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ファブリツィオ・デッラ・セータ 『19世紀イタリア・フランス音楽史』(園田みどり訳) 「日本語版への序」 公開!

 2024年2月、小局ではファブリツィオ・デッラ・セータ著『19世紀イタリア・フランス音楽史』(園田みどり訳)を刊行します。
 本訳書の書誌情報は、巻末に付された「訳者あとがき」にきわめて詳細で行き届いた記述がありますが、ごく簡単に説明するなら、イタリア音楽学会(Società italiana di musicologia)がトリノのEDT社より、かつて全10巻12冊の大叢書として刊行した最も権威のある『音楽史』(1976~1982年)企画のうち、その第2版に収められた第9巻、『19世紀のイタリアとフランス』(1993年)を全訳した翻訳書となります。
 訳者の言葉を引用すれば──

《イタリアは、ドイツやフランスと並んで豊かな音楽的伝統を誇る国である。16世紀末にフィレンツェで誕生したオペラばかりでなく、オラトリオ、ソナタ、カンタータ、協奏曲、交響曲といった主要な音楽ジャンルは、イタリアがその発祥地である。アマーティやストラディヴァーリ、パガニーニはイタリア人であるし、ピアノを発明したのはイタリア人のクリストフォリだった。今日でも、名実ともに町の音楽生活の中心をなす歌劇場では、シーズンごとにオペラやソロ・リサイタル、管弦楽曲が演奏されており、町中に無数にある教会のいくつかでは、折に触れてコンサートや良質な古楽に接することができる。大都市であれば近代的なコンサートホールがあって、著名指揮者とともに旅巡業中の外国のオーケストラが熱心な観客の耳を楽しませている。
 しかしイタリアで音楽学は、日本と同様に、第二次世界大戦後になってようやく大学教育に組み込まれた学問である。1975年にボローニャで開催されたイタリア音楽学会の総会決議に基づいて、学会の主導によって『音楽史』を刊行することになったのは(1976~1982、全10巻12冊)、大学の授業で使用できるような教材を用意するという以上に、隣接する人文諸学に対して自分たちの存在をアピールする意図があったように思われる。》

 この大音楽史企画のうち、本書は最も新しく書かれた巻であって、19世紀のイタリアとフランスの円熟した音楽文化を比較するという視点を打ち出している点で、日本には類書が一切ないといえるオリジナリティを有しています。原書の『音楽史』シリーズは、「初版完結から40年余、第2版刊行から30年余が経過しているものの、現在でもイタリアで第2版の各巻および全巻セットが販売され続けており、古典的シリーズとして長く読み継がれている」ものです。

 今日にいたるまで日本では、イタリア系の音楽史書の紹介がきわめて手薄であり、重要な書物がほとんど翻訳紹介されてきていない現実があります。このたび、訳者の園田みどり先生のまさしく孤軍奮闘ともいうべき膨大な努力のおかげで、ついに本格的な一書を、読みやすい日本語で味わえる時がやってきた! ということになります。

 全編を通じて、原著者のヨーロッパ音楽・演劇のみならず、文学・思想への博識・教養に圧倒される良書。オペラ演劇やクラシック、バレエ音楽、さらに19世紀文化史・精神史などに関心をお持ちの読者にとってはまちがいなく、今後長い期間にわたって、信頼できる稀少な文献として参照されつづける一冊の誕生です!

「ロッシーニ、マイヤーベーア、ベルリオーズ、ベッリーニ、ドニゼッティ、ヴェルディ……。19世紀のイタリア・フランス両国で豊かに花開き、パリやイタリア諸都市の歌劇場で上演された偉大なオペラ作品群はどのように誕生したのか。音楽教育や作曲家を支えるシステムから、新しい作品ジャンルの創造、批評文化の形成までをイタリア音楽学の重鎮が描ききった古典的著作。音楽・演劇愛好者必携。」
https://www.h-up.com/books/isbn978-4-588-01165-8.html

パリ・オペラ座の情景(1860年頃)


