽キャ哲学から頼まれた日本哲学の謎、ガイド。

 陽キャ哲学から某哲学者の是非を投げられた。

 しかし、とある事情でそのバカの話しはできないため、ここでは3人の哲学者で応答したい。

1,内田樹

 内田樹は漫画・ワンピースを哲学だと評している。

 ルフィが仲間たちを集める姿を自らが共産主義的に仲間を集めた姿と重ねて高く評価している。

 内田樹はしかし微温的で絶えられない。

 ただ構造主義を理解している点では賢いと思う。

 しかし、やっぱり内田樹には陽キャ哲学と話した通り根源的に資本主義を乗り越えようとする哲学はなく、彼は散文的だ。

 彼は結局のところ、極めて秀才な受験メモリー依存症にすぎない。

2,落合陽一

 一方で落合陽一には『デジタルネイチャー』という確固とした彼の思想がある。

 デジタルネイチャーはAIから考えてマルクスやウェーバーなどを読み替えた作品だ。

 しかし、落合陽一の限界は自民党御用学者にすぎなかったり日本のイノベーションではGAFAMを作れなかったことだ。

 そういう点で落合陽一は賢いけども、空想社会主義の域は出ていないかもしれない。

3,成田悠輔

 成田は落合陽一の描いたデジタルネイチャーよりショボいが良くも悪くも現場レベルで実践した政治のガイドブックだ。

 何も頭が良くないと思うが、彼のような秀才すぎる無キャを皆で持ち上げることで極めて民主主義的な世界観を作り上げることが可能だろう。

 成田悠輔は民主主義的にいいねを分配するような良さがある。


 もっとも若気の至りかもしれないが、成田悠輔は結局のところ、東京大学に合格しなければダメだよという凡庸な保身性が垣間見える。

 2025年には落合陽一曰くAIが1人の人間の知能指数を超えるシンギュラリティが到来するが、成田悠輔は到底認めることはできないだろう。

 成田は人間としては悪い人間ではないが、AI、ひいてはテクノロジーの発達から考えると、成田はあまりに凡庸すぎる。

 よって、成田はなんらかの哲学者を構造主義化した先鋭化したとしか思えない

 落合陽一の方に賛否はともかく思想はある。

 今必要なのは、本物の哲学者ではない。

 それは落合陽一で事足りる。

 今必要なのは落合陽一批評であり、そして誰かが落合陽一のイデオローグ化、ヘゲモニーとして成田が誰かを構造主義化したように先鋭化する作業が必要だ

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