自分が感じたままに書きたい

昔から文章を書くことが好きだ。
特に、何かの感想文など。

幼い頃やもっと若い頃は、自分が感じたことや思ったことを、割と素直に書けていたかもしれない。

でも、大人になればなるほど、自分の中にいる「別の自分」が、自分の感情をありのままに書くことを許してはくれない。

それは、たいていが読み手を意識し過ぎたがために、「私の本当の感情」は心の奥底に押し込められてしまう。
「私の本当の感情」を抑え過ぎて、隠し過ぎて、あらゆる人に配慮した発言を心掛け過ぎて、本来書きたかった内容が捻じ曲げられたり、美化されたりしてしまい、そんな自分に嫌気が差す。

特に、想い出の記録として書く場合、「できるだけ良いことだけを書き残しておきたい」という変な願望もあるため、なるべくそれに忠実に書こうと努力する。

そう、努力している時点で、もはやそれは「本当の私」ではないのかもしれない。

辛いことも苦しいことも悲しいことも悔しいことも切ないことも虚しいことも腹立たしいこともイライラすることもモヤモヤすることもめんどくさいと感じることも、それこそ一般的には「ネガティブ」とカテゴリ化される感情こそ、実は大切だったりするのでは?と感じている。

そういった感情は、読み返す分には、あまり楽しい気持ちになるものではないけど、書き出す(吐き出す)ことで、自身が一人で抱え込んでいる感情を成仏とまではいかなくとも、多少は浄化できるのかもしれない。

「ありのままに」「書き出す」というプロセス自体が、一種のヒーリングであるから、それをせずに、心の中に閉じ込めておくのは、苦行でしかない。

たとえ、誰も読まなくてもいい、むしろ、誰かに読まれることを意識せずに書くことが大事だから、誰も読まないようなところに書く方がいいのかもしれない。

ただ、「誰かに読んでもらいたい」「共感してもらいたい」というアンビヴァレントな感情も芽生えてくるため、やっかいなのだ。

どう足掻いても、承認欲求というものは、出てきてしまうものなのだ。

一生懸命書いた感想文を本人に送ることは、自己満足でしかないのに、リアクションを求めてしまうのは、自分がかけた時間と労力に対して見返りを求めていることになる。

良いリアクションをもらうために書く感想文など、それはもはや意味がない。

本人が読んでいないだろうところで、自分が感じたことや思ったことをありのままに書く。

それが一番の理想。

あと、正しさや的確さを追求し過ぎても、ドツボにハマる。
本来書こうとしていたことがわからなくなる可能性も増し、本末転倒だから、まずは「書き切る」ことが大事。
修正は後からやればいいこと。

そんな感じで、今年の目標は、
「自分が感じたこと・思ったことをありのままに書く」

これに尽きる。

万が一、読んでくれた人がいれば、ありがとう。

今年は、ライブに行ってばかりじゃなくて、もっと自分の創作活動や表現活動を充実させていきたい。

読みたい本をたくさん読んで、感想をすぐに書く。
好きな音楽をじっくり味わって、感想をすぐに書く。
食べたいものを食べて、感想をすぐに書く。

そういったことの積み重ねで、徐々にでも文章力が磨かれていくかもしれないし、そこまでいかずとも、書くことに対する抵抗は減るかもしれない。

大事なのは、自由に楽しく書くこと、書くことで自身が浄化されること、誰にも言えない自分の感情を大切にすること、きっとそういうことだろう。



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