ファブリツィオ・デッラ・セータ 『19世紀イタリア・フランス音楽史』(園田みどり訳) 「日本語版への序」 公開!
日本語版への序
2019年秋に『一九世紀のイタリアとフランス』の日本語版を出したいとの提案を受けたとき、私はかなり驚いた。1993年の初版刊行以来、本書はイタリアで好意的な書評に迎えられて十分な販売実績も上げてきた。シリーズ全体と同様に、大学と音楽院の音楽史の授業で用いられてきたし、今でも用いられている。だがシリーズの他の巻とは異なって、外国語に翻訳されたことはなかったので、国際的な音楽学研究には、まったくとはいわないまでも、あまり波及効果がなかったのである。このことは、学問の現状について考えさせるはずである。かつては、あるテーマについて研究する際に、主要な文化言語(基本となるドイツ語・フランス語・英語)で書かれた関連文献と、研究対象にとっての専門言語で書かれた文献を読むのが当然のこととされていた(ハンガリー語を知らずにバルトークについて研究する、あるいはイタリア語を知らずしてモンテヴェルディを研究することは不可能である)。残念ながら、今日では状況は平板化してしまい、専門書の書誌と主要雑誌の書評を見れば明らかなように、英語で出版されたものでなければ見過ごされがちである。カール・ダールハウスがもう何年も前に指摘したとおり、このことは知識の普及にとってだけでなく、学生に対する専門教育にとっても明らかに有害である〔Carl Dahlhaus (trans. by E. Sanders), Review of L. Plantinga, Romantic Music: A History of Musical Style in Nineteenth-Century Europe and Anthology of Romantic Music (Norton, New York 1984), «19th-Century Music» 11 (1987), pp. 194–196〕。当然ながら、これは学術書の話であって、音楽家と愛好家といった、より広範な読者のための出版物には期待できないことではあるけれども。本書が国際的にもっと読まれるに値するかどうかを判断するのは、むろん私の役目ではない。だが私が確実に言えることは、19世紀のイタリア音楽について、およびフランス音楽についても、非常に優れた研究書があるにせよ、二つの現象を、両者のかかわりのなかで、ヨーロッパ全体を視野に入れながらあまねく論じた書物は他にはない、ということである。そのため、かくも由緒正しく高名な文明の祖国で──残念ながら私は思うように、またしかるべくその文明を知ることができていないのだが、当地でイタリア、そしてイタリア音楽とイタリア・オペラが広く愛されていることは十分に承知している──本書が出版されることを、私はとりわけ嬉しく思う。
本書が誕生した知的背景と状況は、「訳者あとがき」のなかで十分に語られている。その他の情報は、イタリア音楽学会の会長による二つの「序」と、「著者による付記」に記されている。ここで私が付け加えうること、また付け加えたいと思うことは、個人的な感想のみである。私が大学教育を受け(1970~75年)、最初の教育経験を積んだ時期(1977年以降)は、イタリアで音楽学がそれまでにないほど刷新されて普及したときだった。以前は、音楽学は音楽院の補助科目にすぎず、大学ではまったく副次的な扱いだった。わずか数年のうちに、音楽史の教授ポストが3(1968年)から22(1979年)になったことを指摘するだけで十分だろう。これは非常勤のポストのことは計算に入れていないし、またそのうちの多くが、1980年以降に准教授ポストになったのである。1964年にはイタリア音楽学会が設立され、2年後には雑誌『イタリア音楽学会誌』Rivista italiana di musicologiaが創刊された。すべては音楽学を代表する重鎮たちの尽力だったが、当時の若手研究者の献身的行動は決定的だった。そのうちの何人かは、この12冊からなる新たな『音楽史』の著者でもある。今では故人となったが私の音楽学の学究人生にきわめて大きな影響を与えた研究者のことも、感謝の念を込めて挙げておきたい。まずは我が師ニーノ・ピロッタ、そしてフランチェスコ・デグラーダ、ジョヴァンニ・モレッリ、ピエルルイージ・ペトロベッリである。