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なぜ狩猟をはじめたのか

狩猟なんて、普通に生きてると中々触れないし、始めたきっかけをよく聞かれる。いくつかあるが、本当の最初に何を思って始めたかを挙げていきたいと思う。


鴨肉が美味すぎたこと

縁あって2019年の12月。かの有名な怪魚ハンター小塚さんの参加する忘年会に富山に行った。その時の忘年会で食べたカモ肉が衝撃的に旨かった。これまで俺が食ってた肉はなんて味が薄い肉やったんや...こんな旨い肉があるなんて、と。これをコンスタントに食べる為には、自分で獲るしかない、よし、狩猟やろう、と思った。なんとその翌日鴨猟にも同行させていただき、これは面白いぞ...となんとなく感じてはいた。ただ、当時学生だったのもあり、すぐに免許を取ろう!とはならなかった。

その時のカモ達

モンゴル旅

その翌年、怪魚ハンター小塚さん達とモンゴルへ3週間の釣旅へ行くことになる。釣りが狙いではあったが、個人的には遊牧民のゲルでの生活が衝撃だった。この現代でも、本当にゲルで家畜を飼い捌き、冷蔵庫はないので干し、かまどで火を起こし、料理をしている。自分の食べるものは、自分の手で捌く、獲りに行く、それが当たり前のことなのかもしれない、という事実に気付かされた。
ここでの暮らしは、
「労働ー食料を得る」がつながっているのが当たり前で、今までの自分の「労働ーお金を得るーお金で食料を得る」って実は遠回りなのでは、と思ってしまった。では、自分の手で直接食料を得る、をやってみよう、これが狩猟を始めたきっかけだ。

あるモンゴルのご家庭のキッチン

命を奪い生きている感覚を得たかったから

スーパーのお肉は、お肉から生きている牛、鳥、豚はもう想像もできない。だが、生きてたし、誰かが殺してくれるおかげで自分たちが食べることができる。それを見えないようにして、美味しくお肉食べるだけってなんか違うのでは?それこそお肉になった動物も浮かばれないのではないか。
お肉食べるなら、自分の手で「殺す」。それができないなら食べないほうがいいし、それをする事で、本当に自分が色んな命に生かされて立ってることを実感できる。
あらゆる動物が、他の命を喰らい、生きてる。自分もそんな自然の中に居たい。

肉は、命だ。

この辺りが自分が狩猟を始めたきっかけかと思う。
また、やり始めてから思ったこともたくさんある。狩猟をやる中で、いろんな人と出会う中で、自分の自然観や死生観も変化してきたように思う。そのあたりのことを次は書いていきたい。

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