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フリーランスはどうやって食べているのか、振り返ってみた

先日、このnoteの読者の方とお話ししていて、「浅倉さんは贈与されたマンションとか何か不労所得があるんですか?(だから前の記事に書いてあるみたいにあちこち引っ越したり沖縄に移住したり地球2周とかしたりして自由に生きてるんですか?)」と、質問をいただいた。

答えはNoなので、そうお伝えしたのですが、確かに長いこと会社勤めをしておられる方からすれば、食べていけていること自体が不思議であっても不思議じゃないな、と気がつきました。

もしかすると、他にも「きっと何か不労所得があるのではないか」と思いながら観察している方がいらっしゃるかもしれない。いい機会なので、今日は「不労所得はないけど大丈夫なんですよ」という話を書いてみたいと思います。

途中、「あ、それはスピリチュアルですか?そういうことなら退席します」と思われるような文脈も発生することをあらかじめお断りしておきます。(笑)


フリーになるときに考えていたこと

私が独立した2009年1月時点で、フリーランスという働き方は今ほど一般的ではなかったように思います。少なくとも私が知る世界には、勤務していたリクルートの月刊HOUSING編集部のブレーン(編集者兼ライター)やカメラマン・デザイナー・イラストレーター(敬称略)ぐらいしかいませんでした。今は他に、WEBデザイナー・コーチ・コンサルタントなど、独立の選択肢は増えている印象です。国家資格保持者による個人事務所は前提が違うので省きます。

そんな中、編集部にはこうしたプロフェッショナルのリストがあり、雑誌のコンセプトや編集部のクセなどをわかっていて、新入りの編集部員よりはるかに経験豊富な方々に集中的に繰り返しお仕事を依頼することで、記事の質を維持していました。たまに営業にこられるフリーの方がいらっしゃいましたが、やはり一軍の常連の方がたが圧倒的に安心だったので、ほぼ固定メンバーで仕事を回していました。そういうこともあり、常連の方々に関しては、編集部側から手放すことなどありえない感じで、十分に食べていけるであろう金額を会社がお支払いしていたと記憶しています。つまり、実力のあるフリーランスはとても貴重な存在だったのです。この貴重さは今も何ら変わっていないと思います。

当時23歳〜26歳の頃の私が感じていたのは、ブレーンさんはじめプロの方々って、自分の腕一本で生きていてかっこいいなという憧れでした。「実力もあるけどそれだけじゃなく社内政治にも長けてのし上がった」感じのする社内の偉い人よりも、人間的で朗らかで正直で多様で自由。まとっている雰囲気の差を、如実に感じていました。長く人生の時間を過ごす仕事の環境で、人間のいろんな意味での”匂い”はこうも変わるのかと思っていました。シンプルに、「社内の偉い人」より「社外のプロ」の方がいいなと純真に選んだ結果が今です。これはあくまでも当時の印象なので、今だったらまた違うのかもしれません。

「かっこいい」と「食べていけてる」。この2つの情報「だけ」をベテランの皆さまから受け取って独立してしまうとは、我ながらおそるべき「リスクへの鈍感力」すなわち「若気の至り」です。ハルコちゃんに好かれたくてバスケ部に入ってしまった桜木花道くらい単細胞だったのかもしれません。でも、やってしまったのです。

あ、でもそういえば。
憧れと楽観性が起点であることは間違いないのですが、あと3つ、私を独立方面に導いた考えがありました。

一つ、会社にいると本当にやりたいテーマで仕事ができない。
一つ、結婚したら、同じ稼ぐ妻(or/and母)でも会社から帰って来ない妻よりも家にいる妻(or/and母)の方がいいだろうと思った。
一つ、社内のエディトリアルコンテストでたくさんの賞をいただき自信があった。

です。

1つ目は、事業の顧客が大手ハウスメーカーであり、極論すれば大手ハウスメーカーのために仕事をしていることが「違う」と感じていました。振り返ればなんて恵まれた環境だろう。リクルートの超優秀な営業の人たちが、せっせと稼いできてくれて、それで毎号記事を作らせてもらえたのですから。もちろんそれに見合う成果は求められましたけれど。それにしてもやっぱりお金って使うより稼ぐ方が大変。何を一丁前に異を唱えているんだという感じですが、何せ純真だったので、大手ハウスメーカーじゃなくて地球のために仕事がしたかったのです。
落ち着いてロジカルに考えて、大手ハウスメーカーのための仕事を通して地球のために仕事をしようと自分を納得させられればよかったのですが、当時はSDGsのえの字もなかった。「経済よりも環境派」だった私は、思想としてマイノリティどころかアングラの域でした。雰囲気だけでもいいから「経済よりも環境だよね」という価値観をベースに仕事がしたかったんですね。落ち着いてなんていられなかったのです。自分の価値観にぴったり合う仕事世界を探す冒険の旅に出たかったんです。どうしても。→冒険の旅に出た結果、独立して13年後の今、かなり高い精度で叶うようになってきている。感謝。

2つ目は、当時学生時代からお付き合いしていたステディ彼氏がいた私は、なんとなくいつかはこの人と結婚して子どもとか産むのかな〜などと思っておりました。「結婚したい」「子どもが産みたい」ではなく、するのかな〜、とぼんやり。そうした時に、この激務との両立は無理だろうと容易に想像できました。だけれども、人様が稼いだお金だけに依存した生活をするなんてハナから頭にない。ということは、激務をしなくても稼げるようにするのが賢明だろうと思ったんです。その後破局したため、想定した「家にいて稼ぐ妻or/and母説」は現時点で、想定から幻に変わった状態です。

3つ目は、書いたままのことなのですが、マーケティングコンテンツを作る仕事における企画力・構成力・実務完遂力などを高く評価していただいていました。「周囲と比較してこんなに評価されているんだから、フリーになってもやっていけるだろう」と思ってしまうのも無理はない感じでした。

そして、最後に(まだありました笑)、いざとなったらフルコミッションの営業をして稼げばいいという考えを保険にしました。

抽象化すると、今のようなかたちで生きているコトの始まりには、

憧れ・楽観性・志向性・制約条件・商品と実績・心の保険があったようです。

自分の力で稼いだお金で生きていくことは譲れない。(制約条件)
その上で、「自分はこうしたい」という望み(志向性)と、できること・誰かに買ってもらえること(商品と実績)があること。
ちゃんと頑張ればきっとうまくいくだろうという自己信頼。(楽観性)
それらを携えて生きていくこと全体に対するなんとなくのいい予感。(憧れ)
全部がうまくいかなくても自分で責任をとる覚悟。(心の保険)

初めに、この6つがありました。

こうしてまとめてみると、この6つが「フリーランスはどうやって食べているのか」という問いに対する一つの角度から見た完全無欠の答えのような気がしてきました。

スピリチュアル文脈を期待していた方、すみません。
今日のところはこれで締めます。
書くってほんとに面白い。






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