本が好きな男の子と、本が好きだった男
きょう、本を買った。
たった一冊、地元でもなんでもない旅先で。
そしてそれは、きっと読み切られることのないものになるだろう。
"ぼくは本がすきだ。"
もともとは歴史好きが高じて、伝記を読むようなったのがきっかけだった。集団行動が苦手で、友達はいても遊ぶことはあまりない。興味のないことにはとことん冷淡だった。
流行りの遊びなんかには目もくれず。
そんなぼくに読書の習慣がついてしまえば、あとは気になるジャンルを増やしていくだけ。
"沼"にハマるのはたやすかった。
中学に上がると勉強についていけず、さらに前時代的な教師の指導に嫌気が差していった。嫌いだった学校はいつしかどうでもいいところになった。
きょうも大人たちは大変うっとうしい。
現実から目を背けるのに、本が効果的でないわけがない。一か月まともに教室に通ったかと思えは、学級文庫から2・3冊抜いて3か月間自宅や公園で読み漁る。
このときばかりは、老けてみえる風貌に産んでくれた親に感謝した。平日日中、私服で公園のベンチに寝そべって『野菊の墓』に『坊っちゃん』、それから『海底二万マイル』や『ああ無情(レ・ミゼラブル)』。飢えたようになんでもかんでも読んだ。おもしろいとかおもしろくないとかどうでもよかった。
間違いなく、本はぼくの救いとなった。
そんな人間でも高校に進学し、改心して人並みにではあるが真人間になった。
ぼくが本好きなのを知って好きな作品を教えあったり、文芸部に誘ってくれるような友人もできた。我ながら人に恵まれたもんだと思う。
このときもいままで同様に本を読む日々だった。毎日図書室に通い、おもしろそうなタイトルを適当に手にとっては読む。そのくり返し。
いつしか、ぼくもなにか書いてみたいと考えるようになった。
そうして実際に書き上げたものは、例えるなら黒く焦がしたクッキーのようなものだった。外から見ればそういう形はしているが、決して食べられたものではない。食べようという気にもならない代物。
そして不運なことに、ぼくを文芸部に誘ってくれた友人はキレイなクッキーを焼き上げた。誰が見てもクッキーで、そしておいしい。
すぐに「これは敵わない」と思った。努力しても勝てないという存在に初めて出会ってしまった。望まずとも友人の作品と比較され、自分でもわかりきった評価がされる。書く気力がそがれるのに十分だった。
そんなぼくでも、作文だけは評価してもらえた。修学旅行の感想文は当時読んでいた森見登美彦作品の文体に寄せて、自虐的に書いたものが教師にウケた。校誌にのせるクラス紹介文も同様だった。講演の感想文にしても、まじめに要点をつかんで「話者の伝えたいこと」をつかんで書けば使ってもらえた。
ここらあたりで自覚する。ぼくに文芸創作は向いてないんだ、と。どんなにおもしろくなりそうな設定を思いついてもそれを詰めることができないし、わかりやすくおもしろい文体で書く技量がない。
いつしかまた、ぼくは本を読むだけになっていった。
時間がたって、社会人になった。学生時代のように使える時間に制限がかかり、本を読む時間は自然と減っていった。タイトルだけ見ておもしろそうだと買った本も、半分だけ読んでほったらかしにすることが増えた。最後まで読み切ることはついになかった。
あんなにむさぼるように本を読んでいたのに、本に飢えていたのにだ。
高校の図書室でたまたま手に取ってハマった桜庭一樹も、修学旅行先でタイトルに惹かれて買った道尾秀介も、夢中で読んでいた作品のシリーズ5作目をずっと待つほど好きだった西尾維新も。H・ケメルマン、小峰元、坂口安吾、川端康成、夏目漱石、ほかにも古今東西たくさんの作家の作品。
なにもかも興味をなくしてしまった。読まなくなってしまった。本屋に入ることも、図書館に行くこともなくなったのだ。
"僕は本が好きだった。"
きょう、本を買った。
たった一冊、地元でもなんでもない旅先で。
そしてそれは、きっと読み切られることのないものになるだろう。
レイ・ブラッドベリの『華氏451度』。
これまでなら店に入って10分もせずに一冊を買えたはずなのに、40分かかってようやくレジに持っていった作品。そんないまの自分に悲しくなった。もう昔のように本を好きでいられなくなってしまったのか。
社会人という環境は、僕の本に対する高かった温度をついに行きつくところまで至らしめ、情熱を完全燃焼してしまった。
飢えは結局満たされないままだった。が、それに鈍感になってしまったのかもしれない。大人になるというのはそういうもんだ。あらゆるものに鈍感になって、大事にしていたものを忘れていく。そうして毎日を過ごさなければ、自分で自分を押しつぶしてしまうことになりかねない。
それでも、たまに飢えに気づくことがある。わざと盲目的に生きてみても、嫌なくらい僕の心にある穴が目に入る。まだ完全にはふさがっていない。
だから、また本を読んでみたくなった。
きっと読み切れないかもしれない。そもそも読まないかもしれない。でも、『間違いなく僕は本が好きだった』という事実をこの本に込めて、一枚ずつページをめくっていきたい。
僕の情熱がまだ燃え尽きていないと信じて。
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