「個として働き好きに生きる」のつくりかた

独立して15年目になりました。

この文章では、独立と同時に地方に移住し、それまでのキャリアを元に東京で得た仕事から始めて徐々に自分にフィットする仕事に移行し、沖縄に2度目の移住、再び東京へ2拠点移住しながら仕事の幅を広げてきた多中心的ライフスタイル実践者として、なぜそれができたのかを紐解いてみたいと思います。

それができたのは、私個人に仕事を頼み報酬を支払いたいを言ってくれる人がい続ける状態を15年間キープしてきたからです。

はじめに結論を書いてしまうと、会社じゃなくて、望む社会のパーツとして自分自身を定義することができれば、ハマる場所は必ず、無限にあるということです。

そうなるに至る道の始めにしたのは、内なる願いと好奇心に従って行動することでした。言い添えるなら、結果として王道から外れる恐怖を乗り越えたこと。

独立当時の私の願いや好奇心は、「自然と人、人と人が調和しているあり方」を探求したいというもの。背景にあったのは、ごく個人的な20歳前後の体験でした。その体験を通して、私は自然と人との一体感が至福といえる幸福感をもたらしてくれることを知りました。その後東京で就職し、ビジネスの世界で身を立てる努力をする日々の中で地球環境の劣化が徐々に社会問題化していきました。自分の中にある理想的なあり方と現実の間にあるギャップに対して、20代の私は強く反応し、反応していることを自覚していました。だから、まずは自分自身が自然豊かな地方で一体感を持って暮らしてみたい。それがどんなことなのか、やってみなければわからないからやってみたい。体験したい。そう思って、東京を離れたのです。

この時に設定していた社会と私の定義は、「社会全体が自然との調和に向かってほしい」から「自然と調和した人間のあり方を、雛形を伝えるパーツになる」です。すると、移住してすぐに、携帯サイト向けに自然食を軸にしたライフスタイルについて書く仕事や、地元の不動産事業者から依頼を受けてストーリー仕立ての物件紹介記事を書く仕事。そして、東京のメディアから再生可能エネルギーについて調べて書く仕事をいただくようになりました。私は会社ではなく自分が望む社会のパーツとして機能し始めたのです。それも、あっという間に。

こうした仕事は、求人サイトには載っていませんが、自分が望む社会が実現していそうな場所に体ごと飛び込んでみたら、すぐに見つかりました。

この成功パターンが、今日に至るまでずっと続いています。

だから、もし会社を辞めて個として働きたいとか、会社ではなく個人として求められる働きかたをしたいとか、自分の名前で仕事がしたいと思っている人がいるのなら、仕事のスキルを獲得するのと同じくらい、会社じゃなくて、望む社会のパーツとして自分自身を定義することが大切だと思います。

なぜなら、ビジネス目線で現実に落とし込んだときに、同じスキルを持つ人と差別化でき競争力になるからです。

どんな社会のどんなパーツになりたいかを自分の中で定義すると、自然にその分野に詳しくなっていきます。主体的に情報を取りに行くようになるからです。本は1冊2000円もしない安いものですし、官公庁が開く無料のセミナーもあります。(民間企業が開く無料のセミナーはポジショントーク満載の営業手法なので要注意。)

情報を摂取すると、ものの見方が変わっていきます。メガネを付け替えたようになり、日々目にすること耳にするもの全てをフィルターを通して入ってくるようになります。認知が変わり、認識が変わり、考えが変わり、話したり書いたりする言葉が変わります。

その結果、コミュニケーションが変わり、私を必要とする人に出会って繋がれるようになるのです。

スキルと報酬をただ等価交換する世界線だと、ライバルはいくらでもいます。ですが、価値観やストックされた知識、それをもとに話す言葉が付加価値になると、ライバルはグッと減ります。

そうして出会えたクライアントとした仕事は、全て自分の実績として積み上がっていきます。また、仕事から情報が得られ、先ほどのループに入って雪だるま式にものの見方が変わっていく。放っておいても変わる社会に合わせて、望む社会像の方も進化させ続けることができます。

これを繰り返すジャーニーの過程で、どんどん研ぎ澄まされ唯一無二の存在になり、自然に最適な人や仕事と出会えるようになっていくのです。

ひとつ事例を。独立してしばらくした頃に、地球一周の船旅に乗って世界中のソーシャルでサスティナブルなプロジェクトを取材して書くというお仕事が舞い込みました。その仕事を終えた後、3ヶ月ほど日本をあけたためにいくつかお仕事を失い暇で仕方がなかった時間がありました。その間、終えたばかりの仕事の経験を通してその時のわたしが感じていた社会の本質や未来への願い、人が生きる上で大切なことをブログにしたためていました。

数ヶ月後、そのブログを「全部読んで会いたいと思った」ととある見知らぬ経営者の方から連絡が入り、沖縄での仕事が始まりました。

タイトルの「好きに生きる」は、自分が本当に興味があったり情熱や憤りを感じることを大切にするということ。「好きに生きる」は結果であり、同時に結果を可能にする要因でもあるのだと、15年間を振り返って確信しています。

そして「好き」を語るときに自己完結で終わらずに、図々しくても僭越でもおせっかいでもそこには目をつむり、自分の好き(や興味や情熱や憤り)を反映した社会をイメージしてしまうことが大切です。

好きを起点にイメージした理想の社会でどんな役割を担うのか。それを自分で決められることは、素晴らしいことだと思っています。

だから、図々しく僭越でおせっかいですが、そういうふうに生きる人が多く活躍する社会になってほしい。これが、今の私の理想の社会。だからnoteというこの場所に、この文章を書きました。これも一つのパーツとしての活動ですし、もっと大きくしたい。これまでのように書くこと伝えること以外で、どんなパーツになろうか、なれるか思案しているところです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?