モンスターと暮らすということ

家族とは

家族とは本来なら互いに支え合う存在で、家庭とは居場所や安らぎを与えてくれる場所なのでしょう。しかし、それは一般的な感覚を持った人同士だからこそ築くことのできる関係性であり、そこに一人異常者が紛れ込んだら容易く崩れ去るものです。それは家族という小さな集団ばかりでなく、学校や会社といった組織、ひいては地域社会や国家まで崩壊させる脅威となるでしょう。

家庭内ヒエラルキー

私の母親は、一言で表すなら「モンスター」でした。鬼母、毒母、ポイズンママ……、色々と言い方はありますが、私から見たら母親のことは「怪物」に思えます。私の母親は、自分が腹を痛めて生んだ、血の繋がった娘を虐待しましたが、それだけではありません。母親は、家庭に君臨し支配するモンスターそのもの。
生家というか、母方の親戚筋の暗黙のルールとして「一番弱い者は好きにいたぶっていい」というものがありました。父方の親戚筋にはそのようなルールはありませんでしたが、母親がそれを生家に持ち込み、適用したのです。
私の生家は、祖父母・両親・私の5人家族で、父親が非正規雇用者であったため、金銭的で両親と私は祖父の世話になっていました。(サラリーマンだった祖父は比較的裕福でした)
そのために、母親は祖父を嫌ってはいましたが攻撃するような真似はしませんでした。私が中学生くらいまでは、生家でのヒエラルキーは

祖父>母親>父親>祖母>私

でした。祖父がトップにいましたが、なぜ、母親が家庭を支配していたのかというと、祖父は家族に無関心で、一切、家庭内のことに関与しなかったためです。いつも畑に出かけているか、テレビを見ているだけで、家庭内でどんないざこざが起こっても、我関せずといった様子でいました。祖母が母親のいじめの標的になっても、知らん顔を貫き通したほどです。

母親が祖母にしたこと

私が高校生になるまでは、家庭内ヒエラルキーで私が一番下でした。そのため、母親の暴力の標的は私に向かっていたのですが、高校生になって少しは要領よく母親に媚びられるようになったため、家庭内ヒエラルキーに変化が起こりました。私の順位が繰り上がり、祖母が一番下に落ちました。

祖父>母親>父親>私>祖母

そのため、私に対する母親の暴力は少しばかりなりを潜め、代わりに祖母に向かうようになりました。といっても、殴る蹴るの肉体的暴力ではなく、陰湿な精神的暴力です。キッチンの冷蔵庫やトイレに鍵を取り付けて、祖母が使えないようにするなど。トイレの鍵といっても、内鍵ではなく外から南京錠を取り付けて、鍵がなければ開けられないようにしていました。母親は祖母と私にだけはトイレの鍵を渡しませんでした。祖母にトイレの使用を禁止し、おまるを与えてそこで排泄するように強要しました(私は母親の許可があればトイレを使用できました)。
とても寒い冬の日に、お腹を壊していたらしい祖母はトイレを使えずに大便を漏らしてしまったことがあります。母親は漏らした祖母に怒り狂い、祖母を下半身裸にして寒空の下に追い出しました。真冬の出来事です。そうして汚した衣類を外の水道で洗うように強要し、怒りが収まるまで家に入れませんでした。
この時、祖父は祖母が受けている仕打ちを知っていながら、知らん顔をしていて、助けようとしませんでした。
お腹を壊しているのに、下半身裸で外に放り出された祖母はその日、高熱を出して倒れました。けれども、母親はそれを知っていたのに、病院に連れて行かずに放置しました。私に救急車を呼ぶことも禁止しました。祖父も父親も、祖母を助けようとせず、高熱を出している祖母はそのまま放置されることになりました。
そして熱がひいたころには、祖母はすっかり呆けてしまい、自分が誰なのかも分からないありさまになっていました。今から思うと、精神崩壊を起こしたのかもしれません。

父親にしたこと

私の父親は非正規雇用労働者でした。なので、私と母親と父親の家族三人は、祖父に生活の面倒を見てもらっていました。母親はしょっちゅう、父親の給料が低いことをなじり、そのせいで自分は不幸なのだと嘆いていました。
母親は、父親のせいで苦労しているのだからと言って、夜勤もしている父親に家事をやらせていました。父親は特に文句を言うこともなく、従順で、母親のわがままを聞いてやっていました。
母親はよく父親のことを怒鳴ったり、時にはたたいたりしていました。父親が切羽詰まった顔で「僕に死ねと言うのか?」と尋ねると、母親は「そうだ。金だけ残して死んで」と答えていました。
そんな父親は、私が高校を中退してしばらくしてから、私の目の前で首を吊りました。私がそのことを伝えても、母親は知らん顔をしていました。仕方がないので、私が警察に電話をしました。父親は死にはしませんでしたが、首を吊ったことを母親からしきりになじられていました。

もしも母親がいなかったなら

母親は、祖母や父親のせいでうちはまともな家庭になれないと嘆いていましたが、私の生家がまともじゃなかったのは母親のせいです。母親がいなかったら、祖母は精神崩壊しなかったし、父親も首を吊ることはありませんでした。私の生家が狂っていたのは、母親のせいだと思います。
母親は何かしらの人格障害を患っていたのではないかと、今では疑っています。当時も、母親は頭がおかしいとは思っていましたが。おそらく、母親は共感能力が欠如しており、他人の痛みが分からないタイプの人間だったのでしょう。
自分だけが大切で、他人(家族すら)は自分の欲求を満たすための道具だと思っていたのではないか。そんなふうに思います。

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