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ティール組織 x シャーマニズム(嘉村賢州 x 松木正) Wisdom Commons Lab 無料ウェビナーシリーズ #13

○ウェビナー動画全編はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=HQvlK_yyZzE

ダイジェスト(サマリー)

・これからはCEOではなくCVO(チーフ・ビジョン・オフィサー)
・グリーン段階ー協調性・ボトムアップ・積上げ・対話型の限界。
・パーパスに組織が選んでもらう
・人智を越える「グレートミステリー」の御心と重ね合わせて生きていく
・一人一人の心には、創造の力(エッセンス)が備わっている
・ビジョンクエストとは?ー命の目的、グレートミステリーの御心を知ること
・シャーマンが、「合意された現実(Consensus Reality)」ではないところに気づいている
・人生とは、本当の姿を明らかにする旅。魂という野生動物を表に出させる
・組織という生命体にも野生動物がいるはずだ。それを明らかにすべきだ
・現在の組織の「目的」が生存と最大化の「手段」になっている
・ビジョンではなく、コール
・ビジョンクエストは、ラコタ語でハンブレチアといい、意味は「夢を求めて泣く」
・役割を持っていると、自分とも他者とも切れちゃっている気がしてしまっている
・貢献、適応で仲良くなった上で、本音で繋がっていく(下手すると切れてしまう恐れ)
・意見交換ではなく、大いなるものと繋がるファシリテーションが必要
・セレモニーとは「死と再生」のこと
・今までの自分から新しい自分を統合し、全体性を取り戻しながら生まれ変わっていく
・組織の生命体もトランジション(変容)していく
・「喪失感」をどれだけマネジメントできるか
・「死に続ける力」があるか?がとても大切
・コントロールできない力と共にいるというのは、大いなるもの、夢と近いところにいる
・松木は、「アーバンシャーマン」
・シャーマンスキル①「きく」ー自覚していない非言語シグナルに気づく
・シャーマンスキル②「自覚」ー狩人のようにシグナルを見逃さない
・弱いシグナルが発露しやすい組織を作るか
・やりたくないことはすぐに辞められるようにする
・身体、感情、呼吸
・変化に対して、好奇心と思いやりが大事
・繊細性はどう獲得できるのか?ーしたいという気持ち、熱量が必要?
・微細なものを感知する修行は必要。そして、必要なのは熱量もあるけど、コンパッションがある
・人には慈悲深さは本質に備わっている。
・他者への興味は、自分への興味がないとできない。自分に興味を持ち続けること

全文

山下
8時になりましたので始めたいと思います。ウェルビーイングの英知をみんなでラボる、ウィズダムコモンズラボがお届けします。WINNERシリーズ第13回目はですね、ティール組織×シャーマニズムいうことで、今日はですね、ティール組織解説者でもあります嘉村賢州さんと、カウンセリング、伝説のカウンセラーと呼ばれております松木正さんを、ネイティブアメリカンの、英知に詳しいシャーマニズムに詳しい松木さんをお招きしております。今日はよろしくお願いします。


松木
よろしく。


山下
はい。ティール組織とシャーマニズム。これはどうして結びつくのかというところに、あんたんでしたっていうちょっともうざわついてるなあと思うんですけど。


松木
強引な企画やな、強引な企画。


山下
それでですね、早速ちょっと一般の人がわかりやすい領域から、まずティール組織のね、かなり今、結構多くの方々が読まれているのかなと思うんですけども、その観点から見たときに、僕がある賢州さんが出ている動画でね、もうこれからの次世代組織の中でリーダーの役割ってシャーマン的な業務がいっぱいあったみたいなことをおっしゃっていて、これだ!と。僕はもう3年ぐらい前から、次世代のビジネススキルはシャーマンニズムだ、シャーマンスキルだと言ってきたので、次さんがそんなこと言ってくれてるなっていうことで、まずはティール組織の文脈で、なぜそのシャーマン的なスキルなんかが今生まれて出てきているのか、その辺を聞いてみたいですけども、いかがでしょうか?


嘉村
はい。ちょっと二つの観点からお話できるかなと思うんですけど、一つがですね、今海外の潮流の一つに、これからの時代はCEOじゃなくてCVOだっていうふうに言われている文脈があるんです。

嘉村
いわゆる社長ってものが、要は経営数値のマネージメントとか、いかに人を組織して何か動かすっていうことを考える業務と、次世の中にどういうことを表現していくのかっていうビジョンとアクセスというか、フォルダでするかっていう業務を一緒にやってること自体が、経営の大失敗っていうか、よくないことだっていう。次生み出すものを聞くっていうものは相当なエネルギーと、何というか内的探求が必要なのに、数値マネージメントをするって両方がセットしてるから、全然それができなくなってしまうっていうので、争いがどうとかですね、なんかそういう株主がみたいなところで、意思決定してるってのはもうやめようよという潮流がまず一つありますっていうことですね。

嘉村
もう一つが、あのティール本題になるんですけども、今まではリーダーが持ってるビジョンみたいなものを、組織を統率してやらせるっていうのが、ティール組織でいうオレンジの組織っていうものですね。それがどうしても人が生かされてないというか、もう人を機械の部品のように扱うっていうところがあって、そうじゃないよねっていうのは、次の段階のグリーンっていうのが現れて、その個性をもっと大事にして多様性を大事にしながら、協調し合いながら組織を作っていきましょうっていうボトムアップとか、自律分散みたいなものが流行りました。だけど同時に、多様性が全然かみ合ってないというか、私は私、あなたはあなたに何があったか、ひたすら話し合ってるけど何も決まらないっていうようなのが起こっちゃうのがグリーンの難しさっていうのがあって、そして現れてきているのはティール組織なんですけど、このトップダウンでもない、自律分散でもない、だけど何か集まってるメンバーだからこそできる何かを表現するっていうようなのがティール組織で、ちょっと違う言い方すると、なんかパーパスに組織を選んでもらうっていう言い方をする、パーパスが組織を使うっていうような表現で、なんかなんていうかな、その組織がそのパーパスに組織を捕まえてもらったときに、集合的にみんなでそれをつかまえていこうってアプローチも、例えば有理論とかであったりするんですけど、もう一つは、旧トップみたいな人が、これソース役っていうんですけど、あのパーパス、耳を澄ましてそれを語ると。それ卑弥呼というか、シャーマンというか、なんかこういうふうに聞こえるよっていうような感じで言うだけで、実際は、指示命令権限があるわけでもなく、みんな自由に動くんですけど、こういうふうに聞こえるっていうことがあるから、もう健全に組織が機能するみたいな、そういうやり方がティールと言われていて、ちょっとオレンジグリーンっていう中で、まさにこのティールの中のちょっと声を聞く存在っていうのが、まさにシャーマニックだなっていうところで、多分この前話したのかなというふうに思います。


