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 夜更けに窓を開けると、救急車の音と、サイレンの音と、暴走族のバイクの音がする。部屋が信号の近くにあるので信号が赤になっていると、音がしばらく鳴り響いて動かない。

 少し前、出張マッサージの仕事をしていた。予約統括のビルで待機し、予約が入ればドライバーの車に乗り、客の部屋へ行きマッサージをする。施術が終わるタイミングを見計らいドライバーはその部屋の前で待機している。帰り時間はほとんど深夜のため、終電がないセラピストは必ずドライバーに自宅まで送迎してもらえた。

 施術の終わりを待っているドライバーの乗る車両を見るといつもホッとした。ドライバーは外でタバコを吸って待っていることもあった。

 ドライバーとセラピストの会話は基本的に業務内容以外禁止だった。余計なトラブルを生まないためらしく、セラピスト同士の会話も制限されていた。

 夜中にキラキラと光る街中を車の中から眺めながら、車に揺られるのが心地よかった。ドライバーは気を利かせて音楽をかけてくれていた。選曲は人によりさまざまだった。ドライバーはそこにいて運転している。私を認識している。私も後部座席にいて、スマホで業務報告をしながらも、ドライバーを認識している。

 互いの存在を認識している中で、沈黙し、静かに音楽が流れる。

 街並みの光が目に優しく映る。

 語りかけない音楽。街並みと同じように心地よく流れ去っていく。

 救急車の音と、サイレンの音、暴走族のバイクの爆音。
 マッサージの仕事帰りの車中の音楽。

 ある時、職場の先輩と部屋で電話をしていると「文乃ちゃん外で電話してるの?」と言われるくらい騒音が激しい部屋にいる。

 音。

 大学生の時、バイトで貯めたお金を使い2ヶ月オーストラリアに短期留学した。ドイツ人のママ、イタリア人のパパ。14歳の息子の家族の家にホームステイした。

 私が用意してもらった部屋の隣が14歳の息子の部屋だった。
 ある日宿題をしていなかったことがママにばれたようで、ママが叱っている。息子が言い訳をしごねている。内容はわからないけれど、ごねていることは声色でわかる。
 別の日には離れた部屋でパパがサッカーを観戦しながら雄叫びを上げている。Beautiful!!!と叫んでいる。ゴールが決まったのだ。
 ママが帰宅したときのドアの開閉音。ママが仕事から帰った時のドアを閉める音で今日のママの機嫌がなんとなくつかめるようだった。

 ママに英語がなかなか上達しないことを相談したらママはこう言った。
「あなたはおしゃべりマシーンにならければいけないのよ。英語をしゃべってしゃべってしゃべり尽くすの。そしてこの街の全てを目に焼き付けて帰りなさい。」

 英語は中学以来ほとんど勉強していないのに、留学しているうちに周りとなぜか意思疎通ができるようになっていた。

 私にとって英語は言語ではなく音だ。そういうことだろう。

 きれいな声の同僚がいる。その人の話す内容より、声の波形の気持ちよさに酔ってしまうような美声の持ち主だ。

 言葉は音だ。

 だとすれば、音は言葉なのだ。

 これを書いている今日は、なぜか救急車も、サイレンも、暴走族のバイクの音もしない。エアコンの風と、換気扇の音、キーボードのタッチ音が部屋に響いている。

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