日本語版への序


 2019年秋に『一九世紀のイタリアとフランス』の日本語版を出したいとの提案を受けたとき、私はかなり驚いた。1993年の初版刊行以来、本書はイタリアで好意的な書評に迎えられて十分な販売実績も上げてきた。シリーズ全体と同様に、大学と音楽院の音楽史の授業で用いられてきたし、今でも用いられている。だがシリーズの他の巻とは異なって、外国語に翻訳されたことはなかったので、国際的な音楽学研究には、まったくとはいわないまでも、あまり波及効果がなかったのである。このことは、学問の現状について考えさせるはずである。かつては、あるテーマについて研究する際に、主要な文化言語(基本となるドイツ語・フランス語・英語)で書かれた関連文献と、研究対象にとっての専門言語で書かれた文献を読むのが当然のこととされていた(ハンガリー語を知らずにバルトークについて研究する、あるいはイタリア語を知らずしてモンテヴェルディを研究することは不可能である)。残念ながら、今日では状況は平板化してしまい、専門書の書誌と主要雑誌の書評を見れば明らかなように、英語で出版されたものでなければ見過ごされがちである。カール・ダールハウスがもう何年も前に指摘したとおり、このことは知識の普及にとってだけでなく、学生に対する専門教育にとっても明らかに有害である〔Carl Dahlhaus (trans. by E. Sanders), Review of L. Plantinga, Romantic Music: A History of Musical Style in Nineteenth-Century Europe and Anthology of Romantic Music (Norton, New York 1984), «19th-Century Music» 11 (1987), pp. 194–196〕。当然ながら、これは学術書の話であって、音楽家と愛好家といった、より広範な読者のための出版物には期待できないことではあるけれども。本書が国際的にもっと読まれるに値するかどうかを判断するのは、むろん私の役目ではない。だが私が確実に言えることは、19世紀のイタリア音楽について、およびフランス音楽についても、非常に優れた研究書があるにせよ、二つの現象を、両者のかかわりのなかで、ヨーロッパ全体を視野に入れながらあまねく論じた書物は他にはない、ということである。そのため、かくも由緒正しく高名な文明の祖国で──残念ながら私は思うように、またしかるべくその文明を知ることができていないのだが、当地でイタリア、そしてイタリア音楽とイタリア・オペラが広く愛されていることは十分に承知している──本書が出版されることを、私はとりわけ嬉しく思う。

 本書が誕生した知的背景と状況は、「訳者あとがき」のなかで十分に語られている。その他の情報は、イタリア音楽学会の会長による二つの「序」と、「著者による付記」に記されている。ここで私が付け加えうること、また付け加えたいと思うことは、個人的な感想のみである。私が大学教育を受け(1970~75年)、最初の教育経験を積んだ時期(1977年以降)は、イタリアで音楽学がそれまでにないほど刷新されて普及したときだった。以前は、音楽学は音楽院の補助科目にすぎず、大学ではまったく副次的な扱いだった。わずか数年のうちに、音楽史の教授ポストが3(1968年)から22(1979年)になったことを指摘するだけで十分だろう。これは非常勤のポストのことは計算に入れていないし、またそのうちの多くが、1980年以降に准教授ポストになったのである。1964年にはイタリア音楽学会が設立され、2年後には雑誌『イタリア音楽学会誌』Rivista italiana di musicologiaが創刊された。すべては音楽学を代表する重鎮たちの尽力だったが、当時の若手研究者の献身的行動は決定的だった。そのうちの何人かは、この12冊からなる新たな『音楽史』の著者でもある。今では故人となったが私の音楽学の学究人生にきわめて大きな影響を与えた研究者のことも、感謝の念を込めて挙げておきたい。まずは我が師ニーノ・ピロッタ、そしてフランチェスコ・デグラーダ、ジョヴァンニ・モレッリ、ピエルルイージ・ペトロベッリである。またイタリア人ではないがイタリアに長期間滞在していたジュリアン・バッデン、フィリップ・ゴセット、フリードリヒ・リップマン、ヴォルフガング・オストホフ、ハロルド・S・パワーズ、トーマス・ウォーカーである。今でも鮮明に思い出すのは、1991年に旧版の『19世紀Ⅱ』に代わるまったく新しい巻を執筆するよう依頼されたときに私の抱いた、音楽学を志す若者の熱狂である。私から見ればすでに先生であった人たちと肩を並べなくてはならないという、喜ばしくも身震いするような責任感のことも、忘れることはできない。今では状況は変化した。音楽学を学ぼうとする人たちは、十分なシステムと教育とを手にしているが、彼らがあたりまえだと思っているものが、現実には大変な苦労の末に獲得したものだということを理解していないかもしれない。だから私は自分の弟子たちに、音楽学の歴史を、最近のことに関しても知るようにしてほしい、といつも繰り返し言っているのだ。

 1993年からわれわれを隔てる30年間には、他の学問と同じように、音楽史研究は大いに進展した。だがイタリア・オペラとフランス・オペラについてほど、われわれの知見が様変わりした分野は他にない。当時はロッシーニ、ドニゼッティ、ベッリーニ、ヴェルディと、ベルリオーズでさえ、その作品の一部のみが、歌劇場やコンサート・ホールで演奏されたり、あるいは録音で聴くことができた、と言うだけで十分だろう。その一方で、オベール、マイヤーベーア、パチーニ、メルカダンテは、ただ名前が知られているだけだった。今では、われわれはこういった作曲家の多くについて、学術批判校訂版(まだ完結していないにしろ、かなりが刊行されている)を手にしているし、生年あるいは没年を記念する国際会議も頻繁に開催されている。とりわけ、実際の上演や演奏に立ち会う機会が増えているのは、ペーザロのロッシーニ・オペラ・フェスティヴァル、パルマのヴェルディ音楽祭等々の称賛に値する試みのおかげであり、そういった試みは、録画・録音産業をも活気づけている。作品や複製資料にオンラインで接しうるようになったことは、言うまでもない。