山下
ありがとうございます。僕が今回そのシャーマンの世界とか、ティールの世界とか、両方の言語を調節していきながら、ファシリテーションしたいと思うんですけど、僕側の解釈で言うと、やっぱり今までのトップダウン型のヒエラルキー型の限界っていうところに至ったオレンジという組織形態から、リーダーがよりボトムアップにちゃんとサーヴァントリーダーシップとか、いろんな声を聞こうとかって言って、こう対話対話対話でやっていくんだけど、どうしてもその対話っていうところで多様性が逆に失われたりとか、それがすごく増えたりとか、そういうことのグリーンの限界みたいなとこになったときに、より何か両者でもない、もっと統合的にボトムアップでもトップダウンでもなく、目に見えない何かとか、立ち上がってくるあっちの方向みたいなものに耳を澄ませるのが、そもそもリーダーの役割なんで、それをもって組織だったりまとまっていくと。そういうような意味で、まさにシャーマン的なあり方なんじゃないかなっていうことなんですけども、実際にね。

今度松木さんに聞いてみたいのは、シャーマンってそもそも、何をやる人なんですかっていう、多分一般的な人はシャーマンが何をやっているのかわかんないと思うんで、普段なかなか出られないので、シャーマンって。

はい、シャーマン業務長いからね。何年してるんだろう。30何年30数年、改めて言われたら何してんのやろ?とか思うよね。せやけど、なんやろなあ、全然この話にかみ合ってるかどうかわからへんけどさ、何か前提になってるのはさ、まず何があるかな、ティオシュパイという拡大した家族があるよね。ティオシュパイというのは、要は血縁関係じゃない、血縁関係だけじゃないもうちょっと拡大した家族だよね。これ、平原のインディアンの人たちの中にはあって、多分俺話できることっておそらくシャーマン全体のことじゃなくて、自分が見て聞いて、自分も体験してきたし自分もやってることでしかないから、ちょっと偏りはあるかもしれんけど。

平原のインディアンの人たちはやっぱり狩猟採収民やったから、すごいそういう意味では血縁関係だけじゃない、家族、大きな家族でいたよね。だけど、それもものすごくアメーバみたいに人数が膨れたり、部分部分でまた別れたり、ほんでまた大きなセレモニーの時にまた帰ってきたり、お盆の時になったら皆帰ってくるみたいな感じで。なんていうかな、拡大した家族の人たちの構成メンバーの中に、一人一人が多分信頼していることの中の一つは、なんていうかな、これを何て説明してるか。我々、心のある道なんて言い方してるのよね。心のある道、これを赤い道を歩くなんて言い方すんねん。レッドロードを歩くって。なんか伝統的な言い方してるのを、レッドロードを歩くみたいなことに言う人がいるけど、そういう感じじゃないよね、何かこう自分を超える、人知を超える、彼らの言葉でいうと「ワッカンタンカ」っていうね、大いなる不思議。グレートミステリーじゃないけども、そのグレートミステリーの心と自分の意思を合わせながら、重ね合わせながら生きていくような生き方をしてる人たちを「赤い道を歩く」とか、「レッドロードを歩く」とか、要はその心と一緒に、大いなる不思議の心と自分自身の意志を重ねながら生きてるみたいな感じなのかな。根本的にはやっぱり1人1人の命の中には、もうある種のそういう想像の力が、心がちゃんといて、そしてそれはそのようになろうとする、その人にしかない人生を形づくろうとするエッセンスの本質のようなものがある。だから、どんどんその人になっていく、個性化していくっていうのはすごく幸せなことやし、特にこれは悠一も参加してくれてたビジョンクエストっていうセレモニー、これは本当にティオシュパイが、拡大した家族がみんな集まってきてするセレモニーの一つやけど、ここでやろうとしてることは、結局自分は誰なのっていうことやねんな、やっぱりな。

自分のこの命の本質は何なんだろうって。ちょっと通りの言い方したら、魂の目的を知るとかね。その命の目的を知ると言ってもいいのかな。何かそういうふうなものを、1人1人の命を、命の働きに従ってそのようになろうとしているものを生きていくことを、何かみんなで助けてるみたいな。赤い道を歩く人たちという、ティオシュパイの人たちがみんなで力を合わせて一人一人がその人になっていく、個性化を助けているみたいな。それはまさにビジョンクエストだよね。そのときに、いわゆるシャーマン業務は何かという話になると、いわゆる我々ってこうやってやりとりしてるときにも、その一般的に我々が合意している、いわゆる多分悠一が何か話してくれたらその話の内容そのものを聞いちゃうけど、今何が起こってるかとか、事柄、コンテンツのようなことを聞いてしまう。


聞いてしまうというか聞くし、それが多分僕らの現実やと思ってるんだけど、シャーマンは多分そこに自覚を持ってないよね、そこじゃないよね、通称第2の注意力なんて言い方するかもしれんけど。その自覚からすごい遠いところのシグナルをいつもどっかで感じ取ってるよね。それをもとに、多分その人がどんどんその人になっていく。すごい本質の世界の中に入っていくんやと思うね。もうみんなが合意してしまっているこれが世界だとか、これは、僕はこうなんだなんて思ってるものではないと言ったらちょっと何やろな、語弊があるけども。もっと本質的なものになっていくために、その人の自覚の外へ、人を導いていく。一般的な自覚の能力ではない。アウェーの力を持ってる人が多分シャーマンと呼ばれる人たちかもしれんね。もしかしたら。ごめんね、ちょっとくどい言い方やったけど、そんな感じかもしれんな。


