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エレベータで聞こえる「…っす」

エレベーターで開ボタンを押してくれる人に、はっきりとお礼を言うようにしている。

職場で当たり前のように言っている「ありがとうございます」も、知らない人に対して言うのは、少し照れくさい。それでも言った方が、お互いにとって気持ちがいいはずだ。

強制するものではないし、押している方もおそらく期待していないだろう。
私が言うようにしているのは、「我先に出るのが格好悪く見えるから」という気持ちも多少ある。

普段の振る舞いは、いざというときにも出てくる。お礼を言うのもそうだ。言わないことが癖になれば、本当に伝えたいときに言葉が出てこなくなる。

子どもに対して「きちんと『ありがとう』って言おうね」と伝えているはずなのに、大人が言えないのは矛盾していると思う。

恥ずかしさが勝った結果

エレベーターに乗っているとき、かすかに「…っす」と聞こえるときがある。私がイヤホンをしていたから、そう聞こえたわけではない。

やはり開ボタンを押して人に対して、お礼を言っているのだろう。でも、感謝よりも恥ずかしさが勝って、語尾しか聞こえない程度の声量になる。

残念な気持ちになることはない。むしろ、高校生のような照れくささが伝わってくるようで微笑ましくなる。

言わなくても許される場面で、少しでも気持ちを伝えたい。
その結果が「…っす」なのだ。

NPCではない

つながりのない人に対して、どう気持ちを伝えるのか。
エレベーターを降りるのは一瞬だから、軽い会釈は見逃されそう。だからといって、深々とお辞儀をするのは大げさだ。

押してもらうことが当たり前のように振る舞うのは、なにか違う。
目の前にいる人は、ゲームの村人、NPC(ノンプレイヤーキャラクター)ではないのだ。

そうなれば、言葉に出すしかない。
会釈しながら、「…っす」でもいいではないか。

自分でそう納得させながら、今日もエレベーターに乗る。