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NO THANK, NO LIFE.

"「感謝」があることで気持ちや生活が豊かになる"という事を、店頭やオンラインをはじめ全活動を通し、体現していくこと、それがふんてるのテーマです。いつも「感謝」を忘れず、「感謝」を促進していくことこそが、ふんてるの社会に対する姿勢・責任であると考えます。

お気づきの方もいるかと思いますが、タイトルはタワレコのキャッチコピー(NO MUSIC, NO LIFE)からパクらせて頂きました。()

それはそうと、上記が私の信条です。

嘘です。イチ個人がそこまでの責任持てませんw

でも、パッと思いついたこのコピーから何かと書きたい事が浮かんできたので、以下に記していきたいと思います。

「感謝」の効能

”感謝”ってとても大事な感情だと思うのです。

当たり前なのですが、コレ忘れがちです。

例えばあなたが、握っているそのスマホ、もしくはpc。
過去の偉人たちの発明がなければ、存在しなかったかもしれない。

エアコンとか今や安くて3~5万円とかで買えますけど、これ発明するためにどれだけの年月が費やされたことでしょう。そんなのが時給1000円として、数十時間ほど汗水垂らせば、1週間仕事するだけで自分のモノにできちゃうんです。すごい世の中です。

映画やゲームをこんなに低価格で(もしくは無料で)できてしまう世の中になるとは、10年前では考えもしなかった。

だからって、「感謝しろよ!」と言うわけではありません。

現代の私たちが使っているモノ、これを生み出す為の努力や叡智に気づくことが大事だと思うのです。

不平不満は時に大事な役割を果たしますが、不平不満ばかりを言ってても何も変わりません。

少なくとも、昔の人より相当恵まれてることを自覚しておきたいものです。

終わりあるからこそ

些細な日常を繰り返す中で、ついつい「明日が当たり前に来る」なんて思っちゃいがちですが、、いずれ人は死にます。揺るぎない事実です。
※テクノロジーで"死"すら解決できる時代が来るかもしれませんが…w

ただ、死を意識することで、日々が”かけがえのないモノ”に感じるメリットがあります。

老いることも死ぬことも
人間という儚い生き物の美しさだ
老いるからこそ死ぬからこそ
堪らなく愛おしく、尊いのだ
~鬼滅の刃 煉獄 杏寿郎より~

若さも命も、終わりがあるからこそ輝く。鬼滅の煉獄さんも言ってました。

鬼からすると、命は絶やして当たり前、死なないから生に無頓着なのかもしれません。「当たり前」という価値観は危険な面もあります。

今日一日を大事に生きることで、毎日が輝くかもしれません。

と、書いてる私でさえ、ついその「当たり前」が付いて回るので、自戒も込めて意識して生きていきたいところです。笑

感謝はなんぼあっても良いですからねぇ!(ミルクボーイ感)

感謝感度を上げたい

そんな今生きているという感謝だとか、日々美味しいものを食べれる幸せを実感して感謝することを、”感謝感度を上げる”と、私は定義しています。

この感謝感度をコントロールするには、人間の満たされない「欲」をコントロールすることだと思っています。

人は自分の何かを失った時や比べた時、不満に反応して不幸を感じる。同年代と比較すると不幸に感じてしまう。

私の例で言えば、台風で家が壊れそうな時に、比較する事でとても不幸に感じることがありました。九州は戦々恐々としているのに、九州以外は他人事のコメントでたくさんでした。こういう時はあまり見ない方が良い気がします。デジタルデトックス推奨。

また一般的によくあるのは、SNSで他人と自分の暮らしを比べた時とか。
自分はこうあるべきなのに…という考えで固まって気が滅入ってしまう。
※いうて筆者も度々あります

時に成長のために比較や反省が必要なこともありますが、その考えに固執すると動けなくなってしまい、”感謝”なんて感情には程遠くなってしまうと思います。完璧主義の弊害です。

完璧主義ではなく、最善主義でいくと気が楽になります。

「欲」を手放し、今あるモノに感謝できれば、不幸は去っていく。現状を受け入れて、そこから最善のイメージが出来れば、”感謝”という感情に繋げられるのではないか?そんな考え方のほうが楽に、楽しく生きられるのではないか?と思うのです。

そうなってくると、最近流行りのミニマリストな考え方になってくるのかな、とも思ったり。なんでもあったらラッキー程度に考える。そんな感じ。

何でも便利になって当たり前という感覚になりがちだけれど、当たり前なんてない。忘れず意識しておきたいものです。

「欲」の弊害

世界一幸福の国、ブータンの例が面白いというか分かりやすいというか。

貧しい国なのに幸福度指数が高い。それはほどほどの「欲」の上で成り立つ最善主義だったからだと思う。

しかし、昨今の経済発展でネットで世界と繋がれるようになったら、幸福度が下がってしまったらしい。

他国の豊かな暮らしへの「欲」が、彼らを不幸にさせてしまったのかもしれない...。

まぁ散々「欲」を悪者扱いしてきましたが、人間が成長するには「意欲」は必要不可欠なので、あくまでコントロールが出来ると良いよねっていうお話ですっ!

「欲」をコントロールできると、感謝感度もコントロールできると。

ただ言葉では分かってても、忘れるんだよね。。(感謝日記とかあるけど続かない…(欲におぼれがち…(Oh my Buddha

ゲーム中毒ならぬ、感謝中毒

これをゲームかアプリで仕組み化できないかなと思ったりするわけです。ゲーム中毒ならぬ、感謝中毒にしちゃう計画。(なんか耳障り悪いな

まぁこれがメンターテイメントってやつに繋がってくるわけですが。

さてさてプレイヤーの心理状況をどう測るかですが…それは最初に心理テストやってそれを数値化すれば良いかと。

んでもってその数値化した心理パラメータに合わせて、登場キャラに冒険進めながらコーチングしてもらうみたいな。

そしてプレイヤーの選択肢によって心理パラメータを変動させて、適切な感謝への”気づき”を促進させると。

感謝ありきは良くない。ついでにあったら嬉しい。んでもって、それが多いほど嬉しい。好循環に繋がる。期待値を下げつつ(感謝感度を上げる)、ゲーミフィケーションを取り入れると面白そうだなと。

期待値を下げることは、感謝感度を上げること。

そして幸福感度を上げることだとも思います。

当たり前なんてない。これを意識することから始めたい。

足るを知る者は富む。

色んなものが便利になっていくにつれて、期待値が上がり続ける昨今。意識的に期待値を下げることは一番重要なことなのかもしれません。

だいぶ長くなっちゃいましたが、要するに、現在に生きる私たちは!

・他人と比較し過ぎ
・何かと期待値高くなり過ぎ
・欲に溺れ過ぎ(理性壊れ過ぎ)

ってこってすなw

NO PAIN, NO GAIN.

さて、ここまで来たら何となくタイトルと繋がってきますね。

「No pain, No gain.(苦労なくして得るものなし)」という”ことわざ”がありますけれども、これを元に「No thank, No life.」を訳しようとしますと、「感謝なくして人生なし」という意味になるんじゃないかなぁと。

今に感謝して、今を生きる。

そうする事で、より良く生きられるのかなと。well-beingってやつかなと。

人類みんなそれぞれ、痛みに強み、そして些細でも歴史を持っています。

社会課題はたくさんだけど、今の痛みを、良い未来に、良い歴史に繋げたいものですね。

最後になりましたが、こんな拙い文章を終わりまで読んでくれて、ありがとうございました。最後に改めて、この言葉を添えたいと思います。

Thank you!

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