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日記:多様性

心理系の民間資格が複数取れる講座を受けはじめて半年が経とうとしている。
半年間は講師に質問し放題なので思いついた疑問質問はどんどんするようにしている。
占い講座も開催しているスクールで、講師は占いの知識もある。

知識を詰め込む講座というより、いかに副業に結びつけるかに重きを置いている講座だと思うし、実際このスクールもそれを謳っている。

講師とのオンラインの面談が週に一度。
最初は知識面での質問をしていたのが、
時間が経つにつれ雑談もしつつ自分の経験を踏まえてケーススタディからの質問をするようになってきている。

私の経験からの質問内容の課題は詰まるところ
「境界線」「多様性」に行き着くのではないかという気がしてきている。

アンガーコントロールについて学ぶとわかるが、
根に持つタイプというのは怒りやすいし溜め込みやすい。
私は根にもつタイプだからその場で怒らなくても延々と後からふつふつと怒り続けて消耗してきた。

なぜ怒るか。「境界線」「多様性」から読み解けば
相手の自由を尊重できないからなのだ。

こう書くと語弊がありそうだが、
私は相手の人生の自由は縛りたくない。
できるだけ相手の自由を尊重したい。なんでも自由にしてください、縛り付けませんよ。
と思いそう振る舞い言葉でもそう表現している「つもり」だ。

私が自覚できている範囲で、
相手の自由を尊重できないケースというのは
「相手が私を束縛したり馬鹿にしたり、コントロールしようとする自由」というケースである。そういう自由を許容するには困難を感じる。

いけずをする。陰口を言って足を引っ張る人。不機嫌を撒き散らす人。その行為の
「その自由」その行為の動機の自由を尊重できない、そこからくる怒りはものすごい苛烈なものだ。

読む人からすれば、皮肉か?と感じられるような内容だが、
大真面目に書いている。

「あなたはいけずをしたかったんだね」
「あなたは私を馬鹿にしたかったんだね」
「あなたは私をコントロールしたかったんだね」
「あなたは不機嫌を巻き散らかしたかったんだね」

それでOK。

「私はそういうのは嫌です」
「私はそのコントロールの意図に乗るか乗らないか自分で決めます」
「私が馬鹿かそうでないかは私が決めます」

それでOK。

その「そういうのは嫌です」をアサーティブに伝えるのが下手であること。
そこから私の自由に対して境界線を越えて侵入されることを許容してしまう弱さがあること。

そして、相手が私の人生そのもの、雰囲気、私の在り方、を馬鹿にして否定た場合

「そんな行為は許されない」

という心の態度をとり続けることは相手を否定することになってしまうという気づき。

私の人生や失敗、雰囲気、私の在り方を馬鹿にして否定する人には「そうする自由」がある。私は彼ら彼女たちが私を否定し馬鹿にする自由を奪ってはいない(つもり)だが、
怒り続けることで苦しさを感じ囚われて「私の自由」を損なっている。

講師にこういうケースについてを質問すると

「多様性を受け入れることで怒りが和らぐかもしれません。」

とアドバイスをもらったことがあった。
それも、何度もだ。

多様性とは、と思う。皮肉ではなくて。

あなたはそう思うんですね。
私はこう思います。

あなたはOK。
私もOK。

シンプルなのだが、難しい。

私はプライドの高さゆえ怒りやすいという指摘も得た。

「言いたい人には言わせておけ」

がなかなかできないのは、
この私がこんなに低く言われるなんでことが許せないという尊大な心があるから。

低く言われてなにかしら不利益があったとして、
じゃあどうしたらいいかと考えたらいいだけ なのだが、
低く見積もられたことに気分を害し「すぎる」点。

低く見積もって噂されたり指摘されれば大抵の人は傷つくだろうが
いつまでも怒っているのはこちらの心に何かそういうトリガーがあるから。

心理系の知識だけではなく占いの知識もある先生との対話は楽しく、
これまで約6年の占い鑑定でぶつかってきた
鑑定士側の感情のコントロールについても質問したりして気づきを得ている。

先生はよく言う。

「いろんな人がいますよ」

〜べきから解放されたほうがいいというのはよく言われるが
言うは易し行うは難しだ。

講師との面談も年末には終了する。
残り時間はわずかだ。今夜も質問をあれこれ考えている。

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