今日から新紙幣‼︎その全貌‼︎
おはようございます‼︎
Akkyuです‼︎今日から新紙幣ですね^_^
一万円、五千円、千円の3券種が改刷されます。新しいお札は、150年以上にわたる偽造防止技術の結晶です。この機会に、新札の秘密を書いていきます‼︎
新一万円札
表面には生涯に約500もの企業の設立などに関わり、実業界で活躍した渋沢栄一(しぶさわ・えいいち)。
裏面には「赤レンガ駅舎」として親しまれた歴史的建造物(重要文化財)の東京駅(丸の内駅舎)。
寸法
縦76mm × 横160mm 現在発行されている一万円札と同じ大きさです。
新五千円札
表面には、女子英学塾(現:津田塾大学)を創設し、近代的な女子高等教育に尽力した津田梅子(つだ・うめこ)が描かれています。裏面には、古事記や万葉集にも登場し、古くから親しまれている花「フジ(藤)」があしらわれています。
寸法
縦76mm × 横156mmで、現在発行されている五千円札と同じ大きさです。
新千円札
表面には、破傷風血清療法の確立やペスト菌の発見、伝染病研究所や北里研究所の創立、後進の育成に尽力した北里柴三郎(きたさと・しばさぶろう)が描かれています。
裏面には、江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎の代表作であり、世界の芸術家に影響を与えた「富嶽三十六景(神奈川沖浪裏)」が描かれています。
寸法
縦76mm × 横150mmで、現在発行されている千円札と同じ大きさです。
人物紹介
渋沢 栄一(1840~1931)
渋沢栄一は、埼玉県深谷市出身の日本の実業家です。
彼は江戸時代末期に農民から武士に取り立てられ、一橋慶喜に仕えました。
27歳の時、第15代将軍となった徳川慶喜の実弟である徳川昭武に随行し、パリ万国博覧会を見学し、欧州諸国を訪問しました。
明治維新が起こり、欧州から帰国すると、静岡に「商法会所」を設立。
その後、明治政府に招かれ、井上馨のもとで大蔵省の官僚として、造幣、戸籍、出納など、さまざまな政策立案を行い、新しい国作りに深く関わりました。
退官後は実業界に転じ、第一国立銀行、東京商法会議所、東京証券取引所などの企業や団体を設立・経営しました。
彼は生涯に約500社の企業に関わり、「日本近代社会の創造者」と称されました。同時に、約600の教育機関や社会公共事業、研究機関等の設立・支援にも尽力しました。
「論語と算盤」の言葉に代表される「道徳経済合一」の思想でも知られる渋沢栄一の肖像画は、70歳の古希のお祝い時に撮影された写真を参考に描かれています。
ただし、各方面で活躍する彼の躍動感や若々しさを表現するため、60歳代前半にリメイクされています。
津田 梅子 (1864~1929)
津田 梅子は東京出身の日本の女子教育家であり、津田塾大学の前身である女子英学塾の創設者です。
彼女は幕末の農学者であり、江戸幕府の外国奉行支配通弁(通訳官)を務めた津田仙と初子の次女として生まれました。
1871年、梅子はわずか6歳で日本初の女子留学生として岩倉遣外使節団と共に渡米しました。
ワシントン近郊のジョージタウンに住むランマン夫妻の元に約11年間滞在し、17歳で帰国しました。
その後、華族女学校教授に就任しました。
女性の地位を高めるために自身の学校を作りたいと願った梅子は、1889年に再び渡米し、ブリンマー大学で生物学を専攻しました。
彼女が執筆した論文が英国の学術雑誌に掲載されたことで、「欧米の学術雑誌に論文が掲載された最初の日本人女性」として知られるようになりました。
1892年に帰国後、華族女学校や女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)で教鞭を執り、1900年に女子英学塾を創設しました。
彼女は生涯を通じて女性の地位向上と女子高等教育に尽力しました。
この肖像は、女子英学塾(のちの津田塾大学)を創立した梅子が30代の教育者としてのキャリアを確立した時期の写真を参考に描かれました。
北里柴三郎(1853〜1931)
北里 柴三郎(きたさと しばさぶろう、1853~1931)は、熊本県小国町出身の細菌学者で、「近代日本医学の父」と称されています。
彼は、肥後国阿蘇郡小国郷北里村(現在の熊本県阿蘇郡小国町北里)の庄屋の長男として生まれました。
幼少期には四書五経などの儒教を学びました。1871年、18歳で古城医学所兼病院(現・熊本大学医学部)にてオランダ人軍医マンスフェルトに師事し、医学の道に進みました。
1874年には東京医学校(現・東京大学医学部)に入学。在学中に予防医学を生涯の仕事とすることを決意し、卒業後は内務省衛生局に勤務しました。
1885年、北里はドイツ留学を命じられ、1886年からベルリン大学でロベルト・コッホに師事しました。
1889年には世界初の破傷風菌の培養に成功し、翌年には破傷風菌抗毒素を発見して世界を驚かせました。さらにその発見を応用して血清療法を確立しました。
1892年に帰国後、伝染病研究所を創立。1894年にはペストの原因調査のため香港に赴き、ペスト菌を発見しました。
その後、慶應義塾大学医学部の創設や日本医師会などの医学団体や病院の設立に尽力しました。
この肖像画は、風格と品位を備えた学者としての地位が確立され、働き盛りで充実した50歳代の様子を描いたもので、複数の写真を参考にしています。
新たに採用される偽造防止技術
高精細すき入れ
現行の「すき入れ」に加えて、新たに高精細なすき入れ模様を採用しました。肖像の周囲に、緻密な画線で構成した連続模様が施されています。
3Dホログラム
ストライプ型のホログラムを新たに採用しました。3Dで表現された肖像が回転する最先端技術を用いています。この技術の銀行券への採用は世界初です。
継続して採用される偽造防止技術
潜像模様
お札を傾けると、表面には額面数字の「10000」、裏面には「NIPPON」の文字が見えます。
パールインキ
お札を傾けると、左右両端の余白部分にピンク色の光沢が見えます。
マイクロ文字
「NIPPONGINKO」の微小な文字が印刷されており、カラーコピー機などでは再現が困難です。
深凹版印刷
お札の肖像部分などの主な図柄は、凹版印刷という印刷方式が使われています。額面数字や識別マークには、特にインキを高く盛り上げる「深凹版印刷」が使われ、触るとざらざらした感じがあります。
識別マーク
目の不自由な方が指で触って識別できるように、深凹版印刷によりざらつきを作っています。新一万円札には、表面の左右中央に付与されています。
すき入れバーパターン
用紙に棒状のすき入れを施したもので、透かして見ると、3本の縦棒が見えます。
特殊発光インキ
紫外線を当てると、表面の印章(日本銀行総裁印)や表裏の図柄の一部が発光します。
ユニバーサルデザイン
識別マークの形状及び配置変更
指感性に優れる形状(11本の斜線)に統一しました。券種毎に位置を変えることで券種を識別しやすくしています。一万円札は表面の左右中央に付与されています。
額面数字の大型化
年齢や国籍を問わず多くの人になじみのあるアラビア数字による料額表示を、現行の日本銀行券よりも大きくしています。
こうして新紙幣について調べていくと、いろいろ分かってきますね^_^
ぜひみてみてください‼︎
ただ、券売機などの変更にはかなりの金額がかかります。
まだまだ対応には時間かかる、もしくはキャッシュレスがさらに加速するかもしれませんね…
今日も一日頑張りましょう‼︎
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