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教育家族から生活家族へ(前編)

※2020年度と2021度の2年間、メールマガジン『ごかいの部屋~不登校・ひきこもりから社会へ~』のバックナンバーから厳選した100本の掲載文(コラム)を転載してきましたが、昨年度からは『ごかいの部屋』掲載文にかぎらず過去に書いた文章を毎月1~2本、時系列に転載することによって私の自称 “体験的不登校・ひきこもり論” の進展をたどりながら理解と対応の参考にしていただけるよう進めています(執筆時から年数が経っていることで修正する場合があります)。

※2022年度からは「原則として2年前までの文章を転載する」という方針で更新しており『ごかいの部屋』掲載文にかぎらず30年余り前の文章から選んで時系列に転載を進めてきました。そして先月2年前まで進んだことで、いよいよかつてのような『ごかいの部屋』掲載文(コラム)を転載できる時期に入りました。そこで今月は、先月後編に転載した『ごかいの部屋』の別記事の内容を受ける形で書いた掲載文を転載します。4年前の今ごろに世間を騒がせていた事件に関連して、教育意識からの転換を迫った論考です。

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暴力息子殺害事件の共通点

 先月の後編で転載した「当方見聞読」欄でお伝えしたように2021年2月2日、元農水事務次官が家庭内暴力の息子を殺した、いわゆる「練馬事件」の二審判決が出ました。その後検察側・弁護側双方とも控訴せず、懲役6年の実刑判決が確定しました。

 この事件に限らず、マスコミをにぎわせた “暴力息子殺害事件” は、私が記憶している限りほかに下記の3件があります(事件名は通称)。

(1)1977年の「開成高校生殺人事件」
(2)1992年の「浦和高校教師息子殺害事件」
(3)1996年の「湯島金属バット殺害事件」

 以上4件のうち(1)を除く3件は、東京大学を卒業した父親が、息子から「エリート」として畏敬されていたことが共通しています。また(3)以外の3件とも母親が教育熱心だったことが共通しています。
 たとえば(1)では、すでに家庭内暴力が始まっていた息子に、母親が勉強するよう求めたことが暴力がエスカレートしたきっかけでしたし、練馬事件では学校の成績が悪いと言って息子が大事にしていたプラモデルを壊したことが報じられています。

 ただ(1)では息子が小学校時代、学校の成績が良かったにも関わらず塾通いさせたり家庭教師をつけたりすることに父親が同意していました。そのため、3件とも母親だけが教育熱心だったと決めつけるのは早計です。

「教育(する)家族」のありよう

 さて、この4つの事件に共通しているのは、家族のありようが社会学などで言われる「教育(する)家族」である点です。

 「教育(する)家族」を社会学者の定義を参照しながら私の言葉でまとめると「子どもの教育すなわち躾(しつけ)や学力向上への関心が強く、その成果を上げるための育て方や家計支出の傾向がはっきりしている、すなわち親が教育を子どもに与えることを最上位の目的とした家族」ということになります。

 もっとも、教育(する)家族(以下「教育家族」と呼びます)は、高度成長時代以降には一般化した家族像です。(1)の父親にしても、息子に塾通いさせたり家庭教師をつけたりした理由を「世間並みに育てたかったから」と裁判で証言しています。つまり、子どもへの教育投資を惜しまない親は、都市部では当時から “世間並み” だったのです。
 言い換えれば、現代日本では多くの子どもが教育家族で育っているわけですから「家庭内暴力の原因は教育にある」とは言えませんし、不登校/ひきこもり状態の原因についても同様です。

※転載者注:(1)についての記載は本多勝一『子供たちの復讐』(朝日新聞社刊1979)から引用。その他についての記載は報道から引用。

                           <後編に続く>

不登校・ひきこもりに関する研修費に充て、相談支援のスキルアップと充実したメルマガ掲載文執筆に還元させていただきたく、よろしくお願い申し上げます。