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あらためてひきこもり時代を振り返る(後編)

非教育の仕事と活動への模索

 第一に「親や教師が、子どもの考え方や感じ方にはおかまいなしに、自分たちの論理で教育を行っている。カウンセリングなどの援助も同様だ」ということ。
 第ニに「子どもの考えや感じ方ではなく、大人や社会の論理から出発するものが教育だとすれば、教育は子どものニーズに応えないものなのだから、もともと功罪両面ある行為だ」ということ。
 第三に「子どもは、大人と同様自分なりに考えたり感じたりしながら生きている。しかし教育は、子どもはそこまで真剣に生きていない存在という前提で行うものだから、親や教師はどんどん教育して子どもの試行錯誤の機会を奪っている。これが教育の “罪” の面だ」ということ。
 したがって「このように教育が盛んな現代では、教育に圧迫されたり傷ついたりしている青少年が多いだろう」ということ。

 このような経緯によって私は、洗脳が解けたように、教育への見方ががらりと変わりました。
 私の関心は「どんな教育をやるべきか(教育の方法論)」から「どんな教育をやめるべきか(教育のやりすぎ)」へと移ったのでした。
 その結果私は、教育をどんどん行う「教育の推進者」ではなく、教育をほどほどに抑える「教育のブレーキ役」になろうと決心したのです。

 具体的には、仕事としては教師ではなく、子ども主体の教育を行う塾とか不登校向けの相談機関などを始めることを考えました。
 子ども主体の塾の例としては「らくだ塾」があります。公文塾と同じプリント学習ですが、解答時間の計測から採点にいたるまで、すべて子ども自身にやらせるという、教育の常識を超えた塾です。
 不登校向けの相談機関とは、不登校相談やフリースペースの運営などを通じて、子どもが学校から離れて自分を取り戻すことができるよう援助する場です。

 また市民活動として「教育との付き合い方を考える青少年団体」を結成することを考えました。
 この団体は、かつて不登校児をカウンセラーや精神科医といった専門家に任せないで親自身で対応しようと「親の会」が各地に広がったのと同様に、自分をどのように教育するかを、親、教師、カウンセラーといった教育する側に任せきりにしないで、青少年自身で教育に対応する( “教育のされすぎ” から身を守る)ための自助グループです。

 しかし、これらの構想は、どちらも実現しませんでした。仕事は自信が持てずに、団体結成は参加者が集まらずに、それぞれ失敗しました。

 そして、私にとっての最後のひと山を越える旅が始まったのです。

初出:連載コラム第4弾 『ひきこもりを7年かけて卒業した男の話』(全6回)の第3回「生き方探し」<メールマガジン『ごかいの部屋~不登校・ひきこもりから社会へ~』第21号(2003年3月5日)

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※メルマガの創刊当時からの読者の方や拙著『不登校・ひきこもりが終わるとき』をお読みでない方にはそれ以前の経緯がわからず、前編は読みにくかったことと思います。申し訳ありません。

※来月は、私がひきこもり状態末期の生みの苦しみと生み出したものを詳しく書いた文章を転載します(今月と来月の文章は短めです)。

※今月は家族会「しゃべるの会」の開催月です。3日後の20日(土)に「不登校編」を、28日(日)に「ひきこもり編」(おとな向け)を、それぞれ平塚駅近くの公共施設とZOOMの併用で開催します。どちらも定員にほど遠い状況ですので、 ↓ の公式ブログ記事をご一読いただき、末尾にリンクした告知ページで詳細ご確認のうえ、よろしければご参加またはご紹介をお願いいたします。

※来たる、25日(木)夜、オンライン連続講座「ヒュースタゼミナール」の第2回を開催するにあたり、この回だけの単発受講者を募集しています。
全国どちらにお住いの方もどのようなお立場の方もご受講いただけます。不登校・おとなひきこもりに関する相談や家族会での対応にご関心の方は、↓ の公式ブログ記事をご一読いただき、末尾にリンクした告知ページで詳細ご確認のうえ、よろしければご参加またはご紹介をお願いいたします。


不登校・ひきこもりに関する研修費に充て、相談支援のスキルアップと充実したメルマガ掲載文執筆に還元させていただきたく、よろしくお願い申し上げます。