いえいえ、今の話聞いて賢州さん、めちゃくちゃこう繋がるところってありそうですよね。


いや、すごくいっぱいあってですね、ティール組織を書いたフレデリック・ラルーという人が、その人も降ってくるような感じでティール組織の本を書いているんですけど。やっぱり人生というのは、自分自身の本当の姿を明らかにする旅だっていうふうに、彼は言っていてですね。本当は職場の仲間っていうのは、それを応援し合う仲間であるはずだと。さらに彼はパーカー・パーマーという教育学者の言葉を引用してるんですけども、魂という野生動物を表に招くっていう表現があってですね、魂は野生動物のように強靭で粘り強くウィットに富んで、俊敏ですごく魅力的なんだけどもすごい臆病者だと、森の中の蛙で野生動物見るとすぐ逃げていってしまうんじゃないかと。だけど、あの今の職場というものは、そんな一人一人の中に眠っている魂の野生動物に「でてこい、でてこい」とやっているような職場がほとんどだと。そこに本当は耳を澄ませながら表に招くようなサンバ役でお互いやるような、そんな組織を作って、人生を明らかにする旅をみんなが歩んでいると。でも同時に、この私達という集まりも縁(えん)というか縁(えにし)があるはずだから、私たちにしかできない表現という、組織という生命体にも絶対何かしら眠っている野生動物みたいなのがいるはずだから、それを明らかにしていこうっていうような、それがいわゆる組織という無味乾燥に、生命体としてありうるんだっていうことをフレデリックは言っていて、まさにおっしゃる世界観だなというふうに。


野性に触れることばっかりやってきたもんね。結局今振り返ってみたらね。もしかしてみたいな感じやんな。だけど何か一人一人のやっぱり魂の中に宿っている、やっぱりその本質みたいなものが、どんどん個性化していくことは結局はそのコミュニティ全体がある種成長したり、変化していったりすることになるよね、多分ね。最も豊かで一番みんなが幸せになることだということを、多分先住民の人たちは知ってたんちゃうかなと思うよ、やっぱりね。


シャーマン的な個人の中のそういう奥のものもアクセスしてあげるし、なんか集団的なものにもあるよって感じですか。


そうだね。それはものすごく関係し合ってるよね、やっぱりね。個人の中のものがどんどんそれこそ野生化してどんどん開かれていくと、それはある種その場とか結びつきのある、ある種のコミュニティ全体の持っている何かわからないけど、ある種それが創造しようとしている一つの知性を持った、それがやっぱり多分育まれていくんやと思う。こんな感じかな。


特にあれですよね、やっぱりその先住民の方々が合意された現実ではないそのドリーミングな意識状態に入っていくときって、やっぱり個人の話をしてるようで、その誰かの夢も自分なのか、誰かの夢なのか自分のことなのかそこが曖昧になっていくというか、そういうこともあります。


そうね。だから、そうやな。だから俺が多分悠一の話を聞きながらも…。

だから悠一の話を聞いてるんやけども、視点としては、そのそれが見ているし、それがそれっていうのは、自分を超えている英知の見てる視点で見てるのが、多分シャーマンじゃない。俺たちは、自分らの合意してる現実の俺らのアイデンティティの中で物事を考えようとするから。そうじゃなくて、それの見ている視点で見るし、なおかつ、そこで掴んだシグナルから多分その流れの中に入っていくんやと思うんだよね、やっぱり。シャーマンである所以じゃないのかな。


松木さん、すごいマイクがガサガサしている


電池の問題かな?


電池か。


1回オフにすると原因がわかるかもしれへんわ。


音声途中で切れたりしてんのこれ。


なんかねすごいガサガサですね。


そうかそうか。ほんなら今度あの大きいマイクにするわ、ドーンと置けるやつな。ヘッドセットじゃなくて。


ざわざわなくなりましたね。あとは、はい。


いやでも、魂という野生動物を表に出させるっていう、結構すごいですね。でも確かに結構今までってやっぱり、自分本来の自分っていうものがある意味、出しちゃいけないっていうか、プロフェッショナリズムみたいなものがあって、役割っていうものを身にまとって、それというものと自分というのが立替りしていたとしても、やっぱそこに順応して結果を出すみたいな。それが良しとされてきたと思うんですよね。だからある意味そういう自分の中にある野生というものは出してはいけないというか、何か大きなそこは、チャレンジというか。そういう怖いですよね、やっぱりリーダーの人もそういうものを出しちゃっていいのかみたいな、檻の中からこいつらを解き放っていいのかみたいな。


いや、みんなそれを恐れますよね。自分の中に眠る狂気みたいなものが出るのも恐れちゃいますし、みんながそんな自由に振舞って本当に組織の調和は保てるのかっていうような、それと共にですね、どうしても統率型で役割ベースの話になってしまうんですよね。


ある意味、僕面白いなと思うのは、先ほど、そういう魂の目的を知る旅がビジョンクエスト、それ集団でやるのがビジョンクエストだよってシャーマンの先住民の中では言ってましたけど、何か今までの経営の中でもビジョンっていう言葉を使うじゃないですか。どうやら意味合いが全然違うんじゃないかなと思うんですよね。なんか最近で言うことをビジョンから、パーパスとかっていうふうに…これもなんかこう、ちゃんとその本質が伝わってるかわからないんですけども、そこがどう変遷してきたのかっていうのを少しリンクするとこあるんじゃないかなっていう。

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まさにそうですね。ベイカーさんの目的というものが道具に使われ過ぎているっていうことを言っていて、そして、まずそもそも組織の目的が生存と最大化になっちゃってると、何かその先の何か大いなるものに先に繋がって表現するんではなくて、ただ生き残るためとか、幸せのためみたいなものになっちゃってるっていうようなこととか。あるいはミッション・ビジョン・バリューを作りましょうとか、そういう何かかっこいい目的を文章にしましょうとかそういうようなんて、何か目的を使って、ブランディングするとか、採用で人を集めるとか、あるいは何か目的を共有しないと、こんな100人も1000人も自由にさせたら、束ねられないんじゃないかと。このバラバラなものを統率するためには、目的を抱えなければならないんだとかっていうような、目的を道具に使っちゃってるっていうのをすごくフレデリックが投げていてですね。じゃなくて、そもそも組織はパーパスに選ばれてるというかそもそもあるものだから、謙虚に耳を澄ませるようなもので頑張って作るとか、掲げるとかではないと。だから、フレデリックはビジョンって言葉が好きではなくて、コールぐらいだと。なんかこっちに呼ばれている気がするとか、これが表現してほしいと何か言ってきてるから、動いてみたら違うかもしれないし、ていうぐらいなコールを聞いてやってみて、やってみることによってまた発見があるから。そしてまたコールを聞いてっていう繰り返しの中で動いていくのが目的とか、コールとかと関わり方なので今の道具として使うビジョン・ミッション・バリューとか、何か明確に文言化するとかっていうものを、何かちょっとだけ残念に思っているっていうところ。


