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競争社会に疲れたら『Dead by Daylight』をやるといい。怖いけど。

※CEROレーティング:Z(18才以上のみ対象)のゲームについて触れています。18才未満の方やホラーゲームが苦手な方は閲覧を控えてください。

 あなたは今、どこで何をしているだろうか。在宅勤務の机の上で過重労働の真っ只中?就職活動が長引いて、自分だけ無い内定?(私もこの時期そうだった)それとも、霧深い森の中で血まみれになっている?まあどこで何をしていてもいい。あなたがもし、失敗の許されない競争社会で生きる気力が奪われそうなら。リアル/バーチャル問わず行われるマウンティング合戦に嫌気が差したなら。やることは1つ。
 PCかゲーム機を立ち上げ『Dead by Daylight』をやることだ。


Dead by Daylightとは?


 『Dead by Daylight(以下『DbD』)』はカナダのゲームスタジオBehaviour Interactiveによって製作された、プレイステーション 4/Nintendo Switch/PC用の非対称対戦型ホラーサバイバルゲーム。1人の殺人鬼と4人の生存者に分かれてプレイする作品である。ルールは後述するが、基本的には鬼ごっこやかくれんぼとさして変わらない。つまり、比較的シンプル。しかしその絵面や実況者のリアクションの面白さ、さらにお笑い芸人の狩野英孝や俳優の本田翼などが実況を行ったことも手伝い、発売から4年を超えてもなお大人気のタイトルだ。


 また本作はオリジナルの生存者/殺人鬼に加え、映画『ハロウィン』や『悪魔のいけにえ』、Netflixオリジナルドラマ『ストレンジャー・シングス-未知の世界-』やゲーム『サイレントヒル』などのキャラクターも登場する。そうした「ホラー作品版アベンジャーズ」の様相を呈しているあたりも人気の理由だろう。
 このゲーム、絵面は非常に怖い。アクション性の高い場面もあるしスリルも味わえる。しかしどこか他のオンラインゲームと違って根を詰めたり肩肘を張ったりせずにプレイできるし、なんなら癒されすらする。怖いのに。

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映画『ハロウィン』にも登場する殺人鬼、シェイプ。個人的には彼が一番怖い


 もちろん、うまく逃げ切れず悔しくなったり、ゲートを開けたと思ったらキラーに捕まって悔しくなったりということは全然ある。しかしそれはただの悔しさであって、羨ましさや恨めしさを混ぜ込んだネガティヴな感情ではない。要は「こんなんもうプレイしてやるかよ」と投げ出させる類の感情は沸き起こってこないのだ。他のオンラインゲームで見知らぬ誰かと対戦するときや、友達と協力プレイをするときにうまく立ち回れないとキレる私がそうなのだ(幼稚なのは自覚している)。私は本作のゲームシステムに、ネガティヴな悔しさを発生させない仕組みがあると思う。本稿ではこれまでゲームを熱心にやってきた人間ではない、どの作品でもプレイは下手だと感じている私が、『DbD』に癒される理由を2点ほど挙げてみる。ゲームに精通した人間の文章ではないため、事実誤認等あれば修正したい。Twitterなどにご指摘いただければ対応致します。


1. 非対称性

 本作は4人の生存者と1人の殺人鬼の計5人で行うゲームである。見た通り、人数の非対称性が強い。加えて役割も非対称的だ。各々の行動と目的を以下に示すと、

生存者
キラーから逃げつつ発電機を計5台修理。それが完了すると脱出ゲートに電気が通るので、ゲートを開けて脱出する。
殺人鬼
生存者が発電機を5台修理する前に彼らを見つけて攻撃。瀕死状態にしたらフックに吊るし、生贄に捧げる。これを全員分行う。

といった感じ。この非対称性こそが人を惹きつけ、なんなら肩肘張らずにプレイさせてやまない第一のポイントではないか。というのも、プレイヤー間で目的が異なれば「競争意識」など働きようもないからだ。

