テレワークは自分に向き合うビジネス座禅のようなもの?
Hundreds Colorsです。
キーワードは「自分のコアを認識する時間と向き合う」です。
テレワークを話題にすると、
「通勤時間がほとんどないから良い」とか、「集中力が上がる」とか、「同僚と話す時間が短いから取り残された感じがする」とか、色々話が出てくる。
その年齢層にもよると思うが、ビジネスパーソンをやっていてテレワークをするとこんな瞬間がある。
ホッとした時に自分のお気に入りのマグカップでコーヒーを飲んでいると、ふと浮かんでくる内なる声が聞こえるのも少なくないのではないかなー?
テレワークをめぐるリアル性善説とリアル性悪説
次の会話は、テレワークをしようとする前日によくありそうな一般的な話。
電車に乗っていても、「こんなことあってさー」と、ほろ酔いのビジネスパーソンがポツリと話しているのも珍しくない。
部下:「明日は9:00-17:00でテレワークします。ご理解のほどよろしくお願
いします」
上司:「うむ。わかりました。ところで、明日はどんなことをする予定です
か?」
部下:「AとBを午前中に完成させて、CとDを分析して提案資料のドラフト
1回目とします」
上司:「わかりました。やることが1つ1つ完了する時に、メールでもチャ
ットでもいいから報告してください。まぁ、物理的に離れているか
ら普段は口頭でできていることも、オンラインになると細かく感じ
るかも知れないが、分かってください」
部下:「承知しました。明日はよろしくお願いいたします。」
このような不毛な性善説VS性悪説という対立から脱出したいと思う人は多いと思う。
タスクは回せるが、ジョブはやりにくい
テレワークをヒトの側面から切り取るとき、タスクとジョブの2つで分けてみるのはどうだろう?
テレワークでタスクをしようとするとき:
●その日のやること(=タスク)自体はこなすことができる。
●誰かと連絡を取りながら、たまにオンラインで会議したり電話したりすると、やること自体は完了する。
●誰かに話しかけられることも少ないから、タスクはどんどん進む感覚になる。
一見すると、いい感じである。
テレワークでジョブをしようとするとき:
●お客さんや相手が解決したいこと(=ジョブ)を解決するには、静かに没頭する時間が得られる。
●タスクのように誰かと連絡をとることができれば、進められることがある。
●確かに集中はできるかもしれないが、何かが足りない。
テレワークをタスクとジョブで分けて考えたとき、単に物理的な問題だけがあるのではない。
っで「働く」とは何かを振り返ってみる。
「働く」を意味する3つの英語
「働く」を考えるとき、思い出す新聞記事がある。
これほど大きな話題になる2012年に、日本経済新聞で伊藤元重先生が「働き方」が語られたことを思い出す。
LaborもWorkもPlayも「働く」という意味を持っているのだ。
それは、時代とともに変化してきた。
●Laborは肉体労働というものに近い。
●Workは工場労働を前提に考えると、集団が組織を作り、どこかで何かを生産することに近い。
●Playは、すでに遊んでいることと働いていることの境界線はなく、自己の目的を持ってフラットに近いネットワークで活動していることに近い。
(筆者Hundreds Colorsの解釈)
【考えたこと】時間で仕事をするのではなく、成果で仕事をする
多くの方が途中で気がつくと思うのだが、テレワークは単なる働き方の話ではない。
本当に、ビジネスを通して何かを解決しようとするとき、つまりジョブをするときには、詰まるところ、テレワークは向かないときがある気がする。
人間にも関係性があるように、場を共有することで身体全体で感じることがあると思っている。
自分がステークホルダーの一部に同化して、その場が持つエネルギーというか空気のようなものを感じることが大切だと思うのだ。
ミーティングを例にとっても、テレワークに向く場合とそうでない場合がある。
かけた時間の量ではなく、成果でジョブに向き合おうとする時、テレワークのどこかのタイミングで、内なる声が聞こえてくるのではないだろうか?
「自分のコア(強み)は何なのか?」
「本当はどのようなキャリアを作っていたいのか?」
「現在のできることは、いつまで十分と言えるパフォーマンスを出すのか?」
テレワークを少しだけ真面目に考えると、自分の内なる声と向き合う時間が強制的に与えられるビジネス座禅のような気がする。
テレワークをしてみると、自分のマインドは、組織に依存しているのか、自律する存在として自分の内なる声に耳をかたむる時間になっているのかに気がつく良い機会になるのではないだろうか?
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