 このような状況であれば、まったくの新しい本を一冊書くことも可能であろう。だがわれわれはさまざまな理由から、この可能性を初めから除外した。時間面および著者の精神的慧敏の問題もあるが、今でもその効果が少なくともイタリアでは感じられている、ある知的季節の証しを示したいとの願いもあったのである。もちろんこの選択は、たとえ細部に手を加えるにせよ、本書の描く全体像がいまだに有効であることを前提にするのだが、誠実に見て事実そうであると言ってもよいように私には思われた。わずかの事例でのみ、例えばベルリオーズの若いころのミサ曲が発見されたといった、当時は盛り込めなかった新情報が追加されることになった。

 同様の意図から、われわれはオリジナルの文献目録を再録することにした。これは包括的な研究や新しくて信頼できる事典類がなかったために、きわめて詳細なものになっていた。後継の文献内にまとめられていて今日では引用する必要がないと思われる非常に細かな研究と、当時入手可能だった録音に付属する冊子までもが挙がっているのである。もっとも、学問研究の発展を考慮に入れないのは不誠実であろう。そのためわれわれは、オリジナルの文献目録にリスト形式の補遺を追記することにした。以前の文献目録と同じ区分によっているが、ごく一部を除き図書に限定した(論文は、今ではとても掲載しきれない数に達している)。

 また、時間の経過とともに明らかになった不整合な点や誤りを取り除くべく、あらためて全体を見直した。そのうちのいくつかは自分でこれまでに気づいたものであり、友人が私に指摘したものもある。だが訳者の働きは、彼女が謙遜して言うほど〝小さな〟ものではなかった。引用について訳註を加えるのみならず、書物全体をきわめて入念に点検したのである。よって私は、日本の読者はオリジナルよりもはるかにいっそう正確で完全で情報量の多い本文を手にしていると断言することができる。いずれイタリアで新しい版を出すことにつながればと願う次第である。

 ローマ、2023年8月

ファブリツィオ・デッラ・セータ
(園田みどり訳)

ミラノのスカラ座広場(アンジェロ・インガンニ画、1852年)

《目次》

日本語版への序
初版の序  アルベルト・バッソ
第二版の序  アゴスティーノ・ジイーノ
著者による付記
凡 例

第一部 音楽文化と音楽生活
第1章 一九世紀の音楽地理におけるイタリアとフランス
第2章 ロマン主義とロマン主義的な趣味
第3章 機構組織とジャンル
 第1節 教育、宗教音楽、合唱協会
 第2節 器楽と演奏協会
 第3節 舞踊のための音楽、劇場バレエ、バレエ曲
 第4節 歌劇場という組織と音楽家の労働条件
 第5節 出版業と音楽批評

第二部 イタリア、一八〇〇~一八三〇年
第4章 ロッシーニの時代
 第1節 様式と作劇法の変化
 第2節 イタリア・オペラの形態論
第5章 ロッシーニ

第三部 フランス、一八一四~一八六〇年
第6章 王政復古から七月王政期のフランス・オペラ
 第1節 オペラ・コミック
 第2節 グランド・オペラ
第7章 マイヤーベーア
第8章 ベルリオーズ
 第1節 人生と芸術
 第2節 空想の劇場
 第3節 音楽語法のさまざまな側面

第四部 イタリア、一八三〇~一八六〇年
第9章 ロッシーニを越えて──一八三〇年から一八四八年のイタリア・オペラ
第10章 ベッリーニ
第11章 ドニゼッティ
第12章 ヴェルディ──《オベルト》から《仮面舞踏会》まで
 第1節 舞台人
 第2節 一筋の道のための二つのモデル

第五部 一八六〇年から一八九〇年まで
第13章 伝統と近代性
第14章 第二帝政から第三共和政期のフランス・オペラ
 第1節 グノー
 第2節 オペレッタとオッフェンバック
 第3節 ビゼー
 第4節 新しい世紀に向けて
第15章 国家統一後のイタリア・オペラ
第16章 ヴェルディ──《運命の力》から《ファルスタッフ》まで


読書課題
① ロッシーニと新古典主義の美学
② 一八一七~一八四八年のパリの音楽生活
③ ヴァーグナーの記憶するグランド・オペラの発端
④ 作曲家であり劇作家でもある人物と、台本作家
⑤ 公私の感情の狭間にあるベルリオーズ
⑥ 一八四〇年代のイタリアのオペラ様式と歌劇場オーケストラ
⑦ イタリア国家統一運動とオペラ
⑧ ヴェルディの音楽形式とその演劇的機能
⑨ 若かりし日のグノーの肖像
⑩ 国家統一後のイタリア音楽についての概観
⑪ サン=サーンスによるパリの思い出
⑫ ボイトによるイタリア・オペラ改革

訳者あとがき
文献目録
文献目録の補遺(二〇二三年)
索引

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