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【完】連続小説MIA (95) | Chapter Ⅴ

フレデリックのことを話すミン爺さんを見ながら、僕は僕の父親のことを思い出した。父は僕が外国に行くことをすごく喜んだ。日本を発つ前、まるで自分が旅へ行くかのようにうれしそうにしていた。父親になるということはどういうことか、僕は知らない。ひとり息子を想う親の気持ちを、この耳で直接聞いたことはない。放任主義なのだと信じ込んでいたが、本当は息子との距離感に困っていたのかもしれない。家に帰ると、僕の父親は、いつも何かしらの本を読んでいた。父のシングルソファの後ろには、たくさんの本が平積みされていた。多くを話さない人。そういうイメージ。そんな父が、ひとりでオーストラリアに訪ね来てくれたことがある。父にとっては初めて見る土地。一緒にサーキュラー・キーから遊覧船に乗って動物園へ行った。ニュー・サウス・ウェールズ州立美術館へも行った(父は現代美術よりも歴史的な美術を好んだ)僕がほんの小さな時に、動物園で撮った写真がある。父の背中におんぶされて、みっともなくよだれを垂らしている。父は、人一倍感受性が強い人だった。とにかく考えてからモノを話す人だった。どことなく、威厳がないように見える人だった。父は、父親を知らない。だから、どう振る舞うべきなのか、悩んだはずだ。父親は、父親らしく。そんな思い込みを持っていたのかもしれない。そんなのは幻想なんだぜ。天地がひっくり返っても、あなたは僕の唯一の父親なんだから。滞在中、僕と父はいろんなところへ行った。ロイヤル植物園に行き、ロックスのレストランで夕食を取り、オーストラリアン・ビールを片手にファーストフリートパークからオペラハウスを眺めた。一週間足らずの滞在だったが思い出は濃い。シドニー国際空港で父を見送る時、僕は父親を見送ることはもしかして初めてかもしれない、と考えた。家族を外国で出迎え、外国で見送ることに、僕は一人深く心を動かされたのだ。この感銘を受けるには、ここではない何処であってもいけなかった。時として旅は、こんな風に普段の枠組みを外し、真っ新な眼を与えてくれることがある。

これといった事件もなく、チャイナタウンでの日々は穏やかに過ぎた。季節がうつろい秋の気配が街を通り過ぎる。帰国の時はもうすぐそこまで来ていることを意識した。僕はこの日々の中で何を得たのだろうか。何かを得たいと、外国に行けば劇的に自分が変わるんじゃないかと期待した。結論を出すならば、僕は何も変わっちゃいないだろう。それは、良くも悪くもそうなのであり、前にも後ろにも進んでいないのだろう。今の僕には、そういう抽象的な概念はもう要らない。そんな風に思えるようになったこと、それこそが唯一の収穫かもしれない。

   斎藤晶馬は搭乗した飛行機の窓から無機質な風景を眺めていた。「皆さま、今日もJETSTAR880便、関西国際空港行をご利用くださいましてありがとうございます。この便の機長はジョン・ブラウン、私は客室を担当いたしますリンダ・ミラーでございます。まもなく出発いたします。シートベルトを腰の低い位置でしっかりとお締めください。関西国際空港までの飛行時間は13時間20分を予定しております。ご利用の際は、お気軽に乗務員に声をおかけください。それでは、ごゆっくりおくつろぎください」機内アナウンスがながれ、機体は滑走路へと入っていく。速度を上げるにつれ、窓から見えるシドニー国際空港の建物が実態を保てなくなっていく。すべては線状になる。斎藤晶馬はカメラのシャッターを切った。ここに写ることのない人々と、すべてに愛情をいだきながら。

あとがき (Memories in Australia)

英国の詩人バイロンが言った「事実は小説より奇なり」。これは事実だろうか。他人の物語であれば大きく頷き、まさにそうだと感じる。伝記や随筆などの本を読み、人生には想像もできないくらいの出来事があるのだなと感嘆する。しかし、こと自分の身に起きたことは、主観で見ているからこそ奇想天外であるとはどうにも思えないのだ。とはいえ、僕は、僕の物語を生きている。誰もがそうだろう。あなたは、あなただけの物語を生きている。しかし、物語の進行中であるとき、その体験は「物語」として映らないはずだ。なぜなら、その現象が非常にリアルだからだ。感情が揺れ、涙が出て、立ち尽くすことも有る。うれしくて、顔がほころび、誰かが取ってくれた写真を見て初めて、「こんな顔をしてたのか」と気が付くことも有る。気が付くためには、一定の時間が要る。事実が「物語」として成り立つために必要な時間というものがある。自らの記憶を客観視できるようになるまでは、それらは都合のいい部分の記憶しか残っていない。物事をありのまんまに受け入れるまでの反応速度が重要である。僕は音楽を作るが、いつでも作品に物語性を求めている。物語はフィクションである。しかし、そこには純度の高い「リアル」がないと心は動かない。僕は純粋に自分が感動するものを作りたい。自分が読みたいものを書きたい。だから、作品はただ自分のために作っている。自分が感動しないものに、他人の感動を誘う力などない。これは僕にとって、ひとつの事実となっている。僕はこの小説「MIA」を書きつづけることでその事実に気が付いた。


2022 Memories in Australia. (c)Naohiro Kosa

[※この物語は実話に基づいたフィクションです]

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