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2つの出来事

2022と23年の2年間。
振り返ると怒涛の2年間だったなぁ。

私は人生の転機となった出来事を2つ同時期に体験しました。
1つ目は私のTwitter(X)アカウントとなどでも散々呟いていた「手術」。
2つ目は私の過去とメンタルに深く関わることでした。肉体と精神同時に作り変えるようなそんな2年間。


・1つ目のできごと

2022年3月
いまからちょうど2年前。
長年悩んでいた子宮筋腫の悪化により、私は手術を選択した。
20代後半から1センチ程度の筋腫があるのは分かっていたけれど、健康診断では婦人科検診を必ずつけていたし、生理が重めだったので婦人科にも相談に行くタイプだった。だからそれは予想外の出来事だったのです。

30代後半の検診で指摘され、急いで婦人科を受診すると筋腫は「5センチ」まで育っていた。自覚はというと、元々生理が重いし、こんなものだと思っていた。検診の触診でお腹を押されて「おぇ、いたっ!」となるまで育ち始めていたことに無自覚だったのだ。ピーク時には約9センチと3センチが2つ。大きさを例えるならば林檎1つとピンポン玉が2つ分。筋腫は筋肉の塊のため、押すとスーパーボールのような固さあり、それを私は腹に抱えて生きていた。

大学病院へ受診する前1年は、婦人科病院医師の提案でピルを使用し、生理の回数を抑えていた。
この治療が上手く行けば閉経に逃げ込める。子宮筋腫は閉経し生理がなくなると小さくなるのだ。
正直手術はいくつかの理由から避けたかった。
この辺りは追々書こうと思う。
しばらくはこれで上手く過ごせていたのだが、日常生活が送れないほど体調が悪化してしまった。私にドドメをさしたのは繁忙期激務の職場環境から繰り出される直属上司のパワハラだった。体が限界に近く鞭を打っているところに、心が折れてついていけなくなったのだ。

ここから私の行動は早かった。まず職場人事に通報と相談。信頼できる上長にも連絡。そこからお世話になっている婦人科の先生の予約を取り受診。
紹介状を書いてもらい決めていた大学病院にその日のうちに初診の予約を取った。
手術を躊躇していた1つに仕事のことが頭に引っかかっていた。このパワハラ上司が婦人系病気を患った女性のクビを切った過去があったからだ。私も同じ対応をされるのではないか、仕事とキャリアを失うのはゴメンだった。そこで人事・上層部を全面的に味方につけてから挑む布陣を組んだ。今だから言うが、この上司がマジで「鬼門」だった。人事と上層部が味方してくれなかったら大変なことになっていただろう。ナイス自分。

大学病院は予想通り混んでおり、ようやくMRIを受けられたのは初診からひと月半後。医師に映像を見せてもらうと背骨との隙間がほぼ無く、しかも膀胱の上にドンと筋腫が乗っていた。
私は思わず写真を指さして「うわあ、膀胱かわいそう。これダメだぁ」
と声に出して言ってしまいました。
この場で手術日が仮確定する。
2022年10月14日手術。前日からの入院で4泊5日。筋腫を手術前までに小さくする投薬「レルミナ錠」をゴールデンウィークからスタートし半年後手術との流れになりました。これが強い薬のため半年しか連続で飲めないのだ。
この投薬治療の過酷さは、SNSや体験談で聞き及んでいましたが、想像以上だった。ホルモンをコントロールし閉経を起こす薬のため副作用として更年期症状が起きるのだ。
私は『プレ更年期』と名付けた。
この副作用については人それぞれのようだが、乙葉の場合は「ホットフラッシュ、息切れ、関節痛、不眠、浮腫、体重増加、イライラ、不安」あらゆる更年期症状が押し寄せてきた。
しかし主治医に助けを求めても、緩和する漢方薬だけを渡され「半年我慢してください」とお達し。ホルモンの数値がいい感じに落ちていていると励まされる。とほほは。漢方薬は焼石に水。若干良いかもしれない程度だった。
背中が痛くベッドに背中をつけて寝れない。
指の力が入らずスマホを落としてしまう。
少し動いただけで息切れで呼吸困難。などなど。
手術日を指折り数えてしまうほどきつかった。
しかもこの時期、パワハラ上司が通常運転で仕事に手心を加えてくれず、諸々最悪の職場環境。
そして世はコロナ禍。説明や入院も全て1人。そして制約が多い。かなりのストレスであった。