松木さんの声がまだ聞こえないですね。


音声が入ってないですね、やっぱりね。


そういう意味では何なのかっていうと、何の手段になってるかっていうと、多分コントロールしようっていうことですよね。そこに従業員がこう乗ってくるようにとか、売り上げとかそういうものがちゃんとブランドとかが、メンテナンスされるようにとか。


でもやっぱり大事な人が怪我するとか、大事な人が死ぬとか、なんか餓えで苦しむとかっていう、そういう苦しみを乗り越えて発展してきた人間なので、その中で潔癖のように完璧なように、不安リスクを削るっていうことまで言っちゃったって感じがしますよね。本当は事前に防がなくても、多少の混乱とは人生とか自然につきものだから、それとともにやっていけばいいっていうところって、でもコントロールできるかもしれないって発想で実際コントロールできてきたと思うんですけど。それによって何か、大事な自分の奥にある自然みたいなものの声も聞けなくなっちゃったっていうような感じがあるような感じはしますけどね。


音声いけるのかな?


どうやろな?


あ!聞こえた!良かった!


いや寡黙な松木さんもええやろ。


これも何かやっぱり、予定調和じゃないプロセスですね。


喋りなさんなということだろうと思う。いやいや、賢州さんの話聞いたからよかったわ。そうそう、何かその人が意図して何か作ったようなものじゃないもので言うとな、ビジョンクエストでいうビジョン、ビジョンクエストっちゅーのは英語の名前やけどもさ。例えばラコタの人たちの言葉で言うと「ハムレチア」というのよね。ハムレチアというのは夢を求めて泣くってことだよね。


夢を求めて泣く?


夢を求めて泣く。フィンforVisionって意味ね。こういう表現するの。シェアーというのは、「ハンブレー」、まあ夢見の状態のことを言うし、シェアーっちゅうのはクライング、泣くって意味。いわゆる、Crying for visionよね。で、そのビジョンと同じぐらい多分夢を持ちなさいとか、どういう夢ですかっていうのは、それこそ今我々が論議しているビジョンと、あの先住民の人達の言ってるビジョンが違うぐらい違うよね、夢というものを持ってるものは。本当に寝てるときに見る夢だとしたらさ、それは自分の意図じゃないよね。夢の造り主がいて、


本当だ。


夢の創造主が作ってるわけで。創造主の御心が、心が作ってるみたいな。そこから言うたら、なんちゅうかな。そのリアリティから、多分何かを得るそこから情報を得ていくことやもんね、ビジョンクエストというのはまさに。だから、そういう意味で言うと自分のアイデンティティーから遠かったりすることあるよね。~なところしか映るよね。それを殺しなさいということではないのかもしれん、ある種そういうふうな表現をさしてみようと思う、自分を超える存在は。ある種、自分の中の野生を整備してるんだと思う。その状態にするんやろね、多分ビジョンクエストっていうのは。でも、にわ過酷やねん。やわなメソッドでは自分のアイデンティティーの域は越えられへんな。


いやだからこれ聞くと真逆な気がしますよね、今までのやっぱみんなこう夢を持とうとかビジョン作ろうって、もう完全に一生懸命考えて考えて、ある意味自分の思考の中で現実の中で、これが僕の夢なんだとか考えていくって、先住民の言ってる夢っていうのはむしろ考えの及ばない夢みたいな。自分のアイデンティティからも出てこないようなものからやっぱりその取ってくるというか、だから全然違うものですよね。


なんかそう言ってしまうと、こっちが良くてこっちが悪いみたいになってしまう。なんかもっと全体に対して市民権を与えてるみたいな感じだと思うな。自分はこう思ってきたものもあるし自分の一部でもあるわけや。いうたら、この後ろちょっと見とるいうてあるけど、小さなセルフ、小さな自己って言ってもいいかも知れない。でも何かビジョンクエストを繰り返すうちに何が起こっていくかって言ったら、俺たち普通の人やでな、そのホールないか。何回もいろんなビジョンクエストをこう繰り返しながら、そこでちょっとずつやけど、ちょっと自分のアイデンティティの外側のセルフというかな、キャラクターというかな、そういうものと出会ってるんだよね、ちょっとずつね。それがとうをたたいてるんだと思う、ちょっとずつ。要は全体になっているというか、その全体になっていくプロセスの中で、自分は何故ここに存在してるかっていうことをちょっとずつ悟っていくみたいな、なんかジグソーパズルが埋まっていくうちにだんだん全体像になっていくっちゅーかな。そんな感じだと思うよね。だから割と今までの自分のことと、新しく何かこう、整理してきたものを、これが何ちゅうか、乖離してるもんじゃなくて、今までのものも絶対必要ってわけやから、絶対に。加わっていくんやと思うね。統合されてどんどんどんどん自分が大きくなっていくっていうかな、全体になっていく。ラコタの人たちが「ミタークエオヤシ」、私に繋がる全てっていう祈りの言葉を唱えるのは、全体になろうとしてるんだと思うな、それはある種、大いなる存在にちょっとずつ近づいていくんやけど、そうはならへん、我々はね。だけどその人のある種のこの赤い道のベクトルにしたがって、全体に多分なろうとしていってるんやな。


