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学び直しとギグエコノミーの共通点を考えてみた

Hundred Colorsです。
今回は「学び直し」を軸に、Uberをしているときに考えたことを簡単にまとめました。

 ロサンゼルスでうろうろUberした時の話

今となっては有名になったUber。日本でもUber Eatsとして普及した。
表現の仕方はいろいろあるが、誰もが好きな時に必要とされる人を運ぶとギグエコノーとして稼ぐことができる「プラットフォーム」である。
表面上はいつでも誰もがタクシードライバーになれるということに見えると思うが、少し違うと思う。

重要なのは誰かが作った「プラットフォーム」に乗ると、喜ばれることに加えて経済的な対価(=稼ぎ)が得られるということである。として認識する。

実際に、何度かロサンゼルスでUberをしてみた。
今さら書くことはないが、移動したい人にとってはとても便利であった。
もし、自分がドライバーになったらどうなるか?を想像しながら、実際にどれくらい稼ぐことができるのかをドライバーと会話をしてわかったことがいくつかある。
ドライバーは学生もいれば、仕事帰りのビジネスパーソンぽい人もいるし、お母さんもいた。
Uberドライバーとなる頻度や実際に運んだお客さんの距離などにもよって変化はするが、ちょっとした小遣い程度の金額になる。
その積み重ねを考えてみると、なかなか大きな金額になる。

【考えたこと】もしかして?Uberのドライバーになる人を集めることはネットワークを作ること

Uberを学び直しの側面から無理やり捉え直すと、ポイントは次の点だと思った。

(その1)
自分ができることの中で、どのような要素が単発な仕事になりそうかということ

仕事として成立するためには自分のできることが棚卸しされて、メニュー表になっている必要がある。
自分ができることは必ずしも他人が必要とするとは限らない。
ということは、自分ができることをどのプラットフォームに乗せたらいいのか?を考えることになる。


(その2)
Uberのドライバーもいいが、Uberの仕組みを作る人になれないだろうか?

Uberほど大きくなくていい。
学び直しからUberをみると、教えて欲しい人(他人の力を借りて移動したい人)と教える人(自分の力で他人を移動させてあげる人)に分けることができる。

Uber側の仕事の一つに、需要と供給のマッチングだけではなく、実は、供給側が何をすれば良いのかというディレクションを与えている。

教えてもらう人=需要側
どこかに行きたい人は、そのお陰で正確に目的地にたどり着ける。
ところが、そこで新しいことを学んでいたり、3ヶ月前の自分と「成長」という意味でどのような変化があるだろうか?
つまり、プラットフォームに乗っているだけでは、あまり変化は起きない。

教える人=供給側
「誰もが教えることができる人レベルになれる」と言ったら、どうであろうか?
当然、扱う内容によるから、求められるハードルは変化する。
でも、もし「自分が何かをより効率的かつ合理的にできるようになるため」にはどうしたらいいか?
手段の1つに、非公式な秘密結社でいいから同じ目的に向かって「小さく教え合う」ことは役にたつと思う。
お互いに教え合うことになるから、常にお互いに支え合うという水平な関係になる。
教え合う時に、支払う対価は仮に500円でもいいし、美味しいコーヒー1杯でもいいと思う。

これって、心地いい関係なのではないだろうか?

1ヶ月の小遣いを得るために、ギグエコノミーであるUberはあまり大きくはない人の繋がりで成り立つことがある。

無理やりUberと学び直しを考えた時、何かをできるようになるために少しだけ学び合うことも、100人単位の大きな集団ではなく、何人かの人から学べば済むことなのではないだろうか?

今は、情報技術の進化に伴って、マイクロラーニングというプラットフォームが発達した。確かに、いつでもどこでも学ぶことができる。
コンテンツ化されたものが近くにあるのは便利である。
ということは、ギグエコノミーのように「ちょっと教えてあげる&ちょっと学ぶ」関係はどこにでもあるはずなのだが、

それにしても、なぜ、学び直すことを先延ばしにするのだろう?

なぜ、いとも簡単に近い未来のUberに目的地を与えるのに、自分の近い目的地を与えることを先延ばしにするのだろう?


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