そして10月に腹腔鏡手術で筋腫を摘出。半月後の休職後職場復帰。やっと楽になったと思いきや、術後の後遺症がちらほら。その半年後卵巣の動きが鈍り、更年期症状が起きていることが発覚。
手術が終わり、筋腫による痛み・頻尿・貧血は改善され体は楽になったものの、なかなか上手くいかない。体調のジェットコースターを現在進行形で体験中だったりします。
これが1つ目。
肉体的に負担が大きかった出来事になります。
この女性の体に起きる様々なトラブルなどの体験をこちらに書いておきたい。なぜなら当事者になった私は世の中情報が少なすぎることに困惑し、そしてたどり着けなく、後手に回った部分があるからだ。
その中で一番助けられたのは、いろんな方の体験記だった。
文字を書くのが趣味としているので、エッセイという形で残したいと思い始めたのだ。

婦人系疾患・更年期などのフェムテックについて、書いていこうと思います。運動なども更年期の女性目線で書けたら面白いと思っています。

・2つ目のできごと

こちらはかなり重いので先にお断りしておきます。

2022年7月。
すでに子宮筋腫の投薬治療に入って、体は絶賛更年期症状に苦しめられていた時期。
その日、同居している母が熱を出していました(結果は「陰性」)。検査の結果が出るまで私はテレワークをすることに。

それを見たのは、ネットの速報だった。
2022年7月、安倍元首相銃撃。
世の中を震撼させた銃撃事件が起きた。
この事件がはじまり。

私、乙葉ほたるは「2022年流行語大賞」にもなった「宗教2世」でした。
成人後宗教から完全に離れているため過去形の「元宗教2世」が正しい表現でしょう。この告白に驚いている方もおられるかもしれません。
私が「宗教2世」という言葉を知ったのは、菊池 真理子さん「神様のいる家で育ちました」のご本からだったと思います。自分の意志ではなく宗教を選択させられた子供。その家庭に生まれただけなのに、子供にも偏見の目を向けられてきました。
その過去は私の心に深い傷を作り、いまも傷が化膿を繰り返し他人に過去を気づかれるのを酷く嫌うのです。(身の危険が及ぶ可能性があるため宗教名はこちらでは伏せさせていただきます。)

銃撃事件後、宗教に対する連日の報道や「宗教2世」の実態が白日の下に晒され、同年12月には子供に宗教を強いるのは「虐待」であると政府から認定されたのを皆様もニュースなどをご覧になっているかと思います。信仰により受けた「児童虐待」。

厚生労働省の「宗教の信仰等に関係する児童虐待等への対応に関するQ&A概要版」
多く項目が私も該当しておりました。

未成年の頃、親や親族が信仰をはじめるとゲームや漫画はもちろん、通学や学業全般も制限されはじめました。そして宗教への強制的は参加。また信仰者と非信仰者の家族親族に挟まれ、居場所や生活が奪われました。しかしそれでも私は自分が被害者であると認識が全く出来ておりませんでした。
親や大人に従うのは当たり前、宗教による洗脳もありますが、あの日々を良いように解釈し、記憶に蓋をしていたのです。そうしなければ、現実を直視しては生きてゆけなかった。過去の事は書くと大変複雑なので、ここでは省略させていただきます。

2022年暮れ。
政府の「虐待」発表や世論の変化に私は自分の問題を直視せざるを得なくなり、心がバラバラになりかけました。

「私は家族や親族から虐待されていた」
心が気づいてしまったのです。

この時期前後して、ご縁があり報道の取材、執筆、支援者との面会、人前で話すなど、様々な機会を頂戴しました。
実は入院中手術前夜もベッドの上で頼まれた宗教2世の原稿をチェックしたりと大忙しだったのです。

これらの取材関係は私にとってトラウマを掘り起こす作業でもあり、手術のストレスとダブルだったためかなり疲弊しました。
いや職場も大変だったので、トリプル。
自分から望んではじめたとはいえ逃げ場のない忙しさとストレスでした。
宗教2世の活動は当初過去に宗教を信仰していた家族には黙って進めていおりましたので、心はトラウマの蓋が開いていても隠し続けていました。

