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向日葵 (全文無料)

 向日葵の首を切るのよ、と恵子は言った。
 屈託なく太陽に顔を向けている花に向かって、ずいぶんと残酷なことを言う。陽一はそんなことを思いながら、恵子の横顔を見ていた。縁側で、恵子は絹さやの筋を取っている。ぷちん、ぷちん、という音が、セミの鳴き声に時折混じる。
 恵子は手元から顔を上げず、説明を続けていた。もっと枯れてしまうまでは、あそこに立っているままにしておいて。種ができたら、首を切って乾かすの。そうしたら種は簡単に取れるわ。
 向日葵は、斬首の企みを聞いてもやはり太陽を見ていた。その日の夕食には、絹さやの入った肉じゃがが出た。

 恵子がいなくなったのは、それから一か月以上後だった。向日葵は黄色くかさついた葉をひきずり、老婆のように立っていた。黒い顔は、ぐにゃりと曲がった首の先で、地面を眺めている。
 縁側にぽつんと座り、団扇で顔を仰ぎながら、陽一は残された向日葵をぼんやり見ていた。
 あなたといると、息が詰まるのよ。
 すべてあなたの思い通りにしなければいけないの?
 もうこれからは、自分のことを自分でやってちょうだい。
 陽一は何と答えたのだったか。
 いずれにしても、恵子はずっと前から陽一の夫としての役割に見切りをつけ、首を切って慰謝料を取る計画をしていたわけだ。弁護士も何もかも手筈は決まっていて、陽一は家に恵子の物がほとんど残っていないことにさえ気づいていなかった。
 手を上げてしまったのは初めてだったが、恵子はわかっていたという顔をした。
 何もわかっていないくせに。
 そもそも絹さやは嫌いなんだ。俺が嫌いなものを入れるなんて、嫁としての気遣いが常にできてなかった。俺の稼ぎで俺が嫌いなものを買ってくる辺り、恵子は嫌味臭い性格だったと思う。
 細かいところも常に言わないと、恵子はきちんとできない奴だった。
 若い頃はこうじゃなかった。明るく輝く顔で、いつも俺を見て気遣いができる女だったのだ。それが結婚したら、ずいぶんとだらけてしまった。陽一が仕事で忙しかったのが悪かったのだろうか。この期に及んで離婚なんて、本当に自分勝手な女だ。

 向日葵の首を切って種を取らないと。
 剪定ばさみはどこだったか、と陽一は思った。恵子は、わかりやすいところに整理しておくことができない奴だった。
 陽一は、今では剪定ばさみの場所を恵子に聞かなくてもわかっていた。縁側から庭に降り立ち、隅の物置に向かう。
 剪定ばさみを持ってくると、陽一は向日葵の首を切る作業に取り掛かった。思いのほか硬い。筋張った首の周りに力任せにグイグイ刃を食いこませ、少しずつ切れ目を深くしていく。
 やっとのことで首を切り離すと、乾いた種がパラパラと地面に落ちた。
 陽一は、それ以上種が落ちないように向日葵の顔を仰向けにし、両手で捧げもつようにして縁側へ戻った。さっきまで読んでいた新聞の上に、それをそっと置く。種が気持ち悪く密集した顔をしばらく眺めると、陽一は向日葵が植わっていた所へ戻った。
 黄色い茎は、首をなくしたまま立っていた。
 陽一はその茎を力いっぱい引っ張って抜くと、地面に横たえた。これはどうすればいいのだろう。
 しばらく思案した後、物置からシャベルを持ってくる。陽一は向日葵の残骸をその場所に埋めるために、浅く細長い穴を掘り始めた。
 傾きかけた陽射しは、まだ夏の熱気を残している。熱が籠って乾いた土は、陽一がシャベルを突き刺すたびに、引っかくような音を出して砕けた。
 しばらく無心で穴を掘っていると、不意に「あら」という声が聞こえた。
 顔を上げる。塀の向こうから、近所の女性がのぞきこんでいた。
めぐみ という、だいぶ前に旦那に死なれた女だ。彼女は陽一と目が合うと、にっこりと会釈をした。
「向日葵かしら?」
「ええ。種を取るために、枯れるにまかせて立たせておいたんですよ」
「茎を埋めるんですか?」
「向日葵の首を切ったから、胴体も……埋めた方がいいかと思って」
 恵は怪訝な顔をしたが、それ以上何も言わなかった。慎ましやかで、こちらの言うことに異議を唱えないのは好ましい、と陽一は思った。
「お疲れじゃありません? 奥様は……」
 言いかけて、恵は口を閉じた。恵子がいなくなったという噂は、もう広がっているのだろう。ならば隠しても仕方がない。
「……一人になりましてね。向日葵の種を私は食べないんで、もらってくださいませんか。そのうちお届けしますよ。その時に一緒に食事でも?」
 恵の頬が染まったように見えた。あぁ。向日葵のような人だ。今度こそ、陽一の指示に素直に従うきちんとした女かもしれない。
「向日葵の首を切ったし、胴体も……ちゃんと始末したのでね。来年にはここに、新しい向日葵が生えてくるんじゃないかと思います」
「茎は、そこにまだありますけど……」
 恵の目が、何かに気づいたように見開かれた。

(初出 ネップリ創作文芸同人誌『鯨骨生物群集』vol. 2 2021年夏号)

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