まさにティール組織の文脈の中でも、ホール全体性っていうところは、取り上げられてますね。


そうなんですよ。やっぱり分断されちゃっているってよく言われてますけど、やっぱりあの人とも分断されてやっぱりその仮面をつけて、お互いが接しているし、自分が何かスキルを持ってないと、この人は価値を持ってないところには繋がらないっていう本当は価値なんて武器とかも仮面とかなくても繋がる繋がらないって発想もないというか、繋がってるじゃんね、切れることもないし、なのにやっぱり役割の仮面背負って人と人が切れてるような気がしちゃってるっていうこともそうですし、社会とも切れたような気がするっていうことと、そして自分自身の内側とも切れちゃってるみたいな部分が頭切れちゃってる気がするだけですけど、っていう感じの中で、抑圧したものが暴走したりとかして相互になってるっていうところが、それが繋がり直していくっていうようなことが全体性の話なので、そうですよね。やっぱり分断ってこともやっぱ怖いなっていう、なんか最近分断を越えてって言うけど、分断はもう思い込みっていう感じがしますよね。分断したという思い込みもしてるみたいな感じで、そこで分断されちゃったって捉えるか全然違う感じがして。


その何か、なんか切れちゃうとか分断をしてるみたいなところって、松木さんもよく扱っているテーマだと思うんですけども、先住民の人たちっていうのは分断をある意味取り戻すというか、なんかそういう人と人が繋がっていくみたいなことをどういうふうにこうやっていたんですかね。


でもやっぱり一つはそのティオシュパイという拡大してる家族でさ、そもそも家族なんていろんな奴おるわけやんか。出来の良いのもいるし出来の悪いのもおるし、なんでこのときこんなことしてしまうみたいなことをやる奴もいるわけやん。一時なんかバツ悪かったりとかさ。なんとなく離れてたりしててもさ、なんかそういう距離感を持ちながら多分家族やねいうのはどっか変わらへんわけや。なんかそういう意味では何ちゅうんかな。うちにもこう関わった人が一時離れる人もいるけどさ、ちょっと距離をよく知らん、別に切れてると思ってないよな、それ全然。そういうふうな繋がり具合と思ってるし、やし、それはもうね、彼らの元々のティオシュパイの人たちも、本当にそういう意味で言うとみんながガツンと一緒にいる瞬間もあれば、もう自分は夫婦だけで2人だけでやるんだっつって、そういう生き方を選ぶ人もいるし、あるまとまったいくつかの、それこそ血縁関係でこう固まって、一つのユニットを作ったりもあるしそれがものすごいなんていうかな、その時々によって形変えていくような、それこそオオカミの群れみたい。


根本的に繋がってる感があって、近づいたり離れたりしてる感じがあるじゃないですか。僕らが作る組織とかの人間関係性って何かというと、初めやっぱり何か貢献するとか、何か文化に合わせるみたいな感じで、なんかそこで仲良くなった上で、ちょっとずつ本音を出していくっていうか、なんか始めからわがまま放題やったらあいつとは付き合いたくないと思われちゃうみたいな、なんかそういう、でもなんか、そういう本音を隠して繋がる故に、逆に本音が出せなくなっていくみたいな、なんかそういう、なんか何か下手すると切れてしまうとやっぱり世界観の中で生きてしまっているんですが元々血がちゃんと繋がってたってのもあると思うんですけど、なんか結局どうしようもない奴は居るけど、でも仲間だしなみたいな感覚っていうのを養う何かがあるのかっていう。


でもほらセレモニーが大きい役割を持っていると思うのね。結局やってるところが、利害関係とかじゃないよね。運気の中で起こってるとっても深いところのプロセスそのものでセレモニーなんか繋がっているやろ?それはやっぱり大きな絶大な信頼感だと思うし、我々同士が繋がってるっていうことと、大きな存在と大きな英知とが繋がってると思う。これこの両方のことがあってのことやと思うね。


やっぱりシャーマンっていうのはそういうときにその自分と繋がるとか、組織、全体がこう繋がるみたいなことをガイドするような役割になるんですかね。


結局祭りみたいなもんやんか、大きい各セレモニーは。それをベースにしても賛同する人も大きいな大人数でやるものなんてまさにそうで、だから祀ってんのよね結局。あの要は、祭りの祭りで、結局そこそこ切れてるものとか、ほころびがあったらちゃんとそれをやっぱりどっかで祀っていく、うん。祭りって結局そういう役割やったと思うんよな。人と人のことやったりする人と、小麦さっていうのはどうかと思う人と自然やったり、大いなる存在っていうそれを全部祀っていくのがセレモニーの役割だったと思う。あとそこを司ってるファシリテーターみたいなもんやな。


意見交換に繋げていくじゃなく、もっと大いなるもので祀るようなファシリテーションしたいと言われてますね。


だって、視点が多いなる存在の視点で見てるわけやから。


そういう意味ではやっぱり、いわゆるそういう大いなるものと繋がりながら、個がすごい立ってて、全体が繋がってるっていういわゆるティール組織的なものをやってたと思うんですけど、その上でそのセレモニーが大事だって言うじゃないすか。これからの組織においても多分そういうセレモニーってめちゃくちゃ大事になってくるんじゃないかなと思ってますけど、じゃあセレモニーっていうのは何なんでしょうね。どういう役割、ちょっとこれで1時間ぐらい喋っちゃうと思うんですけど。


セレモニーがセレモニーであるという所以は何かと言うと、やっぱり結局は死と再生、どのセレモニーにもやっぱ共通していることは、やっぱり今までの自分が、ある意味、死に、新しい自分に生まれ変わるということだと思う。線を越えて。それはさっきも言ったように、死ぬってのは、今までの自分が全部否定されるんじゃなく、無くなるんじゃなくて、今まで自分から終焉化されてたような終焉の縁にやられてたような光があってへんかった自分が統合されながら、言うたら、新しい部分の文明開化、それこそあれね、鎖国した日本の中に西洋から新しい文化入ってくるみたいな感じな、入ると新しい日本なっていくみたい。ショウの後ろにそういう何か絵っぽいのあるけど。右側の方から、新しい自分が新しい今まで表現があったし、自分は何らかの理由で、多分終焉化した部分が出てくんやと思う。ある種、夢見のような状態で、夢のような状態のとき、それはある種のへんせいしき状態になったとき、そのためにすごい過酷なセレモニーをするわけだけど、自分の思考が及ばへんようなことするわけよ。そして立ち上がってきた正規してきた、ある種のセルフが、今度、今までの自分の今までのアイデンティティを形作った自分に、統合されることによって今までの自分が死んで、新しい自分の前があって、そんな感じだよね。だからセレモニーがセレモニーであることをやっぱり線を越えていくってことだと思う。いかなるセレモニー。おそらく。


