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“心のかたち”をいかに守るか(前編)

※一昨年度と昨年度の2年間、メールマガジン『ごかいの部屋~不登校・ひきこもりから社会へ~』のバックナンバーから厳選した100本の掲載文を転載してきましたが、今年度からはメールマガジン(メルマガ)にかぎらず過去に書いた文章を毎月1本、時系列に転載することによって私の自称 “体験的不登校・ひきこもり論” の進展をたどりながら理解と対応の参考にしていただけるよう進めています。

※ただ、過去のパソコンの故障等により機関紙などメルマガ以外の媒体に掲載した文章の原稿が見つけにくいのと私の多忙により、8月を最後に1か月おきの転載になってしまいました。そこで、先月の休載に続く今月は、先々月に転載した文章から2年後の2016年に、設立15周年記念イベントの記念講演で使った文章と、前後編お一方ずつお祝いのメッセージを転載します。私がやっている不登校・ひきこもり相談室「ヒューマン・スタジオ」の歴史と6年前の到達点をご覧ください。

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※この文章は、筆者が所属(筆者注:当時)している「日本スクールソーシャルワーク協会」の会報(2016年8月発行号)に掲載された原稿から、ほぼそのままレジュメに掲載したものを一部省略・改変のうえ再掲したものです。

「本人ではなく周囲を変えたい」

 ヒューマン・スタジオ(以下「当スタジオ」)は、子どもの不登校とおとなのひきこもりを対象に相談援助を行う個人事務所です。相談業務・家族会・メールマガジンを中心に、不登校・ひきこもりへの適切な理解と対応を広めることを目的としています。

 私は、高校時代の3年半に不登校を、大学卒業1年後からの足かけ7年にひきこもりを、それぞれ経験しました。またその間の高校・大学時代にもいろいろなことがありました。
 私はひきこもりが終わる頃、自分が経験した教育やカウンセリングや親の対応などを振り返って「本人ではなく周囲に働きかけたい」という結論に到達しました。

 そこで私は、フリースクール、フリースペース、学習支援、就労支援、などといった本人を直接支援する職種ではなく、ご家族をはじめとする周囲の方々の利用が圧倒的に多いであろう相談員という職種をめざしました。

閑古鳥が鳴く数年間

 ひきこもり状態の終わり頃、私は社会復帰をかけて就職活動に挑みましたが、5年以上の “履歴書の空白” や30歳を超えてしまった年齢から後悔と絶望の塊になっていました。そこから急転直下「人並みに生きられなくても野生動物のように生きたいように生きて死ねばいい」という人生観が生まれました。

 その勢いで “単身社会に飛び出した” 私にとって、(所属している)日本スクールソーシャルワーク協会につながる学習会「JOJO(ジョジョ)」以外の人間関係はゼロに近いものでした。そんななか、2年半の間にカウンセリングなどの講座や公開学習会などの場で出会った人のなかから設立に協力してくれる方が現れたのでした。

 当スタジオは、最初は相談専門ではなく「世代別フリースペース」「学習支援」「講座・ワークショップ」などのプログラムを揃えて選んで利用していただく「地域の交流スポット」を標榜してスタートしたのですが、ひきこもりが終わって2年半しか経っていない個人事務所がそんな大風呂敷を広げても人が集まるはずはなく、設立1年半後には自分の経験と学習を活かして「不登校とひきこもりを対象にスクールソーシャルワーク(SSW)を実践する相談機関」を標榜するようになりました。

 しかしその相談さえも、最初の数年間は常に2,3家族にしか利用されずに閑古鳥が鳴いていたのです。

⇒⇒⇒⇒⇒設立15周年へのメッセージ(1)

西野博之さま(「フリースペースたまりば」理事長)*****

 長年にわたって、丸山さんが当事者の視点から発言してこられたことに敬意を表します。「支援」という名のもとに、過去においても、未来においても、ご本人が望まない取り組みが進められていくことが多々あります。これからも声を出しにくい人たちの声を代弁し続けていってください。神奈川の地でともに歩んでいきましょう。                           

                           <後編に続く>

不登校・ひきこもりに関する研修費に充て、相談支援のスキルアップと充実したメルマガ掲載文執筆に還元させていただきたく、よろしくお願い申し上げます。