短編:"地獄、舞台装置、熱源──おくそこ。"
澱んだ空が晴れる度、僕たちは傘を忘れて帰った。そしてその度に考える。「或いは、最初から持っていなかったとする方が、幾分かマシだったかもしれない」と。
四月の空は、誰しもが清々しく前を向いて歩くことを望んでいるようでいて、僕はそれが大嫌いだった。妄執に近いマゾヒズムと、ぐるぐると停滞し澱む思考。罪を犯したことのない者だけが、大きく胸をひらくようにして上段に振りかぶり、湖に石を投げ込む。巻き上げられた湖底の泥をそっと掬い上げて、飲み干す。
罪深い僕は自問する。
「いつから、いつまで?」
「どこから、どこまでも?」
エゴイスムという名の靭やかな狂気を振りかざして、僕たちは互いの肌を切り裂き、或いは頭蓋を殴り潰してゆく。その繰返しの中で獲得された無数の音素を捉えて、数えて、また数え直して、ラング・パロヲル・ミスチイフカシヲン──。 組み上がったそれを、僕たちは「ことば」と呼んで隠した。ソの暴力性。ソの加害性。ソの加虐性。ソの非全能性。
奈落とは地獄であり、奈落とは舞台装置であった。僕たちの軽薄極まりない欲望の種は、軽薄極まりない大義名分を食べて、軽薄極まりない礼賛を浴び、軽薄極まりない哲学を咲かせる。僕たちは各々が地獄そのものであり、そしてまた各々が地獄そのものを抱え、各々の地獄そのものを生きる。
僕という名の、奈落。あなたを侵したいと願う、暴力的で底の無い、奈落。あなたを陥れたいと願う、盲目的で仄暗い、奈落──おくそこ。
そして誰もが、『嗚呼この奈落から抜け出したい!』と願っている。或いは、せり上がる奈落から舞台へと降り立ち、観衆の許しと喝采をその身に浴びることを望んでいる。あまりにも独善的で、救いようのない、奈落──舞台装置。
バレル・ボーイとアント・マンが与えた、絶望の思想体系。口腔を犯すためだけの金属片(きわめて毒性の高い)。萼片は着飾る為だけにあって、散り際に初めて構造その物に触れる。肉体は着飾る為だけにあって、触れる度に内面から遠ざかっていく。しかし、僕たちは時折、どうしようもなく抗いたくなってしまう。絶望への本能的抵抗、衒学的振舞いの織り成す自己防衛の体系。もがく度に崩れる足元、堕ちていく他者と自己との対比、退避、奈落──熱源。
こうして僕たちは、縋るように身を寄せ合う。不必要な真実のために片目をつぶって、ただ肌と肌だけが互いの存在を知らせる。いつしか肌は溶け合い、「僕」たちは新しい構造のひとつに過ぎない、矮小な存在へと移り行く。「僕たち」たちは、縋るように身を寄せ合い、次の構造へ。「「僕たち」たち」たちは、身を寄せ合い、次の構造へ。「「「僕たち」たち」たち」たちは、次の構造へ。次の構造へ。次の構造へ。■の構造へ。構造へ。構uuuuuuuz造へ、kZooolpqjjjjjjjjjwrjlfug──
[Sasen, "C-221"]
「そして僕たちは、傘を失くした。 ──生まれ変わったら……?」
投石によって巻上げられた湖底の澱みは、やがていつしかの元の静けさを取り戻す。それでも、その粒子は、一様に元に戻った訳ではない。そのかき乱された秩序と、原因となる投石とを結びつけ、僕たちの左脳は。僕たちの左脳は。僕たち、左脳は、ひとつの全体子(ホロンだ! ああ滅んだのだ!!)であったと、左脳は。
左脳は。
ぼくは。
点描のような、とぎれとぎれの、線は。
ああ、ぼくは、ぼくたちは、どうしようもなく。
あびのじごくのように、のうのうといきる、うのう。
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