体調不良と自信
自分が体調不良になると
絶対的にわかることは
ああ この身体の辛さは
誰かに起こっていることではなく
私に起きていることなんだな
ということ
妻、母、娘、妹、嫁
仕事上の顔のような
肩書きを一切合切超えて
「私」 に であることがわかる
肩書きが担うものは
じゃあ 家族のごはんはどうしよ
とか 両親の様子を見に行けないな
とか
言ってみれば
「私」じゃなくても何とかなること
だったりする
•
体調不良は そんなことを
わからせてくれる
そして これが 【自信】 を
わかりやすく知るためのもの
「私」に起きている体調不良は
絶対的な【自信】だ
信じたくなくても
身体が辛ければ信じるしかないし
周りの人たちにも周知されるので
動きようのない
自分が信じる世界ができあがる
体調不良は【自信】の真っ只中に在る
•
痛い、痒い、苦しい、辛い
それを感じているのが「自分」であって
今 いちばん 純度が高いものと認識できる
それ以外は 自分が自由にできるもの
ずっと苦しむこともできるし
医療機関にかかることも
自分で情報も集めることもできる
同情や世間話にもできるし
ヒーリングをすることも
してもらうこともできる
何をするのも自由
•
重要なのは
「自分」が純度が高い と認識をして
自分を観測すること
原因を追求しそうにもなるけれど
それは どう在りたいか を決めて
動き出した過程にあらわれてくるものだと
思う
•
できれば体調不良にはなりたくない
でも 今は魂の清算が起こってる時だから
なったら 自分の純度を感じて
たくさんたくさん自分を許して
ここから望む方角を決め、見据えるのが
安堵するひとつの手段だ