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意味があるようでない、曖昧な、なんとなくの世界について

「これってどう思う?」「何が好き?」
という相手への質問に対して
「どうして(そんなこと聞くの)?」
と逆質問されることはないだろうか。

私はこの〝逆質問〟が苦手で、相手への問いに対して全部が全部理由があるわけでもなく、ほとんどの場合が「なんとなく聞いてみた」ことの方が多いからだ。

それ以外でも雑談の途中で、相手が何気なく言った
「tomokick.はどう思う?」
という質問にしどろもどろしてしまうことがある。
これもほとんどの場合が「特に理由はない」ことの方が多いからだ。

面接や会議の形式的な場所以外でも、勉強会やセミナーなどで講師の人が突然「あなたはどう思いますか?」と聞かれる瞬間、ドキッとする。
(だから、さされないように必死にメモしているフリをしたりする)

なぜ、突然の問いにドキッとしたりしどろもどろになるのか。
瞬発力がない、というか、その会話や講義の流れを追っているだけで深く掘り下げることをしていないからだと思うのだけれど。
たいていの場合「そうですね…」で言葉を濁す。
頭の中はフルスロットル。

質問している方も実は大して考えているわけでもなく「なんとなく聞いてみた」ってだけだと思いたい。
そう考えると、会話なんてものはそのほとんどが「なんとなく」のキャッチボールをしながら、自分の中の疑問をちょっとずつ剥がしていく作業なのかもしれない。

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noteでイラストやマンガを見るのが好きだ。
自分の出来事を創作物として表現できる人はすごいな、と思う。
写真で表現できる人もすごいな、と思う。
言葉や文章で表現できる人もいるし、手法はさまざまだけれど、それが必ずしも夢だったり仕事につながるわけじゃない。
でも、それを見て「面白いな」「楽しいな」と思う人は一人は必ずいる。
だから何か表現できる手段を持つ人は、もっと出していって欲しい。
なぜなら「私が見たい(読みたい)から」

表現したものを、見たり聞いたりするのが好きな人もいるわけで(それが私だ)。
今まで私は、表現する人になりたかったし、そういう人だと信じて疑わなかったけれど、どうやら違うらしいことに最近気がついた。
noteやブログ、Twitterの過去ログを遡って見ている時が、とても楽しい。
たくさん見たいから、過去ログが溜まっていれば溜まっているほどゾクゾクするのだ。

意味があるようでない、曖昧な、なんとなくの世界。
白黒つけない、0か100かじゃない世界。
表現する側も受け取る側にも、確保しておきたい居場所だと思う。

サポートいただいた方も私のnoteを読んでくださる全ての人へ。Om Shantih Shantih Shantihi