細かいルールはこのへんで

 先に述べた通り、生存者と殺人鬼は取る行動と目的が異なる。対してこれまでのゲームは、皆が同じ条件で同じ目的を果たそうとするものがほとんどだったように思う。『鉄拳』シリーズのアーケードモードなら同程度のランクのプレイヤー1人を、『PLAYERUNKNOWNSBATTLEGROUNDS』なら初期装備が同じ(裸一貫!)100人が最後の1人(もしくは1グループ)になるまで全員を倒す。どのメンバーもそれ以外の目的を与えられていないため、否が応でも1つの指標に向かって全員が動く。
 人々が同じ条件で同じ目的を果たそうとするとき、構成員の間には競争意識が生まれる。また、競争に負けて悔しかったり嫉妬したり怒ったり劣等感を覚えたりするのは「同じ条件なのに違う結果になった」と感じるからだ。多くのゲームでは、そうした様をまざまざと見せつけられる。
 そしてそれはゲームに限らない。小学校の体育の授業に始まり、受験や就職活動、同僚とのノルマや出世競争。はたまた結婚、出産……実際には競争すべきものでないイベントも多く含まれるが、にも関わらず「同じ条件」であったハズの人が自分よりも早く、自分よりも良い(と感じる)立場にいるのを見たとき、なんとも言えない気持ちになることはないだろうか。
 もちろんオープンワールドのRPGなど、特定の目的なく世界に放り出される作品もあるだろうが、その多くは1人用だ。本作はプレイヤーが複数人、同じ空間を共有するオンラインゲームにもかかわらず、生存者と殺人鬼の間に「同じ条件」も「同じ目的」もない。つまり、ハナから「競争意識」を発生させない仕組みになっている。
 複数人でプレイするゲームにおいて「条件」や「目的」の影が薄くなると、プレイヤーが自身で目標を立てるようになる。プレイして日の浅い生存者なら「今回こそ脱出しよう」ある程度プレイに慣れてきた殺人鬼なら「全員を生贄に捧げよう」といった具合に。このように、人数や行動の非対称性が、同じ条件や目的によって生じる競争意識を軽減している。この仕組みは、何かと競争の多い世の中にあって安心感を与えてくれるのではないか。


2. 失敗した方が得することもある

 1.と通ずる話になるが、本作はゲーム終了後の報酬においても非対称性を感じる。というのも、スムーズに目的を達成したときと粘って結局生贄に失敗したときとを比べると、後者のほうがもらえるブラッドポイント(レベルアップに必要な経験値のようなもの。以下BP)が多かったりするのだ。そう、つまり『DbD』の世界において「目的の達成」は「報酬の豊かさ」を必ずしも担保しない。なぜならBPの多さは「脱出した/生存者を生贄に捧げた」という結果ではなく「何をどれだけやったか」という過程で決定されるからだ。
 さらに興味深いのが、BPを取得するための条件。それらは数多く存在し、ほとんどが「脱出する」とか「生存者を発見する」といった自分の行為に紐づいている。ただしごく一部に例外があり、たとえば生存者なら「殺人鬼に追いかけられる」ことでもBPを獲得できるのだ。
 それはプレイ的に失敗と言えるだろう。「脱出する」という目的を果たせなくなる可能性が高いからだ。こうした場面でBPを減らすのでなくむしろ追加で与えることで、失敗してもいいんだという安心感が生まれる。この世界は失敗を排除しない。結果のみが重んじられ過程が省みられない、なんてことはない。だから何度だって死んでやろう。生贄に捧げられてやろう。「ダメでもいいんだから。そういう場だから。」という誰かの声が聞こえてくるようだ。

↑「ダメでもいいんだから。そういう場だから。」の元ネタはこちら


 余談になるが、殺人鬼側にこうした例外は見られない。しかし彼らは生存者に排除されない(=生存者は殺人鬼を殺すことができない)システムになっているため、「失敗してもBPがもらえる」生存者と「そもそも失敗という概念が生存者より弱い」殺人鬼との間では均衡が取れていると思う。


おわりに

 ここまで『DbD』に癒される理由を2点ほど挙げてきた。競争意識や失敗によるペナルティを極力排除したゲームデザインにこそ、私が癒され、本作が長く愛されている理由があるのではないかと思う。まあ本作の構図を「この世界はもとより不均衡であり、プレイヤーはそれを周知のこととして受け入れている」と捉えてしまうと、なんだかディストピアな感じがしないでもないのだけど。
 なお、10/22(木)〜11/5(木)まではハロウィンイベントを開催している。11/2(月)までならマッチ終了後に貰えるBPが2倍に、しかも11/4(水)までならログインするだけでもBPががっつり貰えるのでプレイするなら今だ(宣伝)。


 あなたは今、どこで何をしているだろうか。在宅勤務の机の上で過重労働の真っ只中?就職活動が長引いて、自分だけ無い内定?(私もこの時期そうだった)それとも、霧深い森の中で血まみれになっている?まあどこで何をしていてもいい。あなたがもし、失敗の許されない競争社会で生きる気力が奪われそうなら。リアル/バーチャル問わず行われるマウンティング合戦に嫌気が差したなら。やることは1つ。PCかゲーム機を立ち上げ『Dead by Daylight』をやることだ。何度だって死に、何度だって取り逃しながら、何度だって許されて、生き直していこうではありませんか。操作に慣れてさえしまえば意外と息抜きができるゲームだと思うので是非。というか一緒にサバイバーやって!

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