ティールにおいてはやっぱりトランジションって考え方がやっぱりあってですね、組織の生命体も成長していく上で、変容していくときに例えば新しいスタッフが100人増えて思い切り一気に200人の組織になったかもしれないし、何か教えたいことかもしれないし、あの1回ある事業を閉じて新しい事業を始めていくってことかもしれないし、多分そういうチェンジにはアイデンティティの変容も伴うので、やっぱりチェンジじゃなくトランジションでやって考えていかないといけない、というときに、やっぱりそれは古い自分を1回、古い自分たちを1回死んでもらって再生するっていうところの、その喪失感をどれだけちゃんとマネジメントできるのかっていうことが、大事だっていうこと、それをおろそかにしてる。もうトップとしてはどんどん変わっていきたいから、命令のように組織を変えていくっていう中ででもね、立ち上げから一緒にやってる人たちにとっては引っ越しすら一つの喪失感なわけで、っていうときに、ちゃんとそこでセレモニーができると、トランジションはうまくいきますよっていうことをなんか、そういう、組織という生命体のいろんな変容の時々にちゃんとセレモニーできるかっていうこともそうだし、構成メンバーもみんな人生の変容の旅をしてるわけだから、節目節目でそれを祝えるかとか、喪失感をちゃんと分かち合えるかみたいなことをやると、それでもしかしたら特別なことをやらなくても、いい流れは繋げていけるんだろうなっていうことを今思いました。


なるほどね。


やっぱり日本でいうと、世界的にもそうなのかもしれないすけどセレモニーって言えばもうお葬式屋さんですかっていう話で、なんか人生の節目節目にないというか、そういう意味では、企業なんてまさにセレモニーなしっていうか、もうずっと右肩上がりで成長し続けているのを、死なない不死身で生きていくっていうような、何か生命体感ってすごく不自然ですよね、そう考えると。


何か自然からじゃないよね。


癌細胞というふうに言う人もいますが。


だから不自然やな。


ですよね、プロジェクトだったら終わりがあると思うんですけど、組織はやっぱり安定供給っていうような感じの中で、本当に人の心の変遷とかそういうものを無視しちゃったマネジャーを生み出しちゃったっていうのがありますよね。


そういう意味では経営者って、死ぬのが一番怖いじゃないですかやっぱり経営者って大きくならなきゃいけない成長させなきゃいけないってミッションだと思ってるから、そんな途中で死ぬなんて考えられないみたいな。そこがやっぱ一番大きな限界になってる気がします。


成長する個人もだし、成長する組織もやけど。俺、時々ちょっと不謹慎な言い方なんやけど死に続ける力やって言ってるんだけど、死に続ける力があるかどうかって成長できるかどうか。死をどれぐらい経験して、特に大きい死もあんのかもしれへんけど、死に続ける力、要は塀の下で成長したりすることの一つなんて尺度でもあるよね。どんだけ上手に死ねるかって。


やばいですね。


どうにんさんはその組織という形は、だから死ぬのが何なのかと言ったら、その組織が死ぬのか、組織の中で表現してきた内容がいったん役目を終えるのかっていう話で。その表現してる事業内容とかパーパス的なものの表現内容が終わったときにちゃんと儀式で死ぬことはもうどんどん逆にやった方がよくて、それイコール組織がつぶれるのは全く違うので、だからどっちかと言ってもこの事業内容はもう役目終わったね、と。で、それで安心して次のことをやろうっていうことでちゃんと儀式をやっていれば良いと思うんですけど、事業内容と組織がやっぱ一体化しちゃうともうその死の恐怖に本当に負けてしまうんだろうなっていうふうに。あとね、同じビジネス内容に同じ人が共感し続けることは不自然なので、どっちかというともうちょっと仲間的なコミュニティの中で、ある目的で集まってきて、成し遂げて解散してっていう、もうちょっとアメーバみたいな組織ができれば、もうちょっとなくなる恐怖とかなくなると思うんですけどね。


アメーバ感はやっぱり大事やろなやっぱり。自然ってそうやもんな、え?そんなんあり?みたいのをするからな、自然って常に。そんなんでいいの?みたいな。反則結構するよね。


いやあ、でも自然なんて本当にもう脅威というか、想定外ばかりですもんね。


セレモニーはやっぱ自然の中でするっていうこともだから、意味あんだよね、やっぱりね。我々を超える大きな力やもんね、やっぱりね。だから自分らではコントロールできひん力とやっぱりいるっちゅうことは、ある意味、夢に近いところ、アンブレーって夢に近いところにいるっていうことやと思う。


なるほど。


うん。それが部屋の中じゃなくて、公園という自然、それが後にある種ね、より手付かずであればあるほど、やっぱりそれは限りなく夢に近いと思う。


もうちょっとそのシャーマンのね、皆さんちょっとシャーマンになりましょうかって言ったときに、もうちょっとかみ砕いて、一般の人がシャーマンになれるんですかねっていう、シャーマンが持ってるそのスキル的なものっていうのをもうちょっと民主化できたらするべきというかしたいなっていうところあるんですけど。シャーマン的なこう、今のあり方みたいなものって、どう身につけられるもんなんですかね、身につけているものなんですかね僕らは。


