見出し画像

2021.3.5 嫉妬と疎外感

公には言いませんが、私は結構な偏見の持ち主だ。
その一つに、「字の汚いデザイナーは信用しない」というのがある。
デザイナーさんからしてみれば、しらんがなって話なんだけど。
デザインを生業にしているのに、自分が書く文字のバランスを客観視できないってどういうことなんだろうって思っているだけなんですが。

Instagramのアプリを久々にダウンロードして眺めていると、知人の結婚や出産のニュースが舞い込んでくる。
SNSでこのテのニュースを見ると、モヤモヤするのはなんだろう。
直接知らせてもらえなかった寂しさは、私のわがままだ。
反対に自分が友人知人に何かあるごとに知らせたりしているだろうか。

仕事を辞めたとき、一通り友人には伝えたから、そういう気持ちを抱くのか?
私は自分の出来事を伝えるのに、なんであなたのは教えてくれないのか、と。
身勝手な疎外感。
だからリアルな友人知人とつながっているSNSは嫌なのだ。
そんなの、やめちまえって話なのだけど。

フォローを外すとかミュートしてるとか、既読スルーだとか、あぁもう面倒だ。面倒だ!

この妙な疎外感は、リアルでも学生の時から感じていたような気もする。
アルバイト先で、仲間はみんな誘い合って海や旅行に行っていたけれど、私はあまり誘われることがなく、みんなが休むときに代わりにシフトに入る方だった。
大人になってから集まりがあって、お酒の勢いでそのときの気持ちを打ち明けたら「彼氏もいたみたいだし、なんとなく声をかけにくかった」と理由を教えてくれた。

大人になったらそんな思いをしなくて済むだろうと思っていたし、実際に歳を重ねれば重ねるほどどうでもよくなってはいるけれど、今回みたいにふとしたときにその疎外感は感じてしまう。

SNSってそういうところ、ある。
clubhouseなんてまさにそうじゃないか。
招待制って、寂しすぎるよ。
誘ってほしいって言えなくて、興味ないフリしている人たちがどれだけいるんだって話。
「こんなテーマでこのメンバーで話します!」って告知、しなくていいから。ぷんすか。

気になり始めたら止まらなくて、タイムラインがひな祭りの過ごし方が続いた途端、Instagramのアプリを消した。
アカウントまで消せない自分が情けない。

結局、構ってほしいくせに言い出せずにいて、勝手にふてくされて、疎外感感じて、嫉妬してるのって本当に惨めだ。

しかし、嫉妬って醜いなぁ…。
瞑想がんばれ、私。

サポートいただいた方も私のnoteを読んでくださる全ての人へ。Om Shantih Shantih Shantihi