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少女の世界

橋の向こうから、杖をついた少女が歩いてくる。

数歩先をたしかめるようにコツコツと杖で叩いている。目が見えないのだろうか、と思いつつ、そういうようにも見えなかったのは、彼女が微笑みを浮かべながらきょろきょろとあたりの景色を愛おしそうに眺めていたからだ。

すれ違う瞬間、彼女があたしを見て軽く会釈をしてきた。

あたしもつられて頭を下げながら、なんとなく挨拶をする。

「こんにちは」

「こんにちは」

少女は嬉しそうにあたしを見て笑うと、足を止めた。

「何を見ていたんですか」

尋ねると、不意を突かれたようにきょとんとする。

「え、ああ、そうですね……」

そして、自分の中だけでたしかめるようにうなずいて、ふふふっと笑うと、

「わたしにしか見えないものを、見ていました」

と言った。

「あなたにしか見えないもの」

思わずくり返す。

「ええ、すごく贅沢な景色よ」

あたりを見渡す。橋から見えるのは、画家のリモンチェッロのキャンパスから生まれた川沿いの風景。もちろん、美しい、けれど彼女の言っているものとは少し違う気がした。

「ふふふ、周りくどい言い方はやめましょうね」

彼女はまた自分だけで楽しそうに笑うと、

「わたし、目が見えないんです」

と言った。

「正確には、目が見えないわけじゃなくて、他の人と見ている世界がまったく違うらしいんです」

それは、何億人にひとりの体質なのだと彼女は語った。

「不思議よね。わたしには今、美しい……少なくともわたしが美しいと感じる景色が見えている。でも、どこに何があって、どういう色をしていて、ということをあなたには説明できないの。共有できるものが何もないから」

さして寂しい風でもなく彼女はそう言う。

「たとえば、ここからは“川”が見えるんでしょう。でも、わたしにはそれがわからない。音や香りや手ざわりや、見えないぶん研ぎ澄まされたそういう感覚が、わたしだけの“川”を今見せている」

それは、とても贅沢な体験なのよ。少女はにっこり笑うと、またあたりをきょろきょろと見渡した。

「見えている世界を誰とも共有できない」

とあたしはつい呟く。

「それはきっと、すべての人にとってそうとも言えるのかもしれない。あたしは、あたしの目でしか世界を見ることができないから」

急にハナメガネ・タウンのいつもの景色が特別に見えた。あたしだけの景色、あたしだけの世界。

香りも、音も、手ざわりも。あたしに感じられる世界はあたしだけのものなのだと思うと、なんだか王様になったような誇らしい気持ちになるのだった。

あたしは少女に別れを告げると、胸を張って、あたしだけの王国へ帰宅の道を急いだのだった。

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