ある意味ほら、俺なんかアーバンシャーマンなわけやん。


スティーブッタっていう友達がいますけど、アーバンシャーマン。


悠一がやってるシャーマン講座もね、私がやらせていただいてる講座。だけど扱ってるものは何かというとやっぱり夢やねん。ルーメン、アンブレー。夢のもしくは夢のようなドリームライクな状態になるということに向かってんの、その我々のその方向性は。人がもう合意してしまってる、要は自覚の中にある、特に自分のアイデンティティを結びつける日常的な話。アーバンシャーマンの役割は多分一つは、我々がやってるこれ、組織の中でも聞くということはすごい大事な役割よね、誰かの話を聞く。その聞くということを一つとっても、人が話をしている内容そのものっていうのは、その人の中でも合意されている現実の中でも確固たる事実として話されてるみたいな感じや。でも、実はその人がその語っているその場の中に、ある種その人が全然自覚のしてへんような言葉の使い方やったり、言葉の内容としてではなくてとっても非言語的なシグナルを出していたり、何かそれがある種、動きやったり、動作やったり、目の使い方だったり、多分いろんなおそらくシグナルをその人の自覚から遠いシグナルをやっぱり出している。そこをいかにつかむかという、聞きながらでも使おうかということ。それを入口にして、ある種、何て言うかな、夢見の状態に入っていく夢のようなドリームライクだな。それは今までの日常の現実の世界から、非日常のある種のドリームタイム中に入っていく糸口だと思うんです。その本人が自覚してるかしてへんかってことはすごく大事で、でもそういうことって、取るに足りないことだと思ってしまうよね、別に日頃は。

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だからそんなの全部ゴミ箱に入ってしまってるわけ。全部終焉化されてるっちゅうことや。だけど、そのゴミ箱に普通だったら入れそうな、取るに足らないようなものをやっぱりシャーマン的な人は、つかむ力がある。自覚する力、いち早く捕まえる力がないと。まるで狩人のように。普通見落とすようなフィールドさんやったり、かすかなある種のトラック、足跡を見逃すことはないわけで。それをいかに捕まえるかっていう狩人のようなシグナルを捕まえる、アウェーにする。気づく能力がやっぱり必要し、多分そこの自覚の能力があると、おそらく、人の縁を助けることができるんだと思うんですよ。だから自覚のトレーニングよね。やっぱりシャーマンのトレーニングであるということは。


今まで気づかなかったような、非言語的なものにどれだけ気付くかっていうことですね。


そうやね、そうそうそう。


うん。


語っていることそのものは全部自覚あるかと言ったら、話をしてる人の自覚はない部分あるからね。


というふうには本来というか、ほとんど思ってないですけどね、何か自覚を持って話してるつもりじゃないですか多くの人は。でもやっぱシャーマン的に聞くと、そこには無自覚の何かシグナルを出してるってことなんですよね。


そうだね。うん。だからアーバンシャーマンはそういうことは、別に荒野の中に行かなくたって、人の話を聞くという場面やったり、自分もそれがね仲間やったりの話かもしれないし、そこからその人がどんどんその人になっていくということを手助けすることもできるし、ひいてはそれは結局自分たちの組織が、より成長していくということ。引用していくということにも繋がっていくという。


うん。うん。


賢州さんどうですか、そのシャーマン的なこう今身につけるべきスキルというのは。


そうですよね、本当にシグナルっていうのは、切れますよ言われていかに弱いシグナルの状態で察知して動いていくかとか、あるいは弱いシグナルが発露しやすい組織を作っていくかみたいな話が、結構お題になるんですよね。なので、例えば、海外のTVの時連れでもちょっとでも会議に出たくないと思ったら、出ない方がいいっていう。プロジェクトから抜けたいと思ったら、抜けると。そういうことをちゃんと自分に素直にみんなが動くことによって、今この事業はもう終わるべき事業なんだっていうことの、組織のアウェアネスが高まるほど、それを1回始めたら責任もってやりなさいとか、辞めるときにはちゃんと説明責任を果たしてやめなさいとかって言うから、みんな心ではプロジェクト面白くないと思ってるのに、やり続けるっていうようなことが起こっていて、そうやって自分をごまかしていくうちにみんなのセンサーも消えていくっていうようなことがあって、弱いシグナルがちゃんと発露できやすい組織をつくっていきましょうっていうような感じで、そのときの弱いシグナルの一番わかりやすいのは、やっぱり感情とか身体とか呼吸とかそういうようなところだと思うので、いかにその辺りを身体を緩めて、深い呼吸をして過ごしていくのかっていうことと、あとは、お互いの微細な変化に気づき合えるのかっていうようなところを、高めていくっていう。それで気づいたときには、それは攻めるようにしてはいけないとかですね、何か変わってるけど、何かあったのとかっていうような好奇心と思いやりでお互いの変化に対して観察し合ってやっていくっていう、安心安全な仲間になっていくっていうところの、この身体感覚みたいなものをどう研ぎ澄ませるかっていうところですよね。うん。


感情なんてやっぱり人が表現、パッとそもそも言葉にして表現してるものって、とても実はその人のメインストリームな感情でしかないからね。もうちょっと微細にその感情の持ってる感覚にまで届くぐらい微細に、その人から離れないで、我々はBe withって共に見るっていうことなんやけど、一瞬たりとも離れずにいると、そしてそのことを安心しながら相手に返していくとだんだんその人は感情として表現しているようなものが、もしくはそれだけではない、そこに入り混じっている微細なものが自覚してへんかった感情とも言いにくい、言葉にもしえない、それはある種、それこそ本当に感覚体験になって身体感覚的なったり圧迫感に感じたり、膨らむ感じになったり、痛みに感じたりしながら、なんなら感覚にならせる状態になってくる。そうすると世界が止まり始めるよね、今までの合意する現実の世界だと思って、24時間のこの時間が止まり、ドリームタイムが始まってるみたいな。だから、ある種の忍び寄り感というかな。


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質問させていただきます、その繊細さ、その場に怒ってるとか。相手に怒ってる繊細さを捕まえに行くっていうのって、類まれなる集中力というか、そういうものだと思うんですよね。それってやっぱり相当な、何かやっぱり相手とかコミュニティとかに対する熱量がないと、何かエゴとか出てきたりとか、何か溢れもないと雑にやってしまったりとか、もうなんか相手に寄り添うよりも自分を表現してしまったりとかする中で、結局自分、自己トレーニングぐらい、その何かの繊細性を何かレクチャーで受けて、潜在性でここ見るんですよっていうところですごい繊細性の引き出しを作っても、成算したいという気持ちが湧き上がらなかったら、多分無理じゃないですか。そういう意味では、やっぱ自己探求が言ってもやっぱり大事なのかなっていうような。


