ぬいぐるみ=扶養家族
ぬいぐるみを扶養家族と呼んでいる。もちろん履歴書や戸籍標本には記載できない。でも、扶養家族だ。
ぬいぐるみが好きだ。
ゆるやかに伸びる肌の下の、綿とポリエステルには不思議な魅力がある。触れた瞬間に、目が蕩けてしまうほどの柔らかさ。胸に抱きすくめてしまえば、綿が潰れる。目尻が自然に垂れる。表情はうっとりと染まっているだろう。
めんどくせえな、と彼氏と二日で別れたことがある私にも理解できる。これが「愛しさ」なのだ。ちなみに元彼にはドン引きされた。
「えっ、早くない?」
いとし_さ:形容詞「いとしい」の語幹に接尾語「さ」が付いたもの。かわいらしいこと、かわいそうなこと。また、その度合い。
突然「精選版 日本国語大辞典 」より抜粋したが、まさにその通りなのだ。かわいくて仕方がない。
縫い付けられたプラスチックの瞳に私が映る。こちらに無関心な表情に安心する。あまりに無力だから、私が守ってやらないとならない。濡れたら簡単には乾かないし、たやすくほつれてしまう。なんてか弱いのだろう。
性格が悪いと自嘲するが、私は私より弱いものに安心を得ているのだ。どうして。私は考える。
表情は変わらないから?
自分でも守れると感じるから?
……私を傷つけられないから?
答えなど、無数に出てくるだろう。きっとどれも間違っていない。私は彼ら、ぬいぐるみの無力さがとてつもなく愛おしい。
力があるのは、おそろしい。大きい手のひら、合わない歩幅。素敵に感じるパーツだって、使い方を間違えればおしまい。殴ることも蹴り飛ばすことだってできる。
それに、握力が十五足らずの人間でも、簡単に人を傷つけることができてしまう。だって、私には言葉があるから。
私たちは強大で、無力だ。負った傷は簡単には治らない。
だから、私のせいで傷つかないものに安心する。彼らは生きていないから。ずっと同じ表情をしているから。私たちが強大でも、無力でも、無関心だ。
扶養家族。
不思議な響きだ。世帯主の欄には私の名前が記載してある。「私の収入で養っている」家族。あくまで「金銭的に守っている」という意味なのだろう。
私はお金を払って、彼らを手に入れた。一人暮らしの部屋に迎え入れた。
だって、彼らは私を傷つけないから。私が守ってやらないといけないから。私のせいで傷つかないから。
今日も、何も知らない無垢な表情で私を見つめる。プラスチックの瞳には疲れ切った私が映る。
柔らかな肌、無力な肉、縫い付けられた口。
私でも守れるのだ、と簡単に安心を与えてくれる。扶養家族。本当は知っている。守れるなんて大口を叩いていても、現実は私が守られているのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?