またイタリア人ではないがイタリアに長期間滞在していたジュリアン・バッデン、フィリップ・ゴセット、フリードリヒ・リップマン、ヴォルフガング・オストホフ、ハロルド・S・パワーズ、トーマス・ウォーカーである。今でも鮮明に思い出すのは、1991年に旧版の『19世紀Ⅱ』に代わるまったく新しい巻を執筆するよう依頼されたときに私の抱いた、音楽学を志す若者の熱狂である。私から見ればすでに先生であった人たちと肩を並べなくてはならないという、喜ばしくも身震いするような責任感のことも、忘れることはできない。今では状況は変化した。音楽学を学ぼうとする人たちは、十分なシステムと教育とを手にしているが、彼らがあたりまえだと思っているものが、現実には大変な苦労の末に獲得したものだということを理解していないかもしれない。だから私は自分の弟子たちに、音楽学の歴史を、最近のことに関しても知るようにしてほしい、といつも繰り返し言っているのだ。
1993年からわれわれを隔てる30年間には、他の学問と同じように、音楽史研究は大いに進展した。だがイタリア・オペラとフランス・オペラについてほど、われわれの知見が様変わりした分野は他にない。当時はロッシーニ、ドニゼッティ、ベッリーニ、ヴェルディと、ベルリオーズでさえ、その作品の一部のみが、歌劇場やコンサート・ホールで演奏されたり、あるいは録音で聴くことができた、と言うだけで十分だろう。その一方で、オベール、マイヤーベーア、パチーニ、メルカダンテは、ただ名前が知られているだけだった。今では、われわれはこういった作曲家の多くについて、学術批判校訂版(まだ完結していないにしろ、かなりが刊行されている)を手にしているし、生年あるいは没年を記念する国際会議も頻繁に開催されている。とりわけ、実際の上演や演奏に立ち会う機会が増えているのは、ペーザロのロッシーニ・オペラ・フェスティヴァル、パルマのヴェルディ音楽祭等々の称賛に値する試みのおかげであり、そういった試みは、録画・録音産業をも活気づけている。作品や複製資料にオンラインで接しうるようになったことは、言うまでもない。
このような状況であれば、まったくの新しい本を一冊書くことも可能であろう。だがわれわれはさまざまな理由から、この可能性を初めから除外した。時間面および著者の精神的慧敏の問題もあるが、今でもその効果が少なくともイタリアでは感じられている、ある知的季節の証しを示したいとの願いもあったのである。もちろんこの選択は、たとえ細部に手を加えるにせよ、本書の描く全体像がいまだに有効であることを前提にするのだが、誠実に見て事実そうであると言ってもよいように私には思われた。わずかの事例でのみ、例えばベルリオーズの若いころのミサ曲が発見されたといった、当時は盛り込めなかった新情報が追加されることになった。
同様の意図から、われわれはオリジナルの文献目録を再録することにした。これは包括的な研究や新しくて信頼できる事典類がなかったために、きわめて詳細なものになっていた。後継の文献内にまとめられていて今日では引用する必要がないと思われる非常に細かな研究と、当時入手可能だった録音に付属する冊子までもが挙がっているのである。もっとも、学問研究の発展を考慮に入れないのは不誠実であろう。そのためわれわれは、オリジナルの文献目録にリスト形式の補遺を追記することにした。以前の文献目録と同じ区分によっているが、ごく一部を除き図書に限定した(論文は、今ではとても掲載しきれない数に達している)。
また、時間の経過とともに明らかになった不整合な点や誤りを取り除くべく、あらためて全体を見直した。そのうちのいくつかは自分でこれまでに気づいたものであり、友人が私に指摘したものもある。だが訳者の働きは、彼女が謙遜して言うほど〝小さな〟ものではなかった。引用について訳註を加えるのみならず、書物全体をきわめて入念に点検したのである。よって私は、日本の読者はオリジナルよりもはるかにいっそう正確で完全で情報量の多い本文を手にしていると断言することができる。いずれイタリアで新しい版を出すことにつながればと願う次第である。
ローマ、2023年8月
ファブリツィオ・デッラ・セータ
(園田みどり訳)
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?