また年末年始は、子供の頃参加させられていた宗教イベントが多くあった時期であり、この問題が出る前から苦手な期間でもありました。
酷いフラッシュバックを起こし、術後にストレスが加わり寝込んでの2023年新年スタート。

しかし、この期間に知り合った支援者の方々、同じ被害者の方々に勇気づけられました。(合わない方ももちろんいました)これは裏を返せば私にとってチャンスでもあったのです。
世間が注目し理解を得られる今ならば、情報や支援が受けられ、トラウマや過去と向き合い断ち切れるのではないか?!
そう考えた私は自分の傷を向き合う準備へと舵を切ったのです。

決めた私はここでも行動が早く、唯一過去を打ち明けていた友人にコンタクトを取り相談。また支援者の方の力を借り、いろんな方の助けを受けました。
2023年3月、親に活動を打ち明けバトルもありました。まだまだ折り合いがついておりませんが、ある程度話し合いができた状態です。

そして2023年7月からカウンセリングの先生のお力を借り、人生の棚卸し作業をしてきました。抱えているものの正体を1つずつ分解し、明るみにしたのです。気づけば2023年が過ぎ去っておりました。

・この2つの出来事は私の創作を根底から覆した

そして、この2つの出来事は私の創作を根底から覆したのです。今まで作り上げた世界に違和感が起き、気持ち悪いとさえ思えるようになってしまったのです。今まで誰にも言えず、小説の中に吐き出してきた様々な理不尽な出来事。
せめて小説の中の主人公だけは助けられればいい。同じような状況の子を入れて自分の心を救う作業だったのでしょう。

肉体的には喪失感。女性としての変化。
ホルモンの崩れにより今まで出来た作業が出来ない。また命に別状がない手術とはいえ、万が一を考え身辺整理もしました。
精神的には過去と向き合い、解離からの卒業。
宗教で禁止されていた手術を決行して私は何も変わらなかった。やっと宗教から手を切れたのです。晴れ晴れとしました。
複雑に絡み合った2つの出来事。
これを簡単に人に説明するのは難しいでしょう。

定例のように文学フリマのスペースを取っていたため、騙し騙しイベントに参加しておりましたが、前のように楽しめない。正直に告白しますと、創作全てを捨てる覚悟をしていた時期もあります。

でも自分が作った物への責任もある。
責任?
それは違うのでは?

整理する時間が私には必要でした。
頭も手も動かない。心も向かない。
お誘いや新しい物を求められる声を聞きたくない。
気持ち悪い。

創作関係から距離を置き、自分にとことん付き合う覚悟で向き合いました。それは1回全てから手を離し、自分を知り拾い集める作業でした。
これは他人からの意見なのか、自分の意志なのか。
固定概念を捨てアプローチを変えよう。

そして宗教に生活が支配させる前の子供時代、何かを作るのが好きな自分を思い出しました。
加えて体の治療目的でジムに登録し運動をはじめました。
体力があれば諦めていたことが出来るはず。
運動は苦手だったのですが、気づけば運動が楽しくレッスンに通うのが待ち遠しくなりました。

私は次第に全く別人への変化してゆきました。
今もその変化は続き、明日の自分は違う自分にアップデートしてゆくのが楽しくて仕方ない。

求めていたのは、これだ。
とてもシンプルだったのです。

この2つが両方同時に起きたのは苦しくもありましたが、反対に2つ同時だったからこそ、体と心を作り変えるよい機会でもあったと振り返ります。

・バラバラになった「自分」を一つにしたい


そしてこのnoteの「はじめに」でも書きましたが、私はバラバラになっていた自分という核を一つにしたいと切望しておりました。
ここに書くことで、私はひとつ自分を拾い上げました。自分を守るため、過去を隠すため、嘘や沈黙により打ち捨てていたカケラたち。泣く泣く捨て去られた大事なモノ。拾い上げピカピカに磨きあげ、棚にそっと飾るのです。それを眺めニヨニヨ笑う。

これまで人生の覚悟を決める瞬間に何度か立ち会いましたが、これからはやりたい事をしよう。

こちらのnoteはこれら2つ出来事を中心にエッセイとして残していこうかと考えています。

書いてゆくうちに新しい趣旨が増えるかもしれません。私はさらに変わりたい。
その時人生は移りゆくものですから。
心は晴れやかに。

2024年3月 乙葉ほたる


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