教わることと、それをコツコツと修行するということ、微細なものを感知するための。これは絶対いると思うよね。そのために、そのためにっていうかその微細なものにまで寄り添おうとするその感覚っていうのは、言葉にしてしまうと、ある種、コンパッションみたいな慈悲深さやったり、変にジャッジしない心やったり、判断したり、いいとか悪いとか間違ってるとか、精細さを失うからね、そうなるとね。


その悟りたいという情熱と、慈悲深さを育むって、ちょっと違う感じがするんですよね。慈悲深さを育むっていうのは、どういうプロセスで生まれてくるんですか。


本来でも人間の生命の中にある本質として、慈悲深さはあんのやと思う。もうそれは例えば、何やろ、みんなが良くするような、もしかしたら瞑想という方法なのかもしれへんし。瞑想の中で自分の中に起こりうることを、やっぱり微細にちゃんとどれも無視しないで、ちゃんとやっぱり扱うということをしたり。松木自身がいつもしてることは、朝走るんやけど10キロ。そのときに起こる外の世界に見えること、内から起こってるものをやっぱりちゃんと微細に捉えるということをしてるし、そういうことの積み重ねの中で、おそらくそのコンパッションは育っていくんやと思うけどな。


じゃあ本来眠っている慈悲深さを開いていくというか、育んでいくって慈悲深さを身に付けなければならないというわけではなくて、あるもの。


そして、人間の本質として持ってるもんやと思うねん。それは。あそこ活動してないとか、もしかしたら発動ごやが何らかの理由で弱かったり、それを本質的なものがもっとにじみ出てくるぐらいにするってことかも知れない。


多分そこは僕が、よく松木さんがよくネイティブアメリカンの方々に信頼っていうものが一番大事だっていう話よく伺ってるんですけど、そういう意味で多分自分を超える、その大いなるものっていうものへの信仰というか、信頼があるっていうのが多分、そういう人の話とかそういうものに耳を傾けるという、こう慈悲深さを引き出してるのかなっていうふうにも今感じたんですよね。


ある意味自分の本質でもあるし、本来その大いなる不思議の持っているなんていうか本質でもあるわけやん、それは自分の中にあるわけやから。それがこうどんどん芽生えてくみたいな感じかもしれないけど。


なるほど。もうそこすごく大事な感じが。慈悲深さ。


なんか学び取っていくとか環境によって入れていくとかじゃない。


ですよね。


だし、なんか純粋なその人に興味持たなきゃいけないみたいなそういうことでもきっとないですよね。


うん。


結局その他者への興味も、ちゃんと自分に対する興味を育んでないと絶対生まれないと思いますし、何かテクニックができるじゃないですか。興味を持ってるように聞くとかはできると思うんですけど、そういうのをいくら高めていっても何も繋がらないなっていう感じもあって。


そうね。


ちょっと2人に残念なお知らせが。あと4分に、はい、あっという間になってきたんですけれども、そういった意味でですね、ちょっとこの2人の対談がいかに無理やりではなかったかということがわかってきたのかなと思うんですけども。そういう意味で、ちょうどですね、松木さんと賢州さんのこれから届けていきたいっていう内容がばっちりとリンクしてるので、ちょっと共有したいなという風に今思って。

最後、告知になりますが、いいですかね。まず、ジャジャン。その名の通り、シャーマンスキル講座という。まんまですね。ていうのが、毎年やっているんですけども、今年もですね、今言ったね、その深く共感的に聞くだったりとか、セルフアウェアネス、まあ自覚的に聞くとか、この変容していく、そういったようなメタスキルを6回に分けて、基礎の部分からですね、先ほど狩人とかありましたけど、もっとモンスターを取り込んでいって統合していくとか、この変容していくトランジションしていくっていうところをサポートする。シャーマンとしてのベーシックアドバンスというものはですね、4月の27日から2週間ごとに渡って開催される予定です。先ほどセレモニーってありましたけども、ネイティブアメリカンの中でも、一つ非常に重要なそのセレモニーとして、スウェットロッジリトリートという最近サウナが流行っていますけども、サウナに入る、まあ熱いサウナ、サウナどころじゃないサウナなんすけど。その中でも、完全にやっぱり合意された現実のこと、思考が動かないような状態の中で、いわゆるビジョンとか声を聞くっていうような体験、これもですね、年4回の日程が決まっておりますので、興味ある方はこちらのメールアドレスを入力して、今後の案内をぜひチェックしていただければと思います。一方でですね、嘉村さんの方は、こちらちょっと説明していただいた方がいいかなと思いますが。


実はワークイズソースラボということで、先ほどパーパスとかコールの声を聞くっていう人が存在するようになっていくんだよっていう話をしましたけど、そういうことで組織が回っていってるんだっていうことを、卓越した知見で書かれたトムニクソンという方がワークイズソースっていう本を出していまして、それの日本語版が8月に出版されるんですけども、事前にちょっとシタヤクを使った学び合いの場を作ろうと思っていますので、もしご興味があれば、参加していただければなと思います。


3月9日からですね、第2水曜日にあります。これもですね、各所のところにリンク貼っておきますので、ぜひチェックしてみてください。あともう一つですね、このティール組織の関連のお知らせですね。


はい。私たちティール組織の専門家ではあるんですけれども、ティール組織に関わらずですね、もうちょっと今までの既存の組織のやり方とは違うというやり方で、とか、進化型組織としてこれ出るんですけども、そういうやり方ってのは山ほど生まれてきている中で、できれば理想論というのも現実を見ていきたいなということで、先進的な取り組みをしている3社のライクスさん、ネットプロテクションズさん、リレーションズさんの3社のゲストを迎えて進化型組織の実践から学ぶ、対話のイベントをしたいなと思ってますので、ぜひお読みになれば来てくださっていただければなと思います。


こちらは3月の1日ですね、火曜日の夜になってます。はい。というところでちょうど9時になりましたが、いや今日非常に満足度が高いです。お2人と話ができて、とても最高でした。どうでしたかお2人の中では。


面白かった、面白かった。


いやもう、はい、ちょっとね、ぜひこの続きはあの賢州さんと一緒にスウェットに入りたいなっていう。


はい。


はい。なんかこう一緒にまた修行したりとかね、組織とかもどんどん議論して、あのどんどん進化していけたらなと思っています。はい。今日はどうもありがとうございました。


ありがとうございました。


ありがとうございました。


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