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クルミドコーヒーに行って『ゆっくりいそげ』影山知明氏著を読んだ話

クルミドコーヒーには2回行ったことがある。たまたま知り合いが勤めていたことから存在を知り、帰省ついでに行ってみた。

●インテリアの世界観が構築されている
クルミドコーヒーはまるで絵本の中に入ったような気分になる。ヨーロッパのおとぎ話の世界観だ。小物が織りなす物語とコーヒーが心を和ませてくれる。居心地がいいカフェとはこういうことかと意を得た。
胡桃堂珈琲店は古材を使ったシックな佇まいだ。割と席数はあって、ゆっくり読書もできるがおしゃべりもできる環境。本棚の本は自由に読める。
隣の客がコーヒーそっちのけでタロット診断をやっていたのが気になった。お店はお客さんを選べないのがネックだ。敷居を高く設定する店の気持ちがわかった。

●料理にこだわりが感じられる
胡桃堂珈琲店でカレーとホットチャイを頼んだ。カレーはスパイスが効いているのに優しい味わいで赤米と和音を奏でていたし、チャイは煮出してあってちゃんとスパイスの味がした。(最初から砂糖が入っていたのはげんなりした)

ーここで私の脳内である1枚の絵が踊り出すー

印象派の展覧会で一躍有名になったレッサーユリィは夜のカフェや雨の日を題材に絵を描いたという。個人的に人の心の闇に寄り添うような本や絵が好きで、レッサーユリィの絵をずっと見入ってしまった。物悲しさが伝わってくるが、どこか人間味も感じられる。冷たくて温かい、そんな感じだ。
そういえば日本の古典ではしみじみとした静かな趣を書いているのが多い。「憂し物悲し心憂し」は本来の感性に合っているのかもしれない。

私は人の心の”夜”に寄り添うような何かをしたいと思う。何かが分からなくてとても苦しいが、20代の特権と考えておこう。憂しと見しよぞ今は恋しきを信じて。

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前置きが長くなったがここからが書評だ。

本を読んでいて、市場規範と社会規範の概念を思い出した。保育園でお迎えに遅れたら罰金を払わせるようにしたら、逆に遅れる人が増えたというやつだ。
「なんとなく悪い気がする」「自分も運営している仲間だ」という良心が薄れて投げやりになってしまうというのは日々実感する。コロナの補助金をくれないから旅行するなどは典型例だと思う。
さて、クルミドコーヒーではこの「社会規範」をうまく活用している。人のために何かをしてあげようと思わせる仕組みが意図的に作り出されている。

また、クーポンカードをやらない理由にも膝を打った。お得さを求めてしまう心を刺激しないためらしい。試しに財布の中のクーポンカードを見てみたが、確かにカードがある店への愛着はほぼない。他に安い店があったらすぐ乗り移ってしまうだろう。
最近「北の快適工房」という通販を経営している木下勝寿氏の本を読み、同じことが書いてあった。安く売るのは本当に最後の手段であると。一回安売りしてしまうと、次回以降が割高に感じてしまう。

WEBマーケティングをやっていて、割引で集客するという定石に囚われてる企業が多いと痛感する。本当に大事なのは顧客を思うことなのに。集客を考えるとお客様の顔がのっぺらぼうになってしまう。名前がシリアル番号みたいに見えてきたら末期症状だ。by通販部門1ヶ月めの私

SNSやクラファンなどで個人の想いが広げられるようになってきたこの時代、大企業と理念のある企業だけが生き残ると思う。実現したい世界を追求することが大事だ。今の会社を脱出して何を実現するかな。








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