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使い捨て社会とものを大切にするということ

仕事を始めて1か月。
身体が悲鳴をあげている。
これも慣れるまでの辛抱かな?
仕事のせいなのか、子宮内膜症の治療で更年期の症状がでているからなのかわからないが、体バキバキはつらい。
今朝は足がつった。久々だ。

仕事の方は、先週から縫製の仕事もさせてもらっている。
もともとミシンが好きで小物を作ったりしているから、希望した。
小物を作るのと、洋服を修理するのとでは全く違うことが分かった。

仕事はまだ見習の見習なので、詳しくお話できないが、縫製の仕事をする中で感じたことがあったので、今日はその話をしようと思う。

教員をしていたころ、最近は安いものを買い使い捨てる文化になってきていると感じていた。特に100均が出始めてからは顕著で、クラス担任をしているとシャープペンや消しゴムなどの落し物がコレクションのように集まる。「これ誰の?」と聞いても半分くらいは持ち主がわからない。生徒に聞いても、なくしたら買えばいいと言われる。昔はそんなことなかったのにな、と思う。安いものに執着がない、文房具などは使い捨て、なんだか悲しいと思っていた。100均は非常に便利だが使い捨て文化が加速したように思う。もちろん衛生的に使い捨てた方がよいものがたくさんあることはわかっている。

洋服にしてもプチプラに代表されるように、安い洋服を短期間で着まわす文化が定着してきているように思う。少しでも破れたりしたら捨ててすぐ次の服へ、そんなふうに思っていた。

それが、縫製の仕事を始めて意識が少し変わった。
お客様の年齢層がわからないが、洋服の修理の依頼がこんなにあるなんてびっくりした。新しい洋服の裾上げやお直しもたくさんあるが、それ以上に破れたりほつれたりした洋服やセーター、布団、かばんなどの修理の商品がたくさんあった。

狭い工場に修理依頼の商品が入った紙袋がひしめき合っている。
しかも、これ買いなおした方が早いのでは?と思うようなたくさん修理が必要な洋服もある。ものを大切にするということを改めて考えさせられた。
印象的だったのは孫が作ってくれた洋服をお直しに出してきたおばあちゃんの話だ。孫が作ってくれたものだからどうしても捨てられない、何年も前のものでだいぶ修理をしないといけなかったが、思い出だから捨てられないという依頼。

このようなたくさんの洋服の修理を担うのが、私が勤める工場の縫製の仕事。これは技術がないとできない。
技術プラス着る人のことを考えて、少しでも元通りにするために手間は惜しまない。例えばカッターシャツの一番上のボタンがなくなっていたとすると、似たようなボタンはあるが同じものがない場合は、一番下のボタン(シャツインすれば隠れる場所)をわざわざ外し、一番上につけ、似たボタンは一番下につける。ボタン1つつければいいところを2つつける手間のかけようだ。
着る人のことを考えてのこと。今までそんなこと考えたことなかったからこの気遣いにびっくりしたとともに、手間暇かかる大変な仕事だと感じた。洋服が違えば、修理の仕方も洋服の数と同じだけ違うということ。
経験がものをいう仕事。

ものを大切にする文化はまだ消えていないことがわかった気がする。
教員を辞めて気